私と彼の昔の話

初めて会った頃の私とノボリの仲は、決していいものでは無かった。正確に言えば、私がかなりノボリを敵視していただけなんだけど。


「ノボリ君、今時間空いてるな?」

「少しなら」

「ならバトルしない?」

「……またですか」


私が睨んでいるものだから、ノボリの表情も固く眉間に皺を寄せている。
ノボリの隣に立っているクダリはオロオロと私とノボリを見比べている。


「いつまでも勝ち続けられると思わないでよ」

「そうは思っていませんが、負けるつもりもありません」

「…………」

「…………」



私とノボリのバトルは、恒例行事になりつつあった。
休み時間にバトルフィールドを借りてはバトルをしているものだから、周りもまたやってるよという対応で、珍しがる人間もいなかった。
そして、バトルの決着はいつもノボリの勝利で終わることも、当たり前のことになっていた。


「……負けた」

「これでわたくしの20戦20勝ですね」

「うっさいわボケ!」



ギリギリ、と歯を噛みしめながらノボリを睨むと、ノボリは呆れたようにため息をついた。


「女性がそのような言葉を使うべきでは無いと思いますよ」

「…うるさいですボケ」

「……やれやれ」


ハァ、とため息をつかれると、流石に私も傷ついた。
負ける度に意地をはってはいるのだが、流石に何度も悔しさが積み重なると込み上げてくるものがある。
それに、ノボリに呆れたように見られるのもなかなかダメージを負うものだ。

下唇を噛み堪えようとしたら、油断して涙腺が緩んだ。
ぽろっと涙が溢れた瞬間、ノボリはぎょっとしたような表情で固まった。
しまった、と思った時には既に遅く、ノボリがツカツカと早足でこちらに近寄ってきた。



「ちょ、来ないでよ」

「………」



若干後退りノボリと距離を取るが、ノボリは無表情のまま無言で近付いてくる。
そんなノボリに別の意味で恐怖し、逃走したらノボリまで追ってきた。



「来るなあああ!」

「無理です!」

「私が無理!来ないで怖いいい!」



無表情で追いかけてくるものだから、何かサイボーグに追われているような感覚に陥り、本当に恐怖した。
そのおかげで、涙は引っ込んだが、別の意味で泣きそうだ。


「ナマエ様!ホームで走ると大変危険ですので今すぐ止まりなさい!」

「ノボリ君も走ってるじゃん!」

「わたくしには貴女を止める義務があります!止まりなさい!」

「じゃあ追いかけて来ないでよ!」

「無理だと言っているでしょう!止まれ!」



若干口調が変わりつつあるノボリから逃走するも、流石に体力の限界を迎えついにノボリに捕まった。
お互いに上がった息を整えつつ、何でこんなことになったのか思い出すのに時間がかかった。
逃げることに必死で、ことの成り行きを忘れていた。



「申し訳ありません、泣かせてしまいました」


そう言ってハンカチを差し出されたが、先ほどの追いかけっこで涙が出て来る気配は無い。



「いや…いいよ。私こそごめん」
「しかし、」
「私が負けて悔しかったから、勝手に泣いただけ。ノボリ君は悪くない」
「………」


それに、ノボリの無表情追跡のおかげで泣いたというよりは、泣きかけた、で終わったし。
逆に涙がひっこんで助かった。



「少し…聞きたいことがあるのですが」


「何?」

「貴女は…わたくしのどこが気に食わないのでしょうか、教えていただけませんか?」

「…は?」

「今後、改善しますので」

「ごめん…何の話?」

「貴女は…わたくしのことが嫌いなのでしょう?」


ノボリがしゅんとしたような表情でそう言うものだから、思わず固まってしまった。
何故、そんな話になるのだろうか。


「別にそういうわけじゃないんだけど…なんで?」

「何故って…貴女は毎日飽きもせずわたくしに勝負をしかけてくるし、すれ違うたびに睨んでくるではありませんか。
……それに、今も泣かせてしまいました」



ノボリにそう言われポカンとしたが、言い分は確かに納得のいくものだった。

バトルに負けてから、打倒ノボリと勝手にノボリを敵視し、バトルをしかけたり、やたら突っかかってみたりと、我ながら子供のようなことをしていた。
ちょっと大人気ないかなー、と最近自覚しつつあったが、目の前のノボリを見て本気で後悔した。
俯いているのだが、ノボリの背が高いせいで表情がこちらに丸見えで。
若干泣きそうな表情のノボリに、ひどく罪悪感を感じた。


「違うの。ノボリ君が嫌いとか、そういうわけじゃなくて。私がただ、負けまくるから悔しかっただけというか…」

「………」

「ごめん…ノボリ君にバトルで勝てないから、普段から八つ当たりみたいなことしてた。でもそれはノボリ君が悪いんじゃなくて、私が一方的にやっていたことだから…私が悪いです」

「…それは本当ですか?」

「本当よ」

「……そうですか」



ふう、と息をついてノボリは帽子を被り直した。
無表情の中にも、少しすっきりした、という感情が現れている。
それに安心したのは、もしかしたらノボリ君ではなく、私だったかもしれない。



「毎日のように貴女様に睨まれるので、わたくしが何かしてしまったのか不安になりました」

「……ごめんなさい」

「しかし、貴女様の話を聞いて安心しました。
八つ当たりであるというのは予想がついていましたので」

「………」


先程までの、しゅんとしたノボリはどこへ行ったのか。
自分が悪くないと分かった瞬間、態度が変わったのでなんともいえない気持ちになった。
さっきまでのノボリはあれか、演技か。


「…やっぱり、ノボリ君のこと嫌いかも」

「えっ」


そう言った途端、ノボリ君はまたしゅんとしたので慌てて謝った。どうやら、演技では無かったらしい。

それにしても、ノボリ君にも感情があったのかと失礼なことを考えた。
普段ずっとムスッとした表情でいる彼からは想像がつかない程、今は感情が表に出ている。





「…というわけで、誤解が解けてよかったよ」

「ええ、わたくしもスッキリしました」

「でも、バトルにはまだ付き合ってもらうよ。いつか絶対に、ノボリ君に勝つんだから」

「…そうですか。
………はい、受けて立ちましょう」



少し口元を緩ませて、ノボリは右手を差し出してきた。
ノボリの笑った顔を初めて見た驚きで、一瞬思考が停止したが、慌ててその右手を握った。
改めてノボリと知り合いになれたような気がして、少し嬉しかった。



「仲が良いのはいいことだがなぁ……」


はたと、聞き覚えのある声がして振り向けば、にっこりと笑ったボスが立っていた。
ただ、本当に笑っているわけではなく、真の感情を笑顔で覆い隠しているだけだ。


「バトルフィールド使用後の整備忘れ、ホームを全力疾走…挙げ句の果てには、仕事放棄かお前ら」


コツコツと腕時計をたたくボスの仕草を見て慌てて時計を確認すれば、昼休みは既に終わり、仕事の時間も過ぎていた。


私とノボリが青ざめたタイミングで、ボスは張り付けた笑顔のまま言った。



「お前ら、減給な」


20111010