ああ、これは夢なのだろうか。
私の隣に座るマツバが、机を挟んで正面に座る私の両親に向かって、そう言ったのだ。
気恥ずかしくもあるが、嬉しくてなんだかふわふわした気持ちになる。
勿論、その中には緊張という気持ちも含まれている。
そして、マツバの言葉に続いた両親の言葉が、これだった。
「マツバくん、本気かい!?」
「早まっちゃ駄目よ、世の中にはもっといい女の子がゴロゴロしてるのよ!?」
絶句である。
私はまあ置いておいて、マツバは珍しく呆気にとられている。
どう反応すればいいのか、困っているらしい。
マツバの言葉にときめいたころで、両親のこの発言である。
すべて台無しだ。
そして、娘を何だと思っているんだ。
「ナマエにマツバくんは勿体無いわ…今からでも考え直せるのよ?」
「ナマエにそう言えと強要されたのか?正直に言ってくれ」
「…いえ、本気です」
若干気圧されつつ、マツバが答えた。
それを聞いて両親二人は顔を見合わせ、もう一度マツバを見た。
「…ナマエでいいのかい?」
「はい。ナマエさんでなければ、駄目なんです」
話が進まない、と押しのつもりで言ったのだろうが、マツバにそんなことまで言われるとは思っていなかったので不意討ちをくらった。
正直キュンとした。
はっきりとそう言ったマツバに赤面しつつ、両親の様子を伺う。
答えは薄々分かっているから、早く答えて欲しい。
「……そうか、ナマエとマツバくんが結婚」
「ねぇアナタ、ということはマツバくんが私達の息子になるってことよね…?」
「ああ!そうか…そうなるな」
マツバくんが息子に、という発言あたりで両親の目の色が変わった。
ここで、かなり昔「マツバ君が息子に欲しい」と私を見て嘆いていた両親を唐突に思い出した。
「マツバくん、うちの娘は馬鹿で女らしくなくていろいろ問題があるとは思うけど、よろしくね!」
私のことでは無く、マツバのことで結婚を承諾するとは、この二人は本当に私の親なのだろうか。
マツバもいつもの笑顔ではいるが、若干眉がひきつっている。
いろんな意味で、私の両親は予想外だった。
「いつも思うけど、お前の両親って変わってるよな」
「私も、そう思う」
折角久しぶりに会ったのだから、と夕飯を一緒に食べに行く約束をし、両親は研究所に出かけて行った。どうやら片付けなければならない仕事が残っているらしい。
2時間程で帰るらしいので、私とマツバは両親の住むマンションにお留守番である。
「暇だな」
「……うん」
確かに、と頷く。
当初の予定より早くクロガネシティに着いてしまったため、両親への挨拶は完了したが、時間をもて余すことになった。
どこかへ観光に行くというほど時間があるわけでも無いので、特に何も出来ない。
「ねぇ、マツバ」
「何」
「私達、結婚するんだね」
「そうだな」
「あんまり実感無いなー」
そう言えば、マツバもクスリと笑った。
そういえば、マツバの柔らかい表情を最近見るようになった気がする。
もしかして、私と結婚するからだったりして、
「これで家事の心配はしなくていい」
ええ、どうせそんなことだろうとは思ったよ。
期待した私が馬鹿だった。
「私、家政婦じゃないんだけど」
「似たようなものだろ」
「全然違うわ」
「そういえば、話は変わるんだけど」
時間をもて余し、先ほどからシンオウの観光雑誌を読んでいたマツバは、思い出したように顔を上げた。
「お前、仕事はどうする?」
「え?」
「警備の仕事だよ。このまま続けるの?」
仕事のことは、考えていなかったわけではない。
結婚を期に辞めようかとも思ったが、あまり家に負担をかけたくないし、このまま続けようとなんとなく決めてはあった。
「続けようと思ってるんだけど」
「何で?」
「家にあんまり負担をかけたくないし」
「負担は別にたいしたことないからいいよ」
「いや、でも……」
「何、不安?」
「そういう訳じゃないんだけど…」
別に、どうしても続けたいという訳では無いのだが、負担になるとは別に、少しお金を貯めたいと個人的に考えていることがある。
言えないことでは無いのだが、なんだか恥ずかしくて、言い出しにくい。
ちらりとマツバを伺えば、「だったらどういう理由?」と聞かれた。
「いや……その、」
「何」
かなり先のことになるだろうし、今から心配するには早すぎることゆえに言いにくい。
というか、マツバの反応が怖い。
「…………」
「さっさと言え」
「…………」
「…………」
「……こ、」
「こ?」
「………子供が…出来た時のために…お金を貯めたいなぁ…と」
恐る恐るマツバの様子を伺えば、マツバは少し驚いたような表情でこちらを見た。
そして「あー」と呟いて、視線を反らした。
しかし、すぐに視線を戻し、変わらぬ表情で答えた。
「…別に、そんな心配しなくてもいいのに」
拒絶されなかったことに、酷く安心した。
少なくとも、マツバは子供がいらないというわけでは無さそうだ。
「心配というか…やっぱりお金はあったほうが安心するじゃない?」
「まあ、そうだけど…」
ふーん、と呟いてやや考えた後、マツバはカバンから通帳を取り出した。
通帳を開き、私にそれを見せてくれた。
「…え、なにこれ!?」
「随分前から貯めてたんだ。本当は、お前の両親に結婚を反対された時の最終手段の財力アピールとして、持って来てたんだけど」
「…これ、貯めてたって額なの?」
「まあ、そこは秘密かな」
一体どうやってこんなにお金を稼いだのだろうか。
ジムリーダーの収入もそこまで良いという訳では無い、とマツバに聞いたことがあったので余計気になる。
しかし、それを聞くのは何だか恐ろしい気がした。
マツバがフフフ、と不敵に笑っているから尚更。
「…まぁ、見せた通り、お金の心配は無いよ。それに、ナマエには家にいて欲しい」
「えっ」
至極真面目にそう言われ、思わずマツバを凝視した。
マツバはとくに表情を変えず、ずっとこちらを見ている。
それはどういう意味なのだろうか。
私が家に居て、出迎えて欲しいとか…では無いか。
いやでも、マツバもなんだか真面目そうだし、案外そういう理由かも。
うわ、どうしよう…嬉しいかもしれない。
「家の家事にジムの手伝い、その他にもいろいろ仕事があるから、警備の仕事辞めろ」
うん、勝手に想像した私が馬鹿だった。
「もうちょっと言い方は無いの?」
「仕事やめろ」
「いやいやいや」
もっと言い方悪いわ、と言えばこの方が簡単だろ、と返され、思わず納得してしまった。
確かに、言いたいことはよくわかるのだが……こう、本当にもうちょっと言い方を選べなかったのだろうか。
「何、嫌なの?」
「嫌なわけでは……」
「安心しなよ、家事と手伝いだけの理由で、お前に家にいて欲しいわけじゃない」
「えっ」
私が期待を込めた目でマツバを見ると、マツバは気まずげに視線を反らした。
マツバが視線を反らすのは、大抵照れ隠しであると知っているが故に、口元が緩む。
「…気持ち悪いんだけど」
ニヤニヤしているだろう私に、マツバは嫌そうにそう言った。
20111119