07

少し、いや、かなり気になることがある。


「今日は家に帰れないから」

「…うん」

「それじゃあ、いってきます」
「いってらっしゃい」


ここのところ大きな仕事が続いているらしく、ダイゴは少し疲れた表情で出勤して行った。
正直、こんな新婚夫婦のような会話を交わしていて嬉しくないわけがないのだが、不安要素が邪魔をして素直に喜べなかった。

ダイゴを送り出し、広いリビングのカーペットの上でボケッとしているチルタリスに抱きついた。
寝起きで意識がはっきりしていないのか、チルタリスは特に何の反応も示さなかった。


「…なんで、私のこと聞かないんだろう」


モフモフとした羽に顔をうめ、ぽつりと呟く。

ダイゴの家に住みはじめて、もうすぐ1ヶ月が経とうとしていた。
いくら昔馴染みだからと言って、こんなに長い間他人を、しかも異性(ダイゴが私を異性として見てくれているかは不明)を家に置いてくれるダイゴには感謝している。
しかし、私がいつまでホウエン、ダイゴの家に居るのか、という質問をダイゴにされたことがない。

いつかダイゴに質問されるだろうと、いろいろな言い訳を考えてスタンバイしていたのだが、そんな気配はひとつもない。

これは、どういうことなんだろうか?
普通、気になるはずだし、ダイゴはそういうところはキッチリしていそうだ。

いつまでもここに居てもいいということなのか、それとも早く出て行けという無言の訴えなのか。
ダイゴは、どう思っているのだろうか。


ポケットから合鍵を取りだし、じっと見つめる。
とても馬鹿なことをしているという自覚はある。
いまだに、あの日、別れ際に交わしたあの約束に期待を抱いている。
約束ですら無かったかもしれないのに、じっと待っている私は、本当に馬鹿だ。




「また、ホウエンに来るよ。私が大人になったら、一人ででもホウエンに帰って来る」

「そっか。じゃあ、また会えるね」

「うん。だから、待っててよ」

「うん、待ってる。
……じゃあ、僕も、」

「なに?」

「もし、ナマエがホウエンに帰って来た時結婚していなかったら、僕がナマエを貰ってあげる」

「……なにそれ。馬鹿にしてるの?」

「はは、どうだろう」





「…絶対、冗談だよね」


それでも、あの時私は嬉しかったのだ。
ダイゴとは仲のいい友達のふりをして、照れ臭くて強気な態度ばかり取っていた。
本当は、仲のいい友達、という以上の感情を抱いていた。
強気な態度を取っていないと、油断した時にダイゴに対する気持ちのボロが出てしまいそうだった。


私は確かに、ホウエンに帰ってくると彼に約束した。
しかし、彼は…?


タイミング良く、チルタリスがクチバシで私の頭をつついた。
まるで慰めてくれているようだ、と嬉しくて涙が出た。
だからこれは、嬉し涙なのだ。

「チルタリス…、どうしようか」

チルタリスは、また優しく頭をつついた。


20110224

ダイゴは、翌日の夕方に帰宅した。
仕事はとりあえず片付いたらしく、家に帰って風呂に入るなり、すぐに寝室のベッドに倒れるように寝てしまった。
布団をかけてもピクリとも動かないところを見ると、かなり疲れていたようだ。

「お疲れ様……」


ダイゴの髪をさらりと撫で、髪の質感に驚いた。
なんてサラサラした髪なんだろう。
もう一度、今度は指で梳いてみる。
暗い部屋の中で、鈍く銀色に光る髪は、サラリと指の間を通り抜けていく。
男のくせに、綺麗な髪をしている。


ダイゴは相変わらずピクリとも動かない。
死んでいるんじゃないだろうか、と疑いたくなるほどに。
次は頬をつついて見た。
ふに、と柔らかい感触がした。
それと同時に、少しザラついた肌の感触。
疲労からか、少し肌が荒れているように思う。

そして次に、少し開いた唇に目がついた。
無意識のうちにその唇に触れようとして、ハッと我に返った。
何をしているんだ、私は。
まるで寝込みを襲っているようだ、と頭をかかえた。


「あああ……」

奇声を発して、どうにか恥ずかしさを誤魔化そうとしたが、上手くはいかなかった。

そして、視界の端で未だにダイゴの唇を見ていることに、我ながらなんてスケベなんだと思った。


「…………」


じっとダイゴを見つめ、試しに少しだけ顔を近づけてみた。
やはり、ダイゴはピクリとも動かない。

ゴクリ、と唾を飲んだ音が部屋中に響いた。


そして、恐る恐るダイゴに顔を近付け、ゆっくりと唇を重ねた。
音も無く離れたそれは、とても熱くて、その感触を忘れられそうにない。

ほう、と息をついて自分の唇に触れる。


「…やっちゃった」


お茶らけた風に言ってみたが、ダイゴはやはりピクリとも動かなかった。


そして、ふとベッドの足元に置かれた紙袋に目がついた。
今日ダイゴが帰ってきた時に、彼が下げていた物だ。
その真っ白な紙袋から、なにやら分厚いパンフレットのようなものが覗いていた。
二つ折りのそれに見覚えがあるが、そうだとは信じたくなかった。

恐る恐る、紙袋からそれを抜き取った。
ダイゴは寝ているのに、勝手に彼の物を見るのはいけないことだと分かってはいたが、先程キスをしてしまったことでその概念はどこかへ行ってしまった。
ゆっくり、それを開くと、案の定写真があった。
綺麗な着物に身を包み、こちらに笑いかける女の人も、綺麗だった。

そして、このお見合い写真の間に挟まれていた封筒を見て、泣きたくなった。


宛先には、知らない女性の名前が書いてあった。

差出人は、眠り続けるこの男。


20110225