12

シンオウ行きの船の上、手すりに肘をつき、片頬を支える。
ちょうど海の向こうに夕日が沈むのが見える。
これこそ黄昏と言うのだな、とぼんやりと考えていた。


「夕日が綺麗ね」
「君のほうが綺麗だよ」
「もう、ばかっ」


隣でイチャつくカップルがうざい。
船の上には、今ちょうど夕日が綺麗なので、それを見ようと人が多く集まっている。
このカップルの他にも、夕日を見てうっとりしている人も多い。

隣のカップルから少し距離をとり、ぼーっと夕日を見つめる。
勢いでダイゴの家を出て来てしまい、もうすでに引き返せないほどの距離を進んだ。
そのうちホウエンの大陸も見えなくなるだろう。
遠ざかる懐かしい土地を見つめ、そう思った。

ダイゴはお見合い相手とは上手くいっただろうか。
上手くいくだろうな、ダイゴは顔はいいし、優しいし、チャンピオンだからポケモンバトルも強いし。



「………」


じわり、と視界が歪んだ。
あれだけ泣いたのに、涙がまだ出るんだと不思議に思う。
一生分泣いたつもりだったのに。

頬に雫がツーと流れる。
端から見たら、夕日を見て感動している人間に見えるだろうか。

そんなことを考えていたら、なにやら船の上が騒がしくなった。
「何だあれは!」という男の人の声と同時にドスン!と何かが大きいものが落ちて来たような音がした。
何事かと、騒ぎの中心を見るが、人だかりで上手く見えない。

「どちら様ですか?困ります、勝手なことをされては!」


乗務員の声が聞こえる。
それに対し、騒ぎの中心にいるだろう人物の声が響いた。



「突然すみません。僕の名前は、ツワブキダイゴ。ホウエンリーグのチャンピオンです」



途端に集まっている人々がざわめく。
なんでチャンピオンがこんなところに、と最もなことを言っている。
これには流石に、乗務員は何も言えなかった。
相手はホウエン一強いポケモントレーナーである。

人だかりの隙間から、確かにダイゴの姿を確認出来た。
隣にはエアームドの姿もある。
先程の何かが落ちてきたような音は、エアームドが船に着地した音だったようだ。


半ば放心状態で騒ぎを見ていると、ダイゴが人を掻き分けてこちらにやって来た。
よくあれだけの人間に囲まれていながら私の存在に気付いたものだと感心した。


動けずにいた私の手前、2メートルの所で、ダイゴは足を止めた。
ダイゴの顔に表情は無く、ただこちらを無表情で睨んでいる。


「何で…ここに?」

「何でだと思う?」


ダイゴの無表情が怖い。
確実に怒っている。
思わず息を飲んだ。


「探すの大変だったよ。乗客名簿と船の進路、なかなか教えてもらえなくてね。まぁ、チャンピオンだって言えばすんなり見せて貰えたけど」

「……職権濫用」

「こういう時に使わなくてどうするって言うんだ?」


ダイゴはかすかに笑ったが、やはり無表情は崩さない。
背中に冷たい汗が流れる。
ダイゴから、目が離せない。



「何で勝手に出て行った?」


強い口調だった。
普段温和なダイゴからは想像がつかないくらい、恐ろしい響きだった。


「…シンオウに帰るって言ったじゃない」

「今日、とは聞いてない」

「…別に、いいでしょ」

「嘘つき」

「嘘、つきはダイゴでしょ!?」

怒りにまかせて思わず叫んでしまった。
周りに集まっている野次馬がザワザワと話始める。
修羅場かしら、と言う女性の声が聞こえた。


「私知ってるんだから…。昨日の電話、お見合い相手の人からだったでしょ?」

「………」

若干、ダイゴの無表情がひきつった。それが証拠だ。


「ミクリさんからじゃないよね?今日だってその人のところに行ってたよね?綺麗なスーツ着てさ!」


ああ、本当に腹がたつ。
何しに来たんだコイツ。
さっきから黙ったままだ。


「私が何でシンオウに帰ろうと思ったか分かる?私がいたらダイゴの結婚の邪魔になるからよ!気をつかってあげたんだから感謝くらいしてほしいものだわ!」

「じゃあ、何でホウエンに来たんだ?」

「そ、……」


それは、と出かかった言葉を飲み込んだ。
ダイゴに約束したから、と素直に言う気も無かったし、ましてや本心も言えるわけがない。
だから、私は可愛げがない。
言い淀んだ私を見て、ダイゴはやっと無表情を崩した。
綺麗な顔でクスッと笑うダイゴの表情に、いつもならドキリとするはずが、状況が状況だけに笑えなかった。



