明察シースルー

「ご、ごめんね日吉君、うちの娘ってば本当にドジで……」


階段から落ちたところを見られた私もだが、お母さんも恥ずかしかったらしい。
なんとか笑いながら誤魔化してはいるが、この場に居たたまれなくなったらしくさっさとリビングへ引っ込んでしまった。
痛みでまだ床にへばったままの娘を置いてそりゃないよ。


「……おい、大丈夫か」

「大丈夫…。ちょっと待って、もうちょっとしたら立てる」


背中の痛みが落ち着いて来たところで体を起こし、腰を押さえつつなんとか立ち上がる。
ああ、本当に日吉君の前に立つのが恥ずかしい。


「待たせてごめん。ところで…何か用でも?」

「お前…担任の話聞いてなかったのかよ」


呆れたような顔で数枚のプリントがホッチキスで止められた資料を渡された。
表紙を見ると、今度ある委員会の集まりについての事が書いてあった。
とりあえずそれを受け取り、これを渡すためにわざわざ私の家までやって来たらしい日吉君を見たら、日吉君の眉間にシワが寄った。


「…午後の授業の最後に、担任が委員会に入ってる奴は資料を取りに来いって言ってただろ」

「…そうだっけ?」



呆れを通り越して頭痛がしたのか、頭を左手で抑えた日吉君に自分の不甲斐なさで申し訳なくなってくる。
正直、日吉君からの手紙のことで頭がいっぱいで午後の授業もまともに聞いていない。


「……まあいい。とりあえず資料は渡したからな」

「うん、ありがとう。迷惑かけてごめんね」

「全くだ」


ふと、ため息をついた日吉君が肩にラケットバックを提げていることに気がついた。
今日は部活が無いのだろうか、気になって質問をする。



「日吉君、部活は?」

「ああ……誰かさんのせいで遅刻だ」


じと目でこちらを見てくる日吉君から視線を反らす。
そんな委員会の資料なんて明日渡せばいいじゃん、私の家までわざわざ来なくてもいいじゃん、と内心思ったがとても口には出来なかった。
ここまでやってもらっておいて、そんな事を言うのは日吉君に失礼だ。
とりあえず、適当に誤魔化しておこう。


「あははは…今度何か奢るよ」

「そんなもので誤魔化せると思うなよ。濡れ煎餅を頼む」

「誤魔化されてるじゃん」

「貰えるものは貰っておくものだろ」

「………あの手紙も?」



瞬間、空気が止まった。
日吉君は目を少し見開いてから、じっとこちらを見ている。
昨日から日吉君はやたらと私を見ている気がする。見ている、というよりは観察に近いものがある。
私の挙動を伺っているような、そんな感じのものが。



しかし、何故こんなことを言ってしまったのかとすぐに後悔した。
ほぼ無意識であったが、内心では非常に気になっていたことだ。
本当は聞いてみたい、そんな好奇心に似た何かが私の中で一瞬勝った結果がこれだ。
しかし、もしこれに日吉君が答えてくれたなら、私の気になっていたことが解決する。


以前はラブレターを受け取った瞬間ゴミ箱に捨てていた日吉君が、今度はラブレターを受け取ろうと思った訳は何だ?



先程までの緩い空気とは違った張りつめた空気が流れて非常に気まずい。
私が言い出したくせに、このまま無言状態が続くのは嫌で、どうにか先程の発言を払拭できるような話題は無いかと脳を回転させる。

結局は怖じ気づいてしまった。

どうやったら誤魔化せるか、と珍しく真剣に考えていたら、リビングに引っ込んでいたお母さんがひょっこりと出て来た。


それに気付いたのは日吉君が先で、日吉君が私の後方に視線を動かしたから私もつられて後ろを振り返る。
何故かドアに隠れるようにしてこちらを見ていたお母さんと目が合うと、口元を手で覆ってから私に向かって言った。



「もしかして……彼氏くん?」


瞬間、ぶわっと熱が体を駆け巡りこの場所から逃げたい衝動にかられた。

キラキラと期待を込めた視線をこちらに向けているお母さんをリビングに押し込んでから、先程の質問を否定する。
面白くなさそうに「え〜?」と言っていたお母さんには悪いが、いい年したおばさんがそんなことを言わないで欲しい。
なんとか母親を押し戻したはいいが、問題は玄関に立っている日吉君だ。

確実に熱が顔にまで及んでおり、赤くなっている顔を見られたくない一心で俯く。
先程までの気まずい空気は払拭されたが、今度は恥ずかし過ぎて顔が上げられない。

どうしよう!と叫びたくなる感情を抑えながら再び解決策を考えはじめた時、クッという声が日吉君から聞こえた。


チラッと様子を伺うように顔を上げると、日吉君は俯きがちに口を左手で覆い、笑いを堪えて震えていた。
赤くなっているだろう顔を隠すのを忘れ、ポカンと日吉君を見ていたが、日吉君は相変わらず震えている。



「…あの…日吉君…?」


「お前…本当に分かりやすいな…」


ククッ、と言葉の端に笑い声が聞こえた。
暫くして落ち着いたのか、ゆっくりと顔を上げた日吉君の表情は心無しか柔らかい。
日吉君ってこんなに穏やかに笑う人だったっけ、というかこんなに笑っているところを見たのは初めてかもしれない。

呆気に取られたまま日吉君を見ていると、日吉君は肩に提げているラケットバックを担ぎ直し、一歩引いた。
閉まっていたドアのノブを握り、軽く開いたからどうやら帰るらしい。
帰るというか、学校に部活をしに戻るんだろうけど。
私の家は学校からある程度近いとは言え、本当に手間をかけさせてしまったなと再び申し訳ない気持ちが浮かび上がる。

今度何かあげよう、というか日吉君は濡れ煎餅を頼むとかなんとか言ってたけど、濡れ煎餅が好きなんだろうか。


「……ああ、言い忘れてた」



ドアを開けたまま外に出た状態で、日吉君はニヤリと笑う。
何かとてつもなく嫌な予感がしたと同時に、不敵な笑みを浮かべる日吉君もかっこいいなと見とれた。
折角落ち着きはじめた熱が再び沸き上がったが、もはや顔が赤くなるのを隠す余裕も無い。



「さっさと返事を寄越せよ」



フッ、と笑ってから「お邪魔しました」と丁寧に挨拶をしてドアを閉めた日吉君に、挨拶どころか瞬きも出来なかった。
何故分かったんだろう、とか何故わざわざ私に手紙を書くという回りくどいことをしたのかとか、これはもしかして期待してもいいのか、とかいろんなものがぐるぐると頭を巡る。



「……何で、」


聞きたいことが、山のよう積み重なっていく。
それでも日吉君を追い掛けられないのは、やっぱり怖じ気づいてしまっているからだ。



20120625 執筆