積もり積もって

「マツバさん、お醤油取ってもらえます?」
「はい」
「ありがとうございます」
「いえいえ。それにしても美味しそうだね」
「良かった。マツバさん前にお魚が好きだって言ってたから、作ってみたんです」
「覚えててくれたんだ」
「ふふ、お世話になっていますから」


台所から聞こえる会話の内容に、私は顔面蒼白、ミナキとヒビキ君の表情は固まっていた。

何コレどこの新婚夫婦の会話?
私ですら、マツバとこんな甘い雰囲気になったことは無い。



3人で突然マツバの家に押し掛けたら、当然のようにマツバに嫌な顔をされた。
3人で何をやっていたんだ、と聞かれたが適当にはぐらかし、ほぼごり押しで家に上がり込んだら、シノさんに「ご飯食べていきませんか?」と言われた。
お言葉に甘えて夕飯をご馳走になり、マツバとシノさんの様子を伺おうとしたら、返り討ちにあった。

仲良さげに夕飯を作っている二人を見ていると、泣きそうになった。私がご飯を作っている時は、マツバは手伝いもしなかったのに。



「…帰りたい」
「駄目だ。お前から言い出したんだからな」
「……言い出したのはミナキじゃない?」
「原因はお前だ」


ミナキも居心地が悪そうに、マツバとシノさんの方を見た。


「ヒビキ、どう思う?」

「どう思うって…、仲睦まじいですね」


ヒビキ君の言葉を聞いて、改めてズーン、と落ち込んだ私に対して、ミナキが珍しく気を使っている。
ヒビキ君も、いつもの笑顔が少しひきつっていた。
2人の様子から判断して、この状況は危険だと分かった。
マツバの家に来て早々に分かるとは思わなかったが、結果が結果だけに最悪だった。


シノさんの作ってくれたご飯は、私よりも手が込んでいたし、美味しかった。

マツバと仲良さげな上に料理もうまい、と追加攻撃をくらいHPがいろいろと危ない。


「ナマエさん、どうですか?」
「美味しいです」
「良かった」


ふふ、と上品に笑うシノさんに見惚れた。
同性すら見惚れるこの人に、私が男だったとしたら惚れてしまいそうだ。
チラリとマツバを見ると、黙々とご飯を食べていた。

表情はこれと言って無いが、なんだか嬉しそうに食べているような気がする。
もうマツバとシノさんが揃うと、思考がそっちに向かってしまう。



なんとかその考えを退けようと、席を立ってトイレへ行く。


もう歩き慣れた廊下を進み、トイレでは無く、洗面台の前に立つ。
自分を清めるつもりで、バシャッと顔に水を叩きつけて、適当にタオルを引っ張り出してそれで水分を拭き取る。


「げ」

しまった、化粧がタオルについた。
直ぐにタオルを水に着けると同時に、鏡に人影が写った。


「別にヒトカゲでは無いよ」

「は?」


何言ってんのお前、というような顔をしたマツバに言いたい。
自分でも何を言っているのか分からない。


「お前ら、3人で何してたんだ?」
「…座談会?」
「で、座談会の最中に僕の家に来ようと思った理由は?」
「…………なんとなく」
「今の間は何?」

マツバは腕を組んだまま、壁に背中を預けてため息をついた。
先程までの穏やかなマツバはどこへ行ったのか、今のマツバは素っ気なくて機嫌が悪そうだ。

それを見たら、なんだか悲しくなって涙が出てきそうになったから、また顔に水を叩きつけた。


「で、何しに来たんだ?」

「……理由が無いと、来ちゃ駄目なの?」


思わずポロリと本音が出て焦ったが、口に出してしまったのでもう遅い。
マツバも驚いたようで、少し目を見開いた。



「私は、マツバの恋人だよね?」

「…ああ」

「じゃあ、理由なんて無くても家に来てもいいじゃない。
それとも…、私がいたら迷惑?」

「…何でそうなる」

「だって、シノさんと仲良さそうだったじゃない。
いい雰囲気だったし、私の時とは大違い」


マツバが、私やミナキ以外には表面優しく丁寧に接しているのは分かっている。
分かっているけど、なんだか悔しいのだ。

私の前では滅多に笑わないのに、他の人の前になると惜しげもなく笑顔になる。
別にシノさんに限ったことでは無いけど、あんなに目の前で親しくされると、不安がむくむくと膨れあがってくる。


「仕方がないだろ」

「……だよね」


そう来ると思ってましたよ。
ため息をついて、濡れた顔を濡れたタオルでふく。
あんまり清めの効果は無かったなぁ、なんてぼんやりと考えた。


「ねぇ、シノさんとは何もないよね?」

「無いよ」

「…本当に?」

「無い」

「……本当の本当に?」

「しつこいな」


しつこいな、って…。
そりゃあそうよ、あんなに仲良さげで、しかも今は一緒に住んでいるんだからしつこくくらいなるわ!

一瞬頭が真っ白になって、腹が立って、気がついたら濡れたタオルを掴んでマツバに投げつけていた。
珍しく反応の遅れたマツバに濡れたタオルが直撃して、ビターン!と清々しい程音が響いた。
タオルを投げつけた後でハッと我に返ったが、すべては後の祭りだった。

投げつけタオルがズルリと落ちて、マツバの表情が現わになる。
マツバの表情は、ゾッとするほど無表情だった。


やってしまった!と思った瞬間、近くにあったトイレに駆け込んでドアを閉めた。
ガチャリ、と鍵をかけたらドアの向こうから「いい度胸だな」なんて言葉が聞こえたから、本気で泣きそうになった。

どうしようどうしようどうしよう!と、悩んでいたら、トイレの個室から外に出られそうな窓があった。
慌てて窓を開けると、ドアの向こうからゲンガーの声が聞こえた。
マツバの相棒が呼ばれたということは、何かしらの技を使ってドアを開けるつもりらしい。


ドアが開けられる前になんとか窓から脱出し、そのままフライゴンをボールから出して、背中に乗って逃走した。




(積もり積もって、爆発)


20110528