「もうひとつ、もし僕に婚約者がいなかったとしたら、いつまで僕の家に居るつもりだった?」


ぐ、と唇を噛んだ。
何でこう、答えにくい質問をしてくるんだとダイゴを睨んだが、奴は涼しい顔をしている。
効果無し、ということか。


「へぇ…婚約者だったんだ」

「まあね。縁談が上手く行ったから」

「あっそう」


むかつくむかつくむかつく、そしてそれ以上に悔しい。
ギリと唇を噛んだら血の味がした。


「質問に答えてよ。いつまで居るつもりだった?」

「………知らない」

「答えろ」


こんな表情をするダイゴは初めてみる。
目に光が無く、ただこちらを写すだけだ。
穏和な表情は身を潜め、口元は真っ直ぐでピクリとも動かない。
こんな彼は見たことがなく、怖いと思った。
思わず後ずさるが、後ろには手すりがありそれ以上後退することが出来なかった。


「だって……そんなの」

「何?」

「………言えない」


ダイゴには婚約者がいるじゃないか。

ついに両目の涙腺が崩壊した。
今までよく耐えてくれた、なんて場違いなことを考えていないと、もっと溢れてきそうだ。
泣いたところで、何の解決にもならない。

ああ、泣き顔は見せたくなかったのに。とんだ恥さらしだ。



「私は、約束を守っただけよ」



泣いたら、気持ちの箍が外れた。
恥じなんて知るか、とつい数分前の自分をあっさりと捨てた。
どうせもうダイゴに会うことは無いだろう、なら全てぶちまけてやろうじゃないか。



「……約束?」

「ダイゴは忘れてるかもしれないけど、5年前の別れ際に約束した!またホウエンに帰ってくるからって。だからホウエンに来たのよ!いつまで居るとか、そんなこと最初から考えてなんかなかったのよ!」

「…………」

「私は、約束を守った。でもダイゴは守ってくれなかった!どれだけ期待したと思ってるの!私、わたし、は…ダイゴほど、…慣れてないのよ。思わせぶりな事……言わないでよ。じゃないと、」


馬鹿だから、信じてしまう。



「…ナマエ」

「こっち来ないで!」


カツリ、と一歩踏み出したダイゴから逃げるように後退する、が先程と同じようにこれ以上下がることができない。
同じ失敗を繰り返してしまうほど頭が混乱している。
ダイゴは相変わらずの無表情だ。


「私の言ったこと聞こえなかった?思わせぶりなことしないで」

「何で?」

「何で…って、馬鹿じゃないの!?」

「期待していればいいんだよ」

「は、」


カツリと靴音が響く、スローモーションのように目の前にやって来たダイゴが、やっと無表情を崩した。
よく見ると、ダイゴの笑顔は泣きそうだった。
それに呆気にとられていると、ゆっくりと抱き締められた。




「ごめん、言い過ぎた」

「ちょっと……」

「でも、馬鹿はナマエの方だよ」

「なにを、」

「家に居なかったから、凄く焦った」




グスと鼻をすする音が耳元で聞こえた。
ダイゴの声もかすかに震えている。
途端に、言い返そうと躍起になっていた自分が沈静化される。
罪悪感が込み上げ、何も言い返せなくなった。




「今日さ、断ってきたんだ」

「……何を」

「婚約」

「…は、」

「ちょっと、きつかったけど」


笑いながらそう言うダイゴに、笑い事ではないと言ってやりたかったが、声にならなかった。


「何で」

「そうだね、結婚するのは好きな子とが良かったんだよ」

「………」

「あれ、喜んでくれないの?」

「…それ、本気で言ってる?」

「本気だよ」

「勘違いするよ?」

「勘違いすればいいよ。勘違いじゃないから」

「……どっちよ」

「そうだね、」


こっちかな、と言ってダイゴの腕の力が緩まった。
何だと思っていたら、くいと顎を上げられ、口を塞がれた。
二回目のキスは、かなりディープだった。




「好きだよ」


息も絶え絶えな私の耳元で、ダイゴは熱い息と共に囁いた。

また涙腺が崩壊してしまった。



20110308