ロマンスがはじまる

青城のアマゾネス、それが私のあだ名だ。


幼い頃の私は、それはそれは気性の荒い女の子だった。
小さい頃から背が高く、力も強くてまるで男のようだと言われたことは数知れない。
「やーい暴力女」とからかわれるたび、怒って殴る蹴るを繰り出していたために、幼稚園でついたあだ名は怪獣。

小学校に上がった頃は、オトコオンナというあだ名で呼ばれ続け、いつしかそう呼ばれる事を苦痛に感じなくなった。
小さいながらも、他の女の子に比べて自分は可愛らしさが欠如していると理解もしていた。
そのくせ内面は思いのほか純情で、4年間くらいおとなしく優しい男の子に恋をしていた。
卒業式の日に初恋の男の子に告白して、振られたことは今となっては良い思い出である。

中学に上がって、素行が落ち着いたナマエだったが、周りの対応は大して変わら無かった。
幼稚園から小学時代の自身の横暴さが招いた結果である。

お洒落にお化粧、思春期の女の子のたしなみに密かに憧れていたが、ナマエがそれに興味があると言うと、周りの人間は半笑いになるのだ。
お前もそんなことに興味あんの?とクラスの男子に笑われたのは、それなりにショックだった。
そんなナマエが打ち込んだのは、テニス部での活動で、夏は日焼けで真っ黒になるまでコートを走り回っていた。
運動が得意だったために、部活ではそれなりの成績を残せたものの、友達に彼氏ができたという話を聞くと憧れずにはいられなかった。
私もきらきらとした甘い恋がしてみたい、そう決意して高校入学の際は思い切ってイメージを変えるように務めた。
いつも短髪だった髪を伸ばし、筆箱などの小物は好みの花柄に、通学時の靴はスニーカーではなくローファーに。
女の子には至極当たり前のことなのかもしれないが、ナマエにとってはそれがいっぱいいっぱいだった。


そうして気合いを入れて臨んだ入学式、流石に15歳にもなると皆精神的に落ち着くために、ナマエを見て笑う人間は誰もいなかった。
始業式を終え、帰路についたナマエは、「高校では上手くいきそうだ!」と高校生活に夢を膨らませた。


しかし、そんなナマエの浮ついた思いは、始業式の翌日に打ち砕かれることになる。

学校からの帰宅途中、ナマエは他校の男子に囲まれているクラスメイトの女の子を目撃した。
腕を引かれ、今にも引きずられていきそうな彼女の目には涙が浮かんでいた。
咄嗟に周りを見回すも、ナマエ以外この場におらず、連れて行かれる彼女もナマエの存在に気づいて助けを求めた。
男子生徒に声をかけ、彼女を離せと言ってみたものの、ナマエは彼らに全く相手にされない。
話しかけるだけでは埒が明かない。
ナマエは意を決してに地面を蹴り、女の子に絡む男子生徒に突進した。
小さい頃に習っていた武道を思い出しながら、ナマエを取り押さえようとする男共を凪ぎ払い、絡まれていた女子生徒を連れ出した。
確か近くに交番があったはず、と思考を巡らせて逃走している最中、男子生徒のひとりがナマエ達に追いついて、髪を強く掴まれた。
咄嗟に振り返り、体勢を立て直して無意識に握ったこぶしをぶつけると、それが丁度男子生徒の鼻に直撃した。
途端、鼻血をふきだした男子生徒の血を浴びて、おろしたての制服は早速汚れることになった。
このあと、なんとか交番に駆け込んで事態が収拾するまでにそれなりの時間を要した。

この時ナマエが助けた女の子は、それはそれはナマエに感謝し、今では高校生活での一番の親友となった。


しかしこの時のナマエは、この騒ぎがこんなにも広がるだなんて思いもしなかったのだ。

事件の翌日には、ナマエの行動が尾ひれ背びれに翼と足が生えて噂となり、クラス中ばかりか学年中に知れ渡っていた。
入学式翌日に、他校の男子生徒を血祭りにした女子生徒として有名になったナマエは、男子にも女子にも怖れられ、ナマエ=恐ろしい女、というイメージが出来上がってしまっていた。
クラスメイトの女の子を助けたことに後悔は無い。
しかし、ナマエはここで「甘く楽しいキラキラとした高校生活」などという夢を諦めた。


そして、この事件以外にもナマエの武勇伝は増えていく。

教室内にゴキブリが出たとき、反射的に逃げ回るクラスメイトを他所に、冷静に雑紙を丸めて颯爽と退治した。
お弁当を食べている最中に、プラスチックの箸を半年の間に5回も折った。
式典のため体育館にパイプ椅子を並べる際、一人で6脚抱え込み、悠々と歩いていた。
男子がメインとなる腕相撲大会で、唯一女子で上位に食い込み、現チャンピオンに「女子にしておくのは惜しい」と言われる。
その辺りの男子よりたくましいため、ナマエがいると男子はあまり頼りにされない。

などと、上げたら思いのほかきりながい。
こうして、ナマエは学年中から先輩、後輩に渡り「青城のアマゾネス」という称号を得る事になったのだ。


今日も今日とて、クラスの男子に渡された重い荷物を運ぶ。
「お前なら運べるだろ」と気軽に渡されたそれは数学のノートクラス分、数十冊各2種である。
流石のナマエでさえ重いと感じたものの、さも当然のように渡されたものだから引くに引けなくなってしまった。
ノートを抱え、のろのろと歩いているナマエを助けてくれる生徒はいない。
はぁああ、と内心大きなため息をつきながら、ナマエは自身の教室を目指す。
さっさとこの重い荷物を置いてしまいたい、急ぐあまりに大して周りを見ずに教室のドアを足で開けた瞬間、ちょうど教室から出て来たクラスメイトとぶつかった。
派手にノートをまき散らし、足に落ちて来るノートの数々が地味に痛い。

