酔っ払ったから家まで送ってもらう話




 ここのところ、残業が続いた。休日も返上で働いた。寝て起きて働いて寝る。また起きて働く。そろそろ労働にも飽きてきた。
 朝起きた瞬間に、帰りたいって思ってる。

 そうして休日も返上で働いたおかげで溜まりにたまった休日を消化するため、突然上司から3連休を言い渡された。
 そんな急に言われても、となまえは思ったけれど、休めるなら休みたい。今日で連勤も最後なんだったらぱーっと飲みに行こうということで仲のいい後輩(彼女は翌日も仕事がある)を連れて、仕事帰りに居酒屋へ寄ったのだった。

 酒とかわいい後輩との会話のおかげでなまえはすっかりご機嫌になっていた。
 仕事中、さあ帰るぞ、と開き散らかしてたいろんなウィンドウを消しまくって、実績入力して、あとはパソコンの電源を落とすだけ、というところで上司から「ごめんちょっと頼まれてほしい!」とそれわたしがやる必要ある?もう3時間残業してるんですけど、の仕事を頼まれてあげたことも、どうでもよくなった。上司の悪口をありったけ言ったからかな?
 2件目に入ったお洒落なショットバーでもわりと飲み過ぎてしまった。度数が高くて甘ったるいカクテルをいっぱい飲んだ。
 ひとしきり仕事の愚痴を吐いたあとは、ちゃ〜んと酔いがまわっており、話題は最近の恋愛に移っていった。

「なまえさん、この前会ってた人、やっぱいい感じなんですか。すっごいイケメンの」
「あー、イルミさんのこと?うーん……いいお友達ってかんじかなあ」
「は?何それ……お友達ですか?」

 なまえには最近よく会う男がいた。品がよく、落ち着いた雰囲気のイルミという名前の男。
 先日、会社から駅までの道をこの後輩と歩いていた時に、イルミともばったり会ってしまったことから、後輩に知られたのだ。

 なまえとイルミの関係は、なまえの言うとおりいいお友達、といったものだった。

 2人の出会いは駅前の市営図書館だった。最近の駅前開発で移設されたばかりで、新しく設備の整った図書館だ。
 仕事で使うちょっとした画集や資料を立読みしになまえはこの図書館を訪れた。イルミは情報美術コーナーの本棚の前に立っていた。

 なまえはイルミを見て、美しい人だな、と思った。この街では少し珍しい黒髪の長髪も、イルミのスマートな立ち姿によく似合っている。こんな人、この世にいるんだなとさえ思った。しかも彼の手にとっている本が往年の写真家のアニバーサリー記念に出版されたもので、なまえは予約注文をして手に入れた写真集だった。美しい彼との意外な共通点になまえの心はときめいた。なまえはその写真家を尊敬していた。

「なに見てるの?」
 突然その男から声をかけられてなまえはたじろいだ。なまえは自分のことを少しはしたないなと思って、不躾に男を見ていたことを後悔した。
「あの、すみません。いま手に持っていらっしゃる本、わたしも好きなやつで。つい……」
「ふーん」
 写真集を言い訳に使い、なまえにとっては気まずい沈黙のあと男は言葉を続けた。
「これ、キミのおすすめなの?」

 なんとなしにそう聞いただけだったが予想外に饒舌になったなまえのことを、イルミはちょっと面倒くさいヤツだなと思いながらこの写真集について語るなまえを見ていた。でも同時に、ちょっとかわいいな、とも思った。数少ないイルミの友人からは、イルミは陰湿な男だという評価をもらっていたが、イルミ自身は自分のことを陰湿だとは思っていない。なまえの人好きのする明るい性格を良いと思ったし、少し顔を赤らめながらこの写真家の歴史を話している彼女をかわいいと思った。そして、なんかこの子可愛いな〜と思ったイルミはなまえとしれっと連絡先を交換し、たまにデートに誘っている。

