雨の日

「泊まっていくか?」




それは、衝撃的な一言だった。


食器の片付けをしていた手が思わず止まる。
ゆっくりとマツバの方を向いたら、マツバは浴衣を片手に平然と立っていた。
マツバの持っている浴衣が、いつか私にくれたものだというのも直ぐに分かった。


「今、かなり雨降ってるし」

「そ…うだけど」


先程から、嵐のように雨が振りだした。
家の中にいても、かなりの音が響いてくるので激しさは凄まじいものである。
それに今は深夜0時。
仕事も、明日は休みである。

しかし、マツバがこんなことを言うのは初めてだった。


マツバとは家も近いし、どんなに夜遅くなろうとも自宅に帰っていた。
自宅の方が落ち着くし、マツバの家はホラー的な意味で夜が怖い。
それにマツバも私を家に泊めるという考えは無かったらしく、いつも帰る私を引き留めもしなければ、見送りもしなかった。
むしろ、追い出されていたに近い。


…まぁ、恋人になってからは時々見送りに来てくれたこともあったけれど。

それ故に、私は今までマツバの家に泊まったことが無いのだ。


だから、どうしてこんなことを言うのかと考えて、ある一つの答えに辿り着いた。


もう一度マツバを見るが、マツバは早く返事をしろとばかりに眉間にシワを寄せていた。

……私の考え過ぎか。




「そうだね、帰るのも面倒くさいし……泊まる」

「ん」



マツバは浴衣を机の上に置いて、スタスタと歩いて行ってしまった。
マツバは既にお風呂に入っていたので、次に入れということなんだと思う。






お風呂から上がり、浴衣に着替えて廊下を歩いていると、マツバが縁側に腰掛けていた。
マツバの隣にはムウマがふよふよと浮いている。


「ムウ〜」


ムウマが私の存在に気付き、鳴き声を上げた。
じっと庭を見ていたマツバもチラリとこちらを向いたが、すぐに視線を庭に戻した。
不思議に思って庭を見れば、今降っている雨のせいでできた水溜まりで、ウパーが二匹遊んでいた。



「…何でウパーが」


「どこからか分からないけど、迷って入ってきたみたいだ」


視線の先で、ウパーが二匹でじゃれあっている。
まだ子供なのか、少し体が小さい。

ウパーを見てムウマがチラチラとマツバに視線をやっている。
マツバもそれに気付いたのか、ムウマに行っておいで、と言った。

ムウマは嬉しそうにウパーの元に飛んで行き、何やら話しかけている。
ウパー二匹は、はじめムウマを警戒していたが、すぐに打ち解け、再び水遊びを始めた。

ウパーはともかく、ムウマは雨に打たれていて大丈夫なのかということが気になる。




「こんな雨の中元気だよな。しかも夜だし」


「そうだね……」



もう既に深夜1時を回っていた。
マツバは縁側に腰掛けたまま動きそうになかったので、隣に腰を降ろす。
暫く、お互い無言でウパーとムウマを眺めていた。

するとひょっこり木の影からゲンガーが現れた。
そして、じゃれあう3匹をじっと見ている。
その様子は少し怖いのだが、なんだか可愛らしくも見えた。




「ゲンガーも仲間に入りたいのかな」

「いや、違うな」



どういうこと?と首を捻ってマツバを見たら、またもや遠くの方を見ていた。
相変わらず庭を見ているのだが、方向的に違う気がする。



「外に何かいる」

「………え?」



何か、とはもしかして、あれなんだろうか。
途端に背筋に冷たいものが流れ、ほぼ反射でマツバの腕を掴んだ。
それに驚いたのか、珍しくマツバは肩をビクつかせ、こちらを見た。


「何?」

「だって……何かいるんでしょ?分かってるとは思うけど、私そういうの無理だから」

「…ああ、違うよ」

「え?」

「耳をすませてみなよ」



言われた通り、耳をすませてみるが、雨音しか聞こえない。
首を傾げたら、マツバに「お前の耳は節穴だ」と断定された。
言い切らなくてもいいでしょ。


「ポケモンの声が聞こえる。多分……ヌオーかな」

「よく分かるね」

「のんびりした鳴き声だし。それにちょうど壁の向こうから声が聞こえる」



もう一度耳をすませてみるが、やはり聞こえなかった。
マツバは耳がいいなぁ、と感心していたら、ウパー達の前にゲンガーが現れた。
ゲンガーは何やら壁の向こうを指差しながら話している。
やはり、壁の向こうに何かいるようだ。


「ゲンガー、ウパーを外に出してあげなよ」


遠くにいるゲンガーにマツバが指示を出すと、了解したというようにゲンガーがウパー2匹を抱えた。
そして浮き上がり、壁の向こうへ飛んで行った。
ムウマもそれに付いて行き、辺りは静かになった。
静かとはいっても雨音は響いているけれど。

暫くして、のったりとした鳴き声が聞こえた。


「本当だ、ヌオーの鳴き声」

「だろう」

「うん」


握ったままになっていたマツバの腕から手を離し、庭の壁をじっと見る。
きっとあの壁の向こうで、ヌオーはウパー達を探していたに違いない。
ウパー達の鳴き声も、よく聞こえる。



「会えてよかったね」


「そうだな」



マツバの方を見たら、ちょうどマツバもこちらを見た。
目が合い、お互いに無言になる。

マツバが目を細めて、スイと顔を近付けてきたので、目を閉じる。
その後すぐに、唇に期待通りの柔らかい感触を感じて、ドキリと胸が高鳴る。



「……空気が読めるようになったな」

「…うるさいな」



顔がまだ至近距離にある状態で、マツバがふっと笑った。
発言内容に少し腹が立ったが、マツバが綺麗に笑うから、何も言えない。



「…じゃあ、もう一つ空気を読んでよ」


「……何?」



クスクスと笑っていたマツバの表情が一瞬固まって、視線を反らした。
そして、再びこちらに視線を戻した時には、笑っていなかった。


しかし、その目でなんとなく気づいてしまった。
いつになく真剣で、こちらが射抜かれてしまいそうになる。

マツバの手が、私の頬に添えられる。





「………僕もさ、そろそろ限界なんだ」


「…………」





「意味、分かる?」





……分かるに、決まっているではないか。


コクリと頷けば、マツバはスクリと立ち上がり、縁側と繋がっている自分の寝室の障子を開けた。


そして軽くこちらに振り返り、手を差し伸べる。






「…おいで、ナマエ」





緊張で一瞬戸惑ったが、すぐにマツバの手を取った。
そして、引き寄せられるまま二人で寝室に入る。



再び唇を合わせれば、あとは本能のままに行為は進む。




タン、と障子の閉まる音だけが部屋に響いた。



20110411