とんとん、とネギを切る手を止めふと考える。
手に握っている包丁や、まな板、シンクにコンロ。
全ての物が見慣れない物である。
ぐるりと周りを見渡してみても、やはり見慣れないこの景色。
いつぞや見た夢のように、心当たりのないものが散乱していた。
しかし、これは夢ではなく現実。
とんとん、とネギを切る作業を再開させ、口元が緩んだ。
「ぐへへ」
我ながら気持ち悪い笑い声だと思う。
もはや変態と言われても何も言い返せそうにない。
「変態」
何も言い返せなかった。
「人の家でニヤニヤするな。気持ち悪い」
「……気配も無く後ろに立たないでください」
ゆっくりと振り向けば、軽蔑の眼差しを送ってくるマツバが立っていた。
そんなバカにした目で見ないで、悲しくなる。
「まだ?」
「あともうちょっと」
「そうか。じゃあ寝てる」
ふああ、とあくびをしてマツバはのそのそと台所を出て行った。
昨日、マツバはあまり寝ていないらしい。
そして何の気まぐれか神のお恵みか、「夕飯をつくれ」との命令が下された。
自分が眠たくて夕飯を作るのがめんどうだから、と理由まで説明された。
当然、最初は断った。
そんなのめんどくさい…と思いかけた刹那、脳にあることが過ぎった。
これは、マツバの家に行く口実になる。
別に行ったことが無いわけではないが、それはもう随分むかしの話だ。
少し前に寝顔を撮りに不法侵入をしたことがあったような気がするが、それは忘れよう。
というか、あの時は寝室にしか入っていないから他の部屋は見ていない。
最近自覚した自分の気持ちのせいもあるが、物凄くマツバの家に行きたくなった。
電話では「しょうがないなぁ、作りに行ってあげるよ」と言ったが内心は「うへへラッキー」だった。
こちらも変態と言われても、何も言い返すことが出来ない。
そして今、マツバの家で夕飯の準備中なのである。
料理には、それなりの自信があった。
こういう時、一人暮らしをしていて良かったと思う。
「マツバー、ご飯出来たよー」
「んー…」
台所から顔を覗かせれば、マツバは座布団を枕にして畳に寝転がっていた。
これがあのエンジュのジムリーダーだとは思えない。
眠そうに、のっそりと起き上がったマツバの周りにはゴース達がふよふよと浮いている。
マツバの髪についた寝癖を見てケタケタと笑っていた。
「……夕飯、それ?」
眠そうなマツバが食卓に置かれたものを見て、眉間にしわを寄せた。
「カツ丼じゃ駄目だった?」
「……いや、そういうわけじゃないけど」
ゆっくりと体をおこし、マツバはまじまじとカツ丼を見た。
カツ丼の隣には味噌汁も添えてある。
そして無言で手をあわせて、箸に手をつけた。
「どう?」
「…まぁ…食べられないことはないな」
黙々とカツ丼を食べるマツバを見て少し安心した。
もしかしたら、こんなの食えるかぁ!とちゃぶ台をひっくり返されるかもと恐れていたのだが、その心配は無さそうだ。
ただ、バカにするような言葉は浴びせられそうな気がする。
「………お前さ」
黙々と食べていたマツバは、ふと箸を止めて言った。
「女っぽくないよな」
「悪かったね」
ひどく真面目な顔で言われ、流石にショックを受けた。
いや、全くその通りなんだけれども、そんなにストレートに言われると私でもキツイ。
「なんていうか……普通の女とは違うよな」
「…普通の女?」
「普通、僕に晩ごはんを作るなら、あっさりした和食か洋食を作る。カツ丼なんてものを作る人なんてまずいない」
それは、あれか?
私は他の女の人のように空気を読むことが出来ていない、と言いたいのか?
「普通、こんなガッツリしたもの作らないだろう」
「何でよ」
「……僕に差し入れとかくれる女の人は、みんな僕に好意があるからね。
カツ丼なんてチャレンジャー精神のあるもの、作ってくる人はいなかった」
ああ、そういうことか。
今まで差し入れで貰った料理は、当たり障りの無い料理ばかり。
マツバに好意を持っているのなら、マツバの好きそうなものや無難な料理にするだろう。
それがまさか、私がカツ丼を作るなんて、マツバにとっては珍しい事だった、ということか。
うん、これは確実に私がイレギュラーだね。
「本当、女っぽくないよな」
「2回言うなよ」
マツバはカツ丼のカツをゲンガーの口に入れ、残りのご飯を口に運ぶ。
油っぽいものは苦手だったかな、と不安になった。
考えてみれば、私もマツバには好意はあるのだ。
好意があるのに……この結果だ。
今更落ち込んでみたところで、何も解決しないのだけど。
「ナマエ」
「なに、…!?」
ムグリと口にカツを突っ込まれた。
無理矢理押し込まれたので、カツはそのまま口の中に入っていく。
あ、やっぱり美味しいや。
「カツいらない」
「………あ、そ」
若干タレのかかったご飯を食べるマツバは、なんだかシュールだった。
マツバがタレご飯……あまり似合わないと思う。というか似合わない。
カツをもぐもぐと食べながらそんなことをぼんやりと考えていた。
「……そういえば、」
「…何?」
タレご飯を食べ終え、マツバは箸を置いた。
「ナマエは女っぽくない」
「3回も言うな」
「…けど、お前は面白いよ」
「……なにそれ…誉めてるの?」
「どうだろう」
マツバはふざけたように笑ったけれど、私は少し嬉しかった。
(きっと、誉めてくれた)
20101210