これから

じゅうー、と魚を焼きながら思った。
私って、いい彼女なんじゃないだろうか。

マツバの頼みをちゃんと聞いているし。……まあ、後でマツバが怖いからだけど。


魚をお皿に並べて、食卓へ運ぶ。
座敷には、いつものようにマツバが転がっていた。
昨日、今日とポケモンフェスティバルの仕事で忙しかったようで、帰ってきてからずっとこの状態だ。
マツバが帰ってきたのが、夜7時だったのに、もう11時になろうとしていた。
マツバが起きるまで夕飯を待っていたが、一向に目覚める気配が無い。
仕方なく起こすことにしたのだが、マツバの体を揺すったら、腕をがしりと捕まれた。
マツバの目が、ゆっくりと開かれる。



「……何だ、ナマエか」


「……何だと思ったの?」


「ロープ」


「ロープ?」

「そう、ロープ。
あーあ、変な夢見た…」



むくりとマツバは起き上がり、机の上に並べられた料理を見ると、ちゃっかり席についた。
そして両手をあわせて、いただきますと呟いてご飯に手をつけた。
いただきます、とちゃんと言う所が律儀である。
黙々とご飯を食べるマツバを見ていたら、ピンポーンというインターホンの音が聞こえた。
こんな時間に誰だろう、と思い立ち上がりかけたら、マツバに制された。



「僕が出るよ」



そう言ってマツバは立ち上がり、スタスタと歩いて行った。
あまり驚いている様子が見られないことから、どうやらあらかじめ誰かが来ることを知っていたらしい。


マツバが歩いて行ってから暫くして、玄関の戸が開く音が聞こえた。
マツバが帰ってくるまで暇なので、残っていた洗い物を済ませようと台所へ立つ。
お皿を洗い、コップを持ったところでマツバが帰ってきた。
また黙々と遅すぎる夕飯を食べだしたマツバに、先ほどのことを聞いてみた。



「誰だったの?」


「…リーちゃんのお父さん」


「え?」




リーちゃんのお父さんが、何の用事だろう。

そう聞こうとした私より先に、マツバが言った。




「お見合いを勧められているんだ。リーちゃんのお姉さんとの」




衝撃的すぎて手に持っていた食器を滑らせてしまった。

食器は水の溜まったボウルの中に落ちたので、割れることも、大きな音を立てることもなかった。
水道水の流れる音だけが聞こえる。




「ちょっと前から言われてたんだ。代々ホウオウに仕える一族の末裔として、一族の者同士で結婚して、より一族の血の濃い子孫を残す。そうすれば、ホウオウは再び僕達一族の前に現れてくれるんじゃないか……というのが、彼の考えだそうだ。
……まぁ、理由はそれだけじゃないだろうけど」



彼、とはリーちゃんの父親のことだろう。
そういえば、以前マツバに、ホウオウに仕える一族の末裔はマツバだけでは無い、というのを聞いたことがあった。

言われてみればそうだ、マツバの親戚なのだから、全員一族の人間なのだ。




「ホウオウが選んだのは、ヒビキ君。つまり一族以外の人間だ。それが、一部の一族の人間にはどうも気に入らないしい。僕たちはこんなにも修行をつんだのに、トレーナーになって間もない子供に全てを持っていかれたなんて。…僕も悔しかったし、気持ちは分かる」


コトン、と皿を机に置く音が聞こえた。
私はいまだに、手に握っているスポンジを見たまま、動けないでいた。


マツバは、何が言いたいのか。
そればかりが脳内でぐるぐると回っている。



「僕も年頃だし、リーちゃんのお姉さんは僕の2つ下。歳も変わらないし、いいんじゃないか、と言われてる。他の親戚も、それに賛成してる」



「………マツバ、それって…別れ話?」




流れ続ける水道の音がうるさい。

それを止めようと手を伸ばしたら、背後からぎゅう、と抱きしめられた。

体の前にマツバの腕がまわり、マツバの息を耳元で感じる。
背中に感じる体温に更にぎゅう、と抱きしめられると涙腺が緩んだ。


本当に、別れ話だったのか。


握っていたスポンジをもっと握りしめた。
嫌だ。マツバと別れるなんて嫌だ。


グス、と鼻をすすったら、マツバが耳元でクスクスと笑った。



「何を勘違いしてるの?」

「…え?」

「誰が別れるなんて言った。僕はただ、ナマエには話しておこうと思っただけだよ」

「……えっ?」


本格的に笑いだしたマツバに呆然とした。
だって、あんな真面目な話をされたら、そうなのかなと思うに決まっているではないか。
別れ話では無いことには安心したが、こうも笑われるとだんだん腹が立ってきた。


「まぎらわしい話し方しないでよ」

「でも、真面目な話。これから、その関係でちょっとややこしいことになりそうなんだ」

「…そうなの?」

「ああ、だからお前に話しておこうと思ったんだ。あと、これからのことも……」


暫く、マツバが無言になった。
何だろう、と不安になっていると、抱きしめられていた腕が緩んだ。
そのまま回転させられ、握っていたスポンジも奪われる。
水道水はいまだに流れっぱなしだ。


「…マツバ?」

「………」

「?」


マツバは軽く口をひらいたまま、一向になにも言おうとしない。
というか、何かを言いかけているのだが、言葉にならないといったところか。
暫く待って、やっとマツバが口を開いた。


「お前って馬鹿だよな」

「……え?そこまで溜めて言うこと?」


というか、失礼だ。
そしてわざわざ言う事でもない。


「けど面白いよ。一緒にいて楽だし、気をつかわなくていいし……」



それに、と呟いてマツバの手がこちらに伸びてきた。

その手でスルリ、と頬を撫でられる。
あまりにも優しく触れるから、言いかけた言葉が出て来なかった。




「今までも、これからも、お前となら上手くいく気がする」




そう言って、マツバは私の左手を掴んだ。

そして、何かを器用に私の薬指にはめた。

私の指にピッタリ収まったそれは、プラチナの輪にキラキラと光る透明な石が嵌め込まれていた。


それをまじまじと見ていると、左手の指を絡めるように握られ、空いている腕で腰から引き寄せられた。



「ナマエ」


「……なに」


「僕と結婚する気、ある?」



握られた左手の薬指に嵌まるリングを撫で、マツバがそう言うものだから、ついに涙腺が崩壊した。



「……泣くなよ」

「…ごめん、服汚したかも」

「ナマエが責任を持って洗え。それで許してやる」

「…うん」



ぎゅう、とマツバに抱きついたら「返事は?」と囁かれた。
そんなの、決まっているではないか。





「幸せにしてね」


「……努力する」






最大の不安が訪れた日、
最愛の人との未来を誓う



end


20110330