巻き毛の黒尾さん

名前の隣の席に座る森田君は、ラグビー部に所属しており、趣味が筋トレらしい。

そんな彼には実はもうひとつ趣味があり、それが漫画を読む事だった。
少年漫画から青年漫画、果ては少女漫画を持っていたりとジャンルの幅は広く、クラスの男女共に彼に漫画を借りにくる。

歩く漫喫、などと馬鹿にされているようで感謝されて付けられた変なあだ名もあるが、本人は満足げである。
あまりにも皆が彼に漫画を借りに来るものだから、森田君のカバンはいつもパンパンで重い。
漫画を借りに来たクラスメイトが、「荷物を重くして悪いな」と言うと「貸す漫画を持って来る事が筋トレになるからいいよ、むしろこっちが感謝したいくらい」という聖人のような回答(しかも本心)ををするものだから、クラスメイトは彼をどこか神聖視している。

ナマエも一度だけ、少し気になっていた少年漫画を貸してもらった事がある。
自分でも気に入ったので、最新刊まで結局自分で揃えてしまい、それを森田君に伝えると「あれ面白いよなぁ」と嬉しそうな顔で言っていた。
いい人ってこういう人の事を言うんだなぁ、とナマエはこの時しみじみ思ったものだ。


しかし、その森田君の席では、何故か黒尾君が腰掛けて漫画を黙々と読んでいた。
横目でその姿を盗み見ると、その長身のせいで机や椅子が少し窮屈そうだ。

昼一番の授業は、担当の先生の急用で自習となったため、教室内はそれなりに騒がしい。
ふと黒尾君の席を見ると、そこには森田君が座っており、同じラグビー部の友達と話しながら、自習用のプリントを解いていた。
席を交換したのか?と首を捻ったナマエは、無意識に黒尾の手にある漫画の表紙に目を奪われて動きを止めた。

「…黒尾君、何読んでるの」
「んー?」

目を落としていた漫画から顔を上げ、黒尾君はのんびりとした動作で漫画の表紙を確認した。
”ラブファイター☆”というタイトルが書かれた漫画の表紙には、目がキラキラした女の子と、これもまたキラキラしたイケメンの男の子が描かれている。
どこからどう見ても少女漫画である。
それを黒尾君が読んでいるのだから、違和感がもの凄い。
驚いた様子のナマエを見て、黒尾もナマエが何を考えているか察したらしい。

「いやさ、森田がラグビー部の奴と話したい事あるから席替わってくれっていうから、替わったんだよ」
「…へぇ」
「その代わりに今日持って来た漫画読んで良いって言うから、なんか読もうと思って見てみたら、少女漫画しか無かったわけよ」
だから仕方なく少女漫画読んでるの、と言う黒尾君に、少女漫画を読まないという選択肢は無いらしい。
そして森田君の守備範囲の広さにも驚く。

「苗字はこれ知ってんの?」
「タイトルだけなら聞いた事あるよ、確かドラマ化するんじゃなかったっけ」
「…あ、本当だ」

漫画に巻れた帯には、ドラマ化決定!という文字と共にキャストのタレントの写真が載っている。

「このさぁ…巻き毛の女、なんかすげぇムカつくんだよ」
「巻き毛…?」
何の事?と首を傾げると、黒尾君はかいつまんで漫画の内容を説明してくれた。
主人公には、片思いの男の子がいるのだが、いつも主人公と男の子がいい雰囲気になると、巻き毛の女の子(美人)が嫌がらせや邪魔をしてくるらしい。
その巻き毛の女の子は所謂恋のライバルで、いつも主人公と火花を散らせているらしい。

「この女のやり口が汚ねぇんだよ、陰湿で。実際こういう女っているの?」
「いや…どうだろう」

恋愛絡みの嫉妬での嫌がらせは、見た事や聞いた事もあるが、この漫画で繰り広げられるような、カバンの中の教科書が切り裂かれているとかそういうバイオレンスなものは見た事が無い。聞いた事も無い。

「漫画の話だから、大げさに表現してるだけじゃない?」
「だよなぁ…こんなん現実にあったらこえーよなぁ」

そう言って、黒尾君はパラパラと無表情でページを捲る。
なんだかんだで3巻目に突入しているから、それなりに楽しんでいるらしい。
黒尾君が少女漫画を読んでいるなんて意外過ぎて、写真に収めてしまいたい光景だ。
ナマエがひっそりと笑うと、黒尾君は不服そうに眉間を寄せたものだから、盗み笑いが見られたのかと一瞬焦る。
しかし、黒尾君の眉間の皺の原因は、予想の斜め上を行くものだった。

「これで何が一番腹立つって、この女の名前も”黒尾”って事なんだよ」

一番そこが納得いかないらしい。
不本意な事に難しい顔をしている黒尾君に視線を奪われる事5秒、ナマエは思わず吹き出した。

「…何笑ってんだよ」
「いや…そういう事気にするんだ」
「自分の事悪く言われてるみたいで嫌だろ」



この数日後、どうやら巻き毛の黒尾ちゃんには重たい過去があった事、主人公の事を認めて身を引いた事、主人公をさりげなく後押しするようになった事、更に主人公に酷いいじめをするような性格の悪い彼女をずっと見ていたにもかかわらず、彼女の事を好きだという男の子が現れた事で、黒尾君の中での彼女の株が急上昇した。

それをわざわざナマエに伝えて来たものだから、ナマエは暫く笑いが収まらなかった。
なんだかんだで黒尾ちゃんに愛着があるらしい黒尾君は、その図体には似合わず、可愛らしい思考の持ち主のようだ。

お腹を抱えて笑っていると、無表情の黒尾君に頭を掴まれぎりぎりと力を入れられた。
じわじわと広がる柔い痛みに笑いも収まる。

「痛い痛い痛い…」
「笑い過ぎなんだよ」
「ごめんなさい…」

素直に謝れば、優しめヘッドプレスの刑から解放される。

「…あ、来週からドラマ始まるらしいから見ろよ」

やっと笑いが収まったというのに、黒尾君がドラマを見る気でいる事、そしてナマエにもそれを見て貰いたがっている事を知り、再び腹筋が崩壊した。

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