今日のお客さんは




 最近、あるお客様に困っている。


 ここはお洒落な喫茶店。ヨルビアン風の外装。お洒落だなんて、自分で言うのもあれだけど。
このお店はは私の叔父が経営していて、昔のお金持ちさんが住んでいた家を改装して作ったという、なんとも豪華なお店である。それでも、中はそんなに広くなく(理由は、お高そうな調度品がたくさん並んでいるから)、混んでいないときなら、私ひとりでさばききれるほど。二階は、若い画家さんの絵が飾られている、叔父さんお気に入りの画家だ。

 そんな叔父さんはもちろん、お金持ち。わたしももちろん、お金持ち、セレブリティー、って言いたいところだけど、そうじゃない、残念ながら。同じ家系なのに不公平よね、何故か叔父さんには他の人にはない運と、商才を持ち合わせていた。それで、こんなお店を開いているのだ。うらやましい。

 というわけでこのお店はそんな感じの住宅地の真ん中にあるので、来店してくれる人はだいたい決まっていて、たいていは、やっぱりお金持ちの人。

 メニューの値段は少々高め。なぜなら、叔父さんがとってもこだわった茶葉で紅茶を作り、ケーキの材料だって、手を抜かない。客層は選ぶけれど(そこらの学生がほいほい入れるような雰囲気じゃないしね)、この叔父さんのポリシーがお店を支えている。こだわりのメニューがお客様を呼ぶのだ。
 
 私が、美食家のように、世の中には美食ハンターなんてのもいるらしい。とにかく、そんなプロの方々のように舌が肥えているかといえば、話は別だけれど。あ、でも、ちょっとは分かる、もちろん。

 
 で、その困ったお客様、別に店内で暴れたり、大きな声でケチを付けたり、汚く食べ散らかしたりするわけではない。

 ただ、ちょっと、なんていうか、普通じゃないの。

 ルックスは悪くない。むしろ、はっとするほどかっこいい、男の人。紅茶を飲んでいる姿は、どんな女性も目を奪われるんじゃないでしょうか、ってくらい。さらさらの長い髪をかきあげたりなんかしちゃったら、胸はどきどき。
 そして、その人のひとつひとつの振る舞い方から、どこかのお坊ちゃまだと思われた。男の人にしては珍しく、いつも紅茶とケーキを注文するんだけど、そのケーキの食べ方とかも、とても上品。

 何が、問題か。

 それは、彼の私に対する行動だ。……たぶん、彼は私に多少なりと好意を持ってくれてるんだと思う。


 初めて彼が、来店した日。その日は雨のせいか、お客さんの姿は無かった。いつも忙しいから、たまにはこんな日もあって良いかな、なんて思って、お店に置いてある雑誌をてきとうにぱらぱらとめくっていた。

からーん

 お店のドアに備え付けてあるカウベルが、お客さんの来店を知らせた。ちなみにこのカウベル、なんと10万ジェニー。お金持ちの感覚ってわかんない!

 慌てて読んでいた雑誌をたたみ、接客モードに切り替える。

「いらっしゃいませ、何名さまでしょうか」
 マニュアルがないものだから、よそのお店が言ってそうなことを適当に話す。いつもばらばらの接客トーク。お洒落なお店に、私みたいな店員はちょっと不釣合いかもしれないけれど、ここはお客さんと世間話をしたりもするような、フリーダムなお店なので、構わないのだ。と、思っている。

「……ひとり」

 人差し指と中指を立てて、人数を表している、つもりなのだろうか。だけど、口と手の数が、合わない。
「えー、お一人様ですか。あちらの窓際のお席どうぞ」

 あの席は、広い庭が見渡せる、いわば特等席。あの席のために待つ人がいるくらい、人気の席。今日は人が少ないから、案内してもいいかなー、なんて。それに、女の子ってイケメンに弱いしね。ちょこん、と座るお客さん。