 イルミの恋愛はそういう何でもないありふれた出会いを大切にするタイプだと夢があると思う。一般人とイルミを出会わせるためにはこうするしかないのだ。

 ところで、なまえは次の3件目を誘うものの、後輩はもう帰りたいののたまっている。でもまだ日付が変わってまだほんの少ししか経ってないし、普段ならぎりぎり会社にいるかいないかの時間。まだまだ遊び足りない。
 後輩が渋り続けていると、なまえがここからの帰りと、次の日の会社までのタクシー代を払うと食い下がるので、仕方なくそれで手を打った。ちょっと余分にお小遣いももらってしまおうと後輩は思った。

 しかし、あと数時間もすればまた後輩も職場に戻らねばならないので、そろそろ先輩の3連休前のストレス発散に付き合ってられなくなってきたな、と思っていた。なまえがトイレに行っているあいだに、しれっとスマホをパクり、勝手に彼女の保護者を呼びつけることにした。
 ズボラななまえはスマホのパスワードを「0000」にしている。別に見られて困るようなものは何も入っていないと思っているからだ。しかし、普通に社外に出してはいけない職場情報がスマホの中には入っている。取引先相手の名刺とか顧客の住所とかをカメラで撮ったりする。なまえはコンプラに対して感度が低かった。なんとかなるっしょ、別にいけるいけると思っている。
 3件目は24時間開いてる大衆居酒屋に入った。なまえはそこで日本酒をがぶ飲みした。アルコールで目がまわる感覚が大好きなのだ。体温が上がって、心拍数が上がって、いい気分。あーあ仕事辞めてー。

 ところで呼び付けられた保護者は、ものの十分かそこらでなまえ達のいる居酒屋にやってきた。
 美しい黒髪を靡かせて、つかつかとなまえたちが座る席へ向かう。店員のアテンドは不要。彼からしたら、この店内のどの辺りになまえがいるかはすぐわかる。

 彼の顔立ちだけ見れば、男か女かわからないくらいの美形で、こんな大衆居酒屋に居ていい存在ではないと思われる。彼が狭い卓の間をすり抜けたあとは一瞬時が止まるほどで、安い酒をあおっている大衆は少し静かになる。中にはわざわざ振り返って、イルミを目で追うものもいた。暗殺者がこんなに目立っていいのか?

「イルミさん!こっちです〜」
 後輩はすぐさまイルミを見つけ、手をひらひらと振って呼びつける。
「見てください、これ。すっかり出来上がってしまって。なまえさんも、まあなかなかキツいタスク抱えさせられてたから。疲れてたんでしょうね〜」

 イルミは机に突っ伏しているなまえを見下ろした。幸せそうな顔をしている。日本酒のグラスは倒れていたが、すっかり飲み干しているので問題ないようだったが、机の上に広がった毛先が、少し日本酒で濡れていた。

 後輩に言われるがまま、イルミはここの飲食代と、タクシー代を支払った。

 後輩は、なんでなまえさんにこんなひっくり返るほどのイケメンのお友達がいるんだ人生やってらんねえ、と思っていたので、イルミからタクシー代を現金でもらっても、少しも心が痛まなかった。だってそういう約束で3件目に付き合ったんだもん。てかお友達ってなんだ。付き合ってないのか。

 なまえからイルミのことをお友達、といって紹介されたとき、後輩からしたらもうそれは彼氏では?と思っていた。しかし、職場の先輩の身近なイケメンが、彼氏なのかお友達なのかは心底どうでもよかったので、あまり気にしないことにしている。

「それでは、お疲れさまでした。なまえさんもお気をつけて帰ってくださいね。タクシーありがとうございます」
 礼儀正しく挨拶をした後輩は、3秒でタクシーを捕まえて自宅へ帰って行った。

 ありがとー、またねー。と大層ご機嫌にタクシーに向かって手を振るなまえ。でもあんまりちゃんと視界が確保されてないし、正直、どっちに向かって帰っていったからわかっていない。
 イルミに後輩が帰るから挨拶しなよ、と言われたので、なんか適当な方向へ叫んだだけだった。

