何かないかと戸棚をごそごそと探していると、箱が落ちてきた。
よく見ればホットケーキミックスだった。
ああ、これはいい。
卵と牛乳もまだあるしちょうどいい、と箱を拾い上げると、もうひとつ戸棚から箱が落ちてきた。
「……クッキー?」
箱にはクッキーミックスと書いてあった。
そういえば、スーパーでホットケーキミックスとついでに買ったんだった。
クッキーなんて今まで作ったことが無かったので、作っみるかという軽い気持ちで購入したものだ。
暫くこの箱を見ていると、なんだか急にクッキーが食べたくなってきた。
今日は休日だし、時間も充分にある。
そういうわけで、初のクッキー作りに挑戦したわけである。
「……おいしい」
初めて作ったわりには、結構上手くできているのではないだろうか。
ポケモン達にもクッキーを食べてもらうと、なかなか美味しいという評価が貰えた。
これ私天才じゃね?
なんて考えているとポンッとマツバの哀れむ視線が思い浮かんだ。
そんなんで天才だと思うの?という言葉のオプション付きである。
こんな時にまで馬鹿にしてくるとは、流石マツバというかなんというか。
しかし、マツバが思い浮かんだと同時に、別のことも思い浮かんだ。
マツバにこのクッキーを渡してみようか。
いやいやいや、いくら何でもそれは不自然というか。
そんなことしたら気持ちがバレてしまうじゃないか。
でも、折角美味しく出来たんだし……。食べてもらいたいな……って私は恋する乙女か。
いや恋する…までは合っているんだけど。いやでも………………。
「………来ちゃったよ」
悩みに悩んだ挙げ句、結局クッキーをジムまで持って来てしまった。
手の中にはキレイにラッピングされた袋。中にはクッキー。
しかもクッキーは出来たものの中からキレイな形のものを選び、追加でゲンガーの形のクッキーも焼いて入れている。
更に、服も可愛い感じのものに着替えている。
本当に恋する乙女みたいだ。
なんだこれは、本当に私なのか。
そして問題がひとつ、ここまでしたはいいが、直接渡せるのか怪しい。非常に、怪しい。
ジムの入り口のドアに近づき、中の様子を伺おうとしたらガチャリとドアが開いた。
「………何やってるの?」
不審そうな目をこちらに向けるマツバに出くわした。
やってしまった!と後悔した時、奥から声がした。
「マツバさん、どうしたんですか?」
女の子の声だった。
「いや、不審な人間がいるなーと思ったら、知り合いだった」
「そうなんですか?」
ひょこりと奥から出て来たのは、どこかで見たことのある女の子。
どこだったか、最近会ったような気がするんだけど。
「まぁ、いいや。
じゃあ、気をつけて」
「あっ、マツバさん」
マツバが女の子に軽く手を上げると、女の子は慌てたようにカバンをごそごそとあさり始めた。
そしてカバンから、可愛いリボンのついた箱を取りだし、スッとマツバに差し出した。
「あの、ポケモンバトルありがとうございました。これ、昨日作ったんです。お口に合うか分からないんですけど……どうぞ」
「へぇ、手作りかい。ありがとう」
ニッコリと笑ったマツバに女の子は赤面し、それでは、と言って小走りで帰って行ってしまった。
去る間際、女の子がチラリてこちらを見た気がした。
何か、完全に負けた気がする。
「で?ナマエは何の用?」
「………」
マツバの手にある可愛い箱をチラリと見た。
私の持っているクッキーの入った袋なんかより手が込んでいて、箱からは美味しそうな甘い匂いが漂っている。
急に、クッキーを渡すのが怖くなった。
手に持っているクッキーの袋を自然な動作で後ろに隠す。
渡せない。あの子の後では渡せない。
「いや、ちょうど通りかかったから、ジム戦でもしてないかな〜と思って覗いただけ」
「ふぅん。もうちょっと早かったら見られたのに」
「……さっきの女の子、チャレンジャー?」
「ああ。何回か来てる子だよ。腕もそこそこある」
「へぇ〜…」
なんとか誤魔化せただろうか?
マツバも特に不審がっていないし、作戦成功と言ってもいいだろう。
ナマエは後ろに隠したクッキーの袋をぎゅう、と握り、片手を上げた。
「そ、それじゃあ私はこれでっ!?」
ふいに上げた片手をガシリと捕まれた。
手を掴むあまりの力の強さに声をあげてしまった。
「いだだだだマツバ痛い」
「後ろに隠しているものは何?」
見透かすような目でこちらをじっと見るマツバに、肩がビクリと震えた。
なんだコイツ透視能力でもあるのか!
そう心の中で叫んで、はたと動きが停止した。
同時にジムの前にある看板に目が止まった。
エンジュシティポケモンジム、リーダーマツバ、千里眼を持つ修験者…千里眼、千里眼、せんりがん。
しまった、能力者だった!
「ゲンガー」
「え!?」
ふいに手の中にあった袋の感覚がなくなり、振り向くとニシシと笑みを浮かべるゲンガーが立っていた。
ゲンガーの手の中にはクッキーの入った袋。
袋は握りしめすぎてぐちゃぐちゃになっていた。
ゲンガーの持つクッキーの袋を取り返そうと手を伸ばしたが、ゲンガーは一瞬で姿を消し、マツバの横にふっと現れた。
そして最悪なことに、ケタケタと笑いながらマツバにクッキーの袋を渡してしまった。
「何だい、これは?」
「え、いや、その…」
ラッピングされた袋をじっと見るマツバから視線を反らした。
恥ずかしい。とても恥ずかしい。
身体中の熱が顔に集まってきている気がする。
そして、あろうことかマツバは袋を開封し、中のクッキーをつまみ出した。
マツバがつまみ出したクッキーは丁度ゲンガーの形をしたクッキーで、ゲンガーはゲンゲン!と嬉しそうに鳴いた。
そんなゲンガーにマツバはクッキーを渡し、もうひとつクッキーを取り出した。
「で、何これ?」
「あ、え、いや……今日、作って……上手く出来たから…その…」
「ふぅん?
上手く出来たから、僕に食べて貰いたいって?」
「!」
カッと体温が上昇した。
ニヤリと笑みを浮かべたマツバに羞恥心が沸き上がり、思わずマツバから背を向け全力疾走をした。
が、直ぐに腕をガシリと捕まれ、疾走は不発に終わった。
「離せ離せ離せ離せぇ…」
「まぁ、落ち着けよ」
ギロリと睨みつけると、マツバは必死に笑いを堪えているようだった。
口元を押さえ、体を震わせながら笑いを堪えているマツバを見て、ナマエは驚きで動きが停止した。
こんな風に笑っているマツバを見たのは、久し振りかもしれない。
ポカンとマツバを見ていると、それに気付いたのかマツバは笑いを堪えながら言った。
「お前…素直過ぎるだろ」
「……うるさいな」
明らかに楽しんでいる様子のマツバを睨みつけると、マツバは持っていたクッキーを口に入れた。
「まぁ、ナマエにしては上出来だな」
「…偉そうに」
視界の端でゲンガーがバリバリとクッキーを食べていた。
ああ、マツバに食べて貰いたかったのに…と少し寂しくなった。
しかし、頭に乗ったものにそんな考えは吹き飛んでしまった。
「今度はゴースやゴーストの形のものも焼いて来いよ」
わしゃりと頭を撫でられ、今から家に帰る前にクッキーミックスを買って帰ろうと心に決めた。
(今日のマツバは少しだけ優しかった)
20101127