「こちらがメニューです。あったかい紅茶お持ちしますから、その時に、ご注文伺いますね」

 サービスでアッサムをお客さんにお出ししている。定食屋がお茶を出すように、喫茶店では紅茶を。まずこの一杯で、お客さんの胃袋をキャッチしよう、というのがこの店の戦略。

 紅茶の淹れ方は、10歳の頃から学んでいた、というより叔父さんに叩き込まれた。お茶の類はもうなんでもこい、ってくらい詳しくなった。ジャポンからのお抹茶、チーナからのハーブティ、その他にも私が淹れられるお茶の数はたっくさん。特技はなんですか、って聞かれたら、即座に「おいしい紅茶を淹れることです!」と答えられる。特技があることは良いことだよね!

 このお店では、お客さんの目の前で紅茶を淹れてお出しする。あったかい、熱いに近いけど……、紅茶を注ぐ。ちら、とこのイケメンお客さんを盗み見れば、彼の視線はティーカップの中。じっと、興味深そう(?)に見ていた。

「はい、こちらアッサムティー、ミルクとお砂糖を入れてどうぞ」


 紅茶の良い香りが漂ってきて、私の鼻腔をくすぐる。ああ、なんて癒されるんだろう。

 やっぱり良い男より、良い紅茶。勤務中なのはわかってるけど、こんな良い紅茶を目の前にして、黙っていられるわけがない。今は、叔父さんもいないし、お客さんだって、来ないし。お茶を一緒するくらい、なんてことないよ!

「私も、一緒にいいですか?」

 それほど深い考えは無かった。ただ、この特等席で、かなりのイケメンと、おいしい紅茶を飲める、と思うと、ほとんど無意識にそんな言葉が口をついて出たのだった。

「オレと?」

 お客さんの、もともと大きな瞳が、さらに大きくなったような気がした。単に私のほうを見たからだけなのかもしれない。

 この反応は普通だ。店内に誰も客が居ないからといって、店員がお客さんと一緒にティータイムだなんてそうそうない。
 少し、軽率だったかな、とちょっぴり後悔し始めたころ、

「いいよ。ここ座りなよ」

 と、彼の向かいの席を指差してくれた。私は、はい、と返事をして、自分の分のティーカップを取りに急いだ。

「あの、お名前、聞いても?」
「……イルミ」

 角砂糖をいくつか紅茶に溶かしながら、ぽつり、と呟いた。あんまり、聞かない名前。
「イルミさん、えーっと、私はなまえって言います」
「ふーん。……イルミでいいから。敬語も、いいよ」
「はい?」

 彼とは、他愛も無い話が続いた。なんでここで働いてるの、とか、どの紅茶が好きなの、とか。外見の良い彼だけど、話をしてみると、いささか、普通の人じゃないと分かった。
 じっと見つめる瞳は気味が悪いほど無表情。目が合うと、思わずそらしてしまうような。だけど、目線をはずすと、私の機嫌を伺うように首をかしげたその仕草は、どこか可愛らしく、逸らしたことに罪悪感を覚えた。

 感情を顔に出すのが、人より苦手な人なのかもしれない、それが私の彼に対する第一印象だった。


 その雨の日は結局お客さんは誰も来なかった。珍しい。雨でも、いつもは誰かが必ず訪れてくれた。10組くらいは入ったはずなのに。少し気にかかったが、私の店じゃないし、一日お客さんが入らなかったといって、叔父さんはそう困らないだろう。この喫茶店は、叔父さんの趣味みたいなものだし、いっか。


 彼は感情を顔に出すのが、人より苦手。それは、正しかった。けれども、感情を表に出すのは、苦手ではないみたいだった。

 それから、彼はお店が気に入ってくれたのか、頻繁に来てくれるようになった。いつも一人、あまり混まない時間、時には朝一番で、たまに夕方。時間帯はバラバラだった。仕事は何してるんだろう、と思うほどで、生活が予想できない。
 彼は「いつもの」と言われても大丈夫なくらいの常連さんに。でも、そんな頼み方をしたことは一度も無く、きちんとメニューに書かれてある名前を読み上げてくれる。オリジナルブレンドティー、特製チーズスフレ。彼は毎回これを注文した。


