ご挨拶

スズネの小道へと繋がる関所の更に奥、紅葉した木々に囲まれひっそりと佇んでいる家々がある。
その中の、目的の家の前に立ちゴクリと息を飲んだ。


「……何緊張してるの」

「するに決まってるでしょ。あ、ちょっとまだ入らないで!心の準備が!」

「ただいま」


ガラララと無情にも戸を開け、マツバはさっさと家の中へ入って行ってしまった。
そりゃあマツバにとってここは自分の家のようなものだし、緊張するわけないんだけど私に少しは気をつかって欲しい。


「お、お邪魔します」


少々ぎこちない動作で玄関に入ると、家の奥から「おかえり」という声が聞こえた。
しばらくして廊下の奥から現れたのは、マツバのお祖母さん…婆様だ。
早くに両親を亡くしたマツバの育ての親で、ほぼ母親的存在である。
マツバもジムリーダー就任が決まるまではこの家で生活していたらしい。
私も小さい頃はこの家によく遊びにきて、婆様によくお世話になった。


「ただいま、婆様」

「お久しぶりです」


「マツバに…、ナマエちゃん。ナマエちゃんは…まぁ、暫く見ないうちに別嬪さんになったねぇ」

「あ、ありがとうございます」


婆様は昔より痩せて小さくなった気がする、と婆様と他愛ない話をしながら廊下を歩いて思った。
本当に会うのはいつぶりだろう。計算をしてみるが途中であやふやになってしまった。


「どうしたんだいマツバ、またお土産かい」

「いや、違うよ」


婆様は快く、座敷に私達を通してくれた。
婆様を正面に、マツバと私が座る。
いよいよかと思うと緊張で背筋が伸び、かちこちになる。
ふ、と隣で笑う声が聞こえたのでそちらを見れば、マツバが軽くこちらを見て笑っていた。
緊張し過ぎ、と小さな声で言われ、それに少し恥ずかしくなる。
なんだかマツバの声色が普段より柔らかくて、照れてしまう。


「大事な話があるんだ」

「…大事な話?」

「ああ」


マツバは一拍置いて、それを口にした。



「僕達、結婚しようと思うんだ」


しん、と一瞬室内が静まり返った。
婆様は初めポカンとしていたが、暫くして穏やかな笑顔になった。


「そうかい。それは、それは…おめでとうございます」


その言葉に全身の力と、頬が緩んだ。
実は、反対されるのではないかと少し怖かった。
マツバの一族の件と、私でいいのかという不安もあった。
それが、空気を抜かれる風船のようにスルスルと抜けていく。
そして何より、嬉しかった。
隣のマツバを見れば、マツバも安心したように息をついていた。


「で、ちゃんとナマエちゃんのご家族にはご挨拶はしたんだろうね?」

「いや、まだ…」

「なんだ、まだなのかい。うちは後にして、そちらに先に挨拶に行けばよかったのに」

「ナマエのご両親は、今シンオウにいるんだ。僕もジムがあるし、ナマエも仕事があるから、二人の都合のつかないと行けない。だから、先に婆様に挨拶に来たんだ」

「…なるほど。それは仕方ないね」


納得したように頷いて、婆様は私を見た。
何か言われる、と構えたが、婆様は優しく笑ってくれた。


「ナマエちゃん、大変だろうけど、マツバをよろしくね」

「はい…!」


そして婆様は厳しい表情になって、今度はマツバを見た。
それを見て若干マツバの背筋がピンと伸びたことが、少し微笑ましかった。
何様俺様マツバ様でも、実の母親(正確には祖母だが、そう言っても支障はない)には頭が上がらない。
現に、小さい頃からマツバは婆様だけには逆らえなかった。そしてそれは、今でも同じらしい。


「いいかいマツバ。あんたに付いてきてくれるんだ、ナマエちゃんを大切にするんだよ」

「わかってる」

「ならよろしい」

婆様も満足げに頷いた。
そのまま今後の話や、世間話を暫くして、おいとますることになった。


思っていたよりもマツバ家への挨拶はスムーズに、かつ上手くいった。
マツバのお見合いの件もあったので、何かしらの障害があると思っていたのだが、言うのもあれだが拍子抜けしてしまった。

マツバと手を繋いで歩きながらの帰り道、そのことを尋ねてみた。



「婆様には、うすうすお前のこと話してたんだよ」

「えっ」

「シノさんとのお見合いの話が上がった時に、婆様にお前はどうするのかって聞かれた。その時に、お前のことを話したんだよ」

「そうなんだ…」

だから婆様もあっさりと認めてくれたのか、と思い返してみる。
マツバにお見合い相手の話が上がったのをまさか知らなかったわけではないし、その話があったのに私と結婚します、なんて報告をしたらもっと驚いただろう。
結婚する、と報告した時キョトンとしていたが、その後分かっていたよ、というように微笑まれたのはそういうわけか、と納得した。



「それといい事を教えてあげるよ。箱入り娘のお嬢様より、活発で僕にも難無く口答えしてくる女性の方が婆様は好みだってさ」

「…うーん。嬉しいんだけど、それって褒めてる?」

「褒めてるんじゃない?というか、婆様の性格がそうだったからだろうけど」

「え、婆様は結構穏やかだと思うけど」

「昔は結構なおてんば娘だったらしいよ。婆様と昔からの知りあいのお坊さんから聞いたことがある。なんでも、じい様との出会いは、じい様が修行をさぼっているところを見つけた婆様が平手打ちをしてからの説教、で始まったらしい」

「凄い出会いだね」

私はそこまでではないと思うのだが。
そもそも、物心つくころにはマツバには逆らえなくなっていたし。
マツバと初めて会った日がいつだったのかも分からない。
それくらい、小さいときからマツバとは交流があったわけだ。


「私たちが初めて会った時のこと、覚えてる?」

「覚えてない」

「だよねー」


ふと私とマツバの間で揺れる、お互いの手が視界に入った。
指を絡めているわけでもなく、固く握っているわけでもなく、軽くゆるりと繋がっている。



「まあでも…子供の頃の事を思うと、まさかマツバと結婚することになろうとは思わなかったな」

「へぇ…?」

「いだだだだだ痛いですマツバさん」

緩く握られていた手にいきなり力を加えられ、手の骨がみしみしと鳴っている気がする。
手に握力をかけるマツバは営業用スマイルを浮かべているので、なんともいえない状況に表情が引きつる。


「ちょ、普通未来の奥さんにこんなことする?」

「未来の奥さんの前に、ナマエだからね。容赦しないよ」

「………」

喜んでいいのか、いけないのか。複雑な心境になった。


20110910