 2、3分はなんとなく道なりにまっすぐは歩けたように思う。
「あたしは、ここで、寝ますので……」
 なまえはふらふらとその辺のコインパーキングの敷地に入っていったかと思うと、車止めに腰掛けた。今すぐその場で寝ころぶほどのひどい酔いではなかったが、うずくまって動かなくなった様子を見る限り、ずいぶんと酒を楽しんだんだな、とイルミは思った。

「もう、こんなところで寝ないよ」

 膝をそろえてちょこんとかがむ。手にはすぐ近くの自販機で買ったばかりの冷えた水が用意されていた。

「なまえ、家に帰ろう?送っていくから」
「わたしもうあるけません……」

「まいったな」

 ご機嫌そうに微笑みながら、なまえは静かに目を閉じている。たくさん飲んで食べたから、なまえのリップは落ちてしまっていた。唇の外側にうっすら残る赤い色が、少し扇状的にイルミには見えた。

「こんなところで寝たら、こわい魔獣に食べられちゃうよ」
「……だいじょぶです」
「人さらいに連れ去られちゃうよ」
「いしきは、あるので」

 意識があるから何だというのか。

「うー……」

 ふらふらとなまえの頭が左右に揺れる。

「気持ち悪い?」
「ううん、だいじょうるです」
「だいじょうる」

 このままではなまえがぶっ倒れてしまうかもしれない。

 ……こんなになるまで飲むなんて。イルミは少し気分が良くなかった。
 まず、なまえと酒を飲んだことがない。テイクアウトしたアイスコーヒーを片手に、オフィス街近くの公園を真っ昼間にふらっと一周するデートしかしたことがない。デートか?

「少しずつ歩こう、近くに車停めてるから、そこまで」
「はぁい」

 なまえの手を引いて、立ち上がらせた。とても優しく。さりげなく腰に手を回して、なまえを支えてやる。下心ではない。こうしないと歩けなさそうだな、と紳士イルミは思ったからそうしている。
 ちなみに、イルミは車で来ていない。呼び付けられたところからなまえのいる居酒屋までは、自分の足で移動したほうが速いと判断した。なので、先ほどの言葉は嘘である。しかし路駐している車は、この繁華街たくさんあるので適当な車をパクろうと思っていた。
 イルミには一般的な倫理観とかモラルはない。

「ほら、乗って」
 うやうやしく助手席のドアを開けてやる。なまえは半分寝ていた。車はその辺に停まっていたレクサスのSUVを拝借した。優秀な1番目の弟のおかげで、たいていの車のエンジンはかかる。仕組みはわかっていないが、とにかく、その辺の車なら、大抵乗り回せるようになっているのだ。

「はぁい」

 イルミはもちろんなまえの家に行ったことはない。呼ばれたことがない。しかし当然のように場所は知っていた。

「なまえ、道わからないからちゃんと教えてね」
「うーん」
 念の為こうして、ピュアなイルミをアピールしておく。教えられてないのに知ってたら、ちょっと気持ち悪がられるんじゃないかと思ったから。モラルはあまりない男だったが、多少の女心は分かると自負しているので、とりあえずひと言断っておいた。どうせぐでぐでに酔ったなまえに道案内なんてできないのに。
 こんなふうに言っておいて、あとから「なんで家がわかったんですか?」と聞かれたとき、「道案内してくれたよ」と返そうとイルミは思っていた。

 なまえはとなりできちんとシートベルトをして、助手席の窓ガラスにもたれかかって眠る準備。アルコールのせいで赤くなった頬が、対向車の明かりに照らされる。深夜2時、アイシャドウのラメが頬に落ちて、キラキラと輝いていた。

 イルミはとりあえず最短のルートでなまえの家へ向かった。

 駅から近い割に築年数が古いため、家賃はそれほど高くない。ただ、やっぱり見た目はボロいのでなまえはあまり人を呼んだりはしなかった。自分の部屋に招くくらいなら、駅の近くのカフェで過ごしたり、緑の多い公園でのんびりする方が好きだった。