「うわ、ごめん!苗字さん大丈夫?」
「…大丈夫。その、私こそごめん、及川君」

女の子にキャーキャー言われる上にファンクラブがあるなんて、漫画の中だけの話だと思っていた。
それを現実の現象として引き起こす男、それが及川徹である。
そんな有名人の足に重たい物を落としたと知れたら、私は刺されるかもしれない。

キラキラと眩しい整った顔が、申し訳無さそうに眉を下げている。
そして落としたノートを拾う作業を手伝ってくれた。
及川君は親切だなぁ、と呑気なことを考えていたナマエの隣で、及川はノートの量を見て動きを止めた。

「…ちょっと待って苗字さん」
「何?」
「これ全部、君一人で運んでたの?」
「まぁ」

さっき私が運んでいるの見たでしょ、と言えば、及川君は驚愕の表情を浮かべた。
よくこんな重いもの持てるね、と感心しているようだが、どこか引いた様子も垣間見える。
そりゃあ、こんな重いもの女子が持って歩いてたら引くだろう。

「…苗字さんって何部?」
「テニス部」
「へぇ、テニス部かぁ」

もの凄い豪速球打ちそうだね、と女子相手にしては失礼極まりない発言をする及川だが、ナマエにとってその発言は慣れたものである。

「女子の打つ球じゃない、とは良く言われるよ」
「凄いじゃん」
「うん、ありがとう」

褒め言葉に素直にお礼を言うと、及川君は今度はきょとんとした。
じっとこっちを見るものだから、ナマエはノートを拾う手を止めて及川と視線を合わせる。

「…何?」
「いや…俺から言っておいてあれだけど、お礼言われるとは思わなかった」

会話の片手間にノートを拾い上げる及川君は、純粋に不思議そうな顔をしている。
何の事を言われたのかいまいち掴めず、ナマエは聞き返す。

「だって、普通女の子って、『力強いね』なんて言われたら嫌がらない?」
「…もしかして、さっきの及川君の発言は褒め言葉じゃなくて嫌味だった?」
「いやいや!そういうつもりじゃなかったんだ。ただ、言った後で失礼な事言ったなぁと思って」

ちょっと後悔したんだけど、苗字さんが普通に「ありがとう」なんて言うから、ちょっと驚いたんだ。
そう言って方をすくめてみせる及川君に、ナマエは「あぁ」と納得する。
確かに、女の子にそんなことを言えば大半の子が怒るだろう。
しかし、ナマエはここ何年も、女扱いをされたような試しが無い。
そういう対応をされるのに慣れてしまったからこそ、及川君の発言には大して怒りも湧かないし、ショックも受けない。

「だって私『青城のアマゾネス』だよ」
「…ふーん」

一瞬、及川君はどういう反応をすべきか迷ったようだった。
「アマゾネス」ともはや陰口ではなく公に呼ばれているので、ナマエにとっては大した事も無いのだが、及川君はナマエの発言の返答を濁した。
本人の目の前で悪口を言っているような感覚に陥っているのだろう、視線を逸らして落ちたノートをトントンと整える。
若干気まずい空気になり、ナマエも申し訳ない気持ちになって、今後自虐的発言は控えようと心に誓う。

「ありがとう、及川君」
「いやいや、ぶつかった俺も悪かったし」

全てのノートを積み重ね、ナマエがそれを再び持ち上げようとすると、何を思ったのか、及川君がノートの束をひょいと抱え上げた。

「えっ」
「苗字さんでも流石にこんな風には持てないでしょ」

フフンと何故か得意げに笑ってみせる及川君は、片手一本だけでノートの束を持ち上げてみせた。
確かに及川君は背も高いしガタイもいいが、優男のイメージが強くて、あまり力が強いというイメージが無かった。
ナマエが内心ヒィヒィ言いながら運んでいたあれを、軽々と持っているものだから、ナマエは感心したと同時に驚きが隠せない。

「凄い、及川君結構パワーあるんだね」
「まぁね」

素で褒められたのが照れくさいのか、及川君は空いたもう片方の手で鼻の頭を掻く。
しかし、ノートを持ったまま及川君がそのまま教室に入って行くものだから、ナマエは慌てて追いかける。

「いいよ及川君、後は私が運ぶから」
「いやいや、こんな重いもの女の子に持たせられないでしょ」

女の子、それは私に言っているのだろうか。
ナマエが変な物を見る目で及川を見ると、彼は苦笑いを浮かべた。

「苗字さんは、女の子である自覚無さ過ぎじゃない?」
「…そうかな」
「そうだよ」

うーん、と何やら思案しはじめる及川を他所に、ナマエは左手の上に乗せられたノートの束の安定感に呆気にとられてしまう。
いや、ほんとに凄い。どれだけ力があるんだろう。

「ほら、俺と苗字さん結構身長差あるでしょ?」
「…うん」
「それに、手の大きさもこんなに違う」
「うん」
「このノートの束持つの、実は重かったでしょ?」
「……はい」
「ほら、苗字さんは俺から見たら、充分にか弱い女の子だよ」

なんだか無理があるような理屈だが、あっけらかんとそう言う及川君は、特に嘘をついているというわけでも無いようだ。

「だからここは、俺の親切に甘えなよ」
「…及川君って、変わってるね」
「そう?」

及川君のハイスペックさの前では、アマゾネスでさえ女の子になれるらしい。

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