「ねえ、注文したいんだけど」

 彼の抑揚の無い声が、私を呼んだ。彼が怒ったり、不機嫌だったりじゃない事を私は知っているので、「はーい」と張りのない返事をして、彼のテーブルまで駆け寄る。

「オリジナルブレンドティー、あと特製チーズスフレちょうだい」

 それだけ言うと、メニューを折り、ラックへ仕舞う。伝票に「ブレンド」「チ、スフレ」とすばやく書き込み、エプロンへしまう。

「ご注文ありがとうございました、ごゆっくりどうぞ」

 この日も、お客はイルミさん一人。じっくり紅茶を淹れて、チーズスフレの準備をする。スフレにかけるベリーソースが、なんともいえない甘酸っぱさ。うーん、おいしい。ぺろっともう何回目か分からない味見をして、幸せな気分に浸る。これはウエイトレスの役得だね!と言い訳にもならない言い訳を心の中でして、とりあえず何事もなかったかの様に振舞う。

「はい、こちらチーズスフレと、ブレンドティーです」
「ありがと」
「ごゆっくりどうぞ」

 いつでもお客さんと紅茶を楽しむというわけではない。お客さんが一人しかいないからといって、やらなければならない事がないのかというと、そうでは無くて、茶葉の補充や、クッキーを焼いたり、食器を磨いたりと、なにかとやる事は多いのだ。 



 このやり取りが、初めのうち。 
 今は、もうひとつ、アクションが追加される。

 彼はこのあと、私のエプロンの裾を引っ張り、無言で「座れ」というのだ。

「あ、あの……?」
「……」

 数秒間の沈黙が、私たちを支配する。彼独特の瞳が、私を見つめる。
 
「私、やらなきゃ……」

 やらなきゃいけないことが、あるので失礼します。

 と、最後まで言い切れず、無言で彼の前のイスに腰を下ろす。これがここ最近、毎回のやりとり。別に彼に強要されてるんじゃないけれど、なんとも言えない気持ちになる。うーん、釈然としない。

 これも接客業のうちよ、と言い訳。



 これだけじゃなく、帰り道にも彼は現れる。突然、私の横に立つのだ。

「わっ、びっくりした……。イルミさん、こんなところで何してるんですか」
「別に。夜道は危ないから」

 はあ。そういって、私の家まで送ってくれる彼。うーん、悪い人じゃないんだけど……。なんてのがここ1,2週間のお話。

 そう、彼に決して悪意は無いのだ、たぶん。むしろ、そこにあるのは、きっと。



「今日も、寒いですね」
「そう?」
「え、イルミさんは寒くないんですか。ほら、」

 はあっ、と白い息。

「そうだね、寒いね」
「本当にそう思ってるんですか……?」
「うん、そう思ってるよ」
 
 ひた、と手と手が掠れあう。予想どおり冷たい彼の手、華奢な指ではない、ちゃんと男の人の指。ただ少し触れただけなのに、私の体温がいくつか上がったように感じてしまう。彼の指の温度も、今日の気温も無視して、なんだか顔が火照っている気がする。あれ、こんなに暖かかったけ?

 急に意識してしまった、彼の手、もう一度触れたい、とか。

「手、冷たいですね」


「……にぎる?」
「えっ、えっ!!」
「嫌?」

 いつも隣で歩いてるときには、私の方なんて滅多に向かないのに、今は私を見つめている。絡まる視線が、胸をどきどきさせる。

「……お願いします」

 二人の指先が、どちらからともなく繋がる。やっぱり冷たい彼の手のせいで、体が急に冷えた気になるのも、一瞬のことだった。冷たい手なんて、もう気にならない。



 最近、あるお客様に困っている。彼は感情を顔に出すのが、人より苦手。だけど、そんな彼が、愛おしい。



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