「なまえ、ついたよ」
「あー、はい、ありがとうございます……」

 少し眠ったおかげか、ひどい酔いが、ちょっと酔っぱらった、くらいにまで回復していた。のろのろとシートベルトを外して、仕事用カバンを抱える。スマホはポケットだっけ?ジャケット?ズボン?カバンにしまったけ……
 もた…もた…してると、助手席側のドアが開けられた。

「大丈夫?」
 そっと手を差し出してくれる。
「うん、ありがとうございます…。ごめんなさい、わざわざ」
 イルミの手を取って、車から降りる。立ち上がると、やっぱりふらっとしてしまう。

「あ、やば…」

 目の前がちかちかして、視野が狭くなる。典型的なアルコールによる貧血だ。

「おっと……、なまえ、大丈夫?」

 家の真ん前にいるのに、立ち上がれなくなってしまう。
「うーん、大丈夫です。ちょっと立ちくらみがしちゃって……。じっとしておけば治るので……」
 なまえは道の脇にしゃがみ込みながら、酔っ払った頭でこの後どうしようかな、とぼんやり考えていた。
「送ってくださって、ありがとうございます。あの、もうひとりでかえれるので……。お礼はまた、こんどします」
 深夜の自宅前でしゃがみ込むまではぎりぎりなんとか許してほしいところだが、流石にこんなところで寝転がったりはしない。なまえの社会人としての理性が、なんとかうずくまるまでにとどめていた。
「ひとりで置いていけないよ。部屋まで送るよ。あと少しだから、ね」

 オートロックもないアパートのガラス扉をイルミが開けてやった。なまえはここの3階に住んでいる。
 このアパートはエレベーターすらも無く、3階へ続く階段をイルミとなまえはゆっくり上がっていった。なまえはまだ少しふらつく足取りで、このあとどうしようかなと考えていた。支えてくれるイルミの温かさに心地よさを感じた。


「……どうします?あがって、いきます……?」

 なまえは開いた自宅のドアを押さえながら、イルミを見上げた。なまえのうるんだ瞳が、イルミを捉えた。アルコールのせいだけではない、誘っている女のものだった。

「後悔しない?」
「うーん……、どうでしょう。明日にならないと、わかりませんね」

 なまえは自室に招き入れることを歓迎している様を見せなかった。あくまでもイルミに判断を任せようとしている。なまえはずるくて、醜い大人だった。
 イルミは無言でなまえの自宅に入り、扉を閉めた。
 狭くて靴が散らかっている玄関で、ふたりはじっとりと見つめ合った。
 あ、これキスするやつだ。なまえはイルミが着ている服の袖をぎゅっと握った。厚い生地のいい服だった。

「なまえは、誰とでもこういうことするの?」
「気にするんですか、そんなこと」

 2回、3回と食むようなキスを繰り返した。なまえは自分の体温がぐっと上がるのを感じた。やっぱり酒っていいな。
 イルミは自分のジャケットを脱いで、床に落とした。ここ最近の残業続きのせいで部屋はあらゆるもので散らかっている。テイクアウトして食べっぱなしのパスタ、酒の空き缶、蓋がなくなったアイライナー。
 残業のせいだ、仕方ない。
 1Kの狭い部屋。小さなテレビとセンターテーブル、あとらベットくらいしか家具がない。

「なまえ、ベット、ここだから。ちゃんと寝てね」

 イルミはなまえをひとりで寝かせようとした。酔っ払ってる女と、キスまではするくせに。

「……あのこっち、来ませんか?」
 なまえはひとり分のスペースを空け、イルミを見つめた。

「誘ってるの?」
「うーん、そうかも」
「相当酔ってるね。それとも、酒は言い訳?」
「それは、んー、どうでしょう……」

イルミはベッドの縁に腰掛けて、なまえの額にひとつキスを落とした。そして、唇同士を重ねた。今度は舌を絡ませていた。

「イルミさん、」

 明日からのことを考えるのは、明日にしよう。今は狭いベッドのうえで、イルミの腕に抱かれて眠るこの夜を楽しもう。

 いま、なまえは、誰よりも近くでイルミを感じている。


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