■ 00.ハローハロー

 両手にいっぱいの荷物を抱え、イギリスでの新しい生活にわくわくしていた。そして、ついにパディントン駅に降り立った。

 イギリスへの留学が決まったのは去年の冬。両親もイギリス行きに反対することはなく、むしろ喜んで送りだしてくれた。住む場所に困ることもなく、親戚のおばさんが大家として切り盛りしているアパートへ暮らすことになった。寮やホームステイの選択肢もあったが、身近に知り合いがいる方が私も両親も安心するからという理由だった。両親の本音としては、おばさんに私のことを監視してもらいたいというところだろう。

私の家では、幼い頃からホストファミリーとして、いろいろと外国人を家に招いてきた。そのおかげで、ほんとにちょっとした英会話くらいならできる。

 ロンドンの町は歴史的なレンガ造りの建物が並び、深い緑が映える、きれいなところだ。道行く人もどこかお洒落な気がする。その日本ではまず見ることができないこの景色に私のテンションはさっきから上がりっぱなしになってしまう。お決まりの赤の二階建てバスに乗って観光気分を楽しみながら、おばさんのアパートへ向かった。窓から見える風景が本当にイギリスにやってきたことを感じさせてくれた。聞こえてくる会話の全てがきれいな英語で、とても心地いい。
 
 そして、こちらの人はなんとなく気さくでフレンドリーだ。目が合うとにこっと笑いかけてくれる。私も思わずつられてしまって微笑み返す。ああ、なんて幸せなんだろう、これから始まる刺激的な暮らしにすっかり浮かれてしまっていた。



「おばさん!!お久しぶりです」
 イギリスの夜は意外と早いもので、私がアパートに着いた頃にはもう日が暮れようとしていた。
「ああ、七瀬ちゃん。お久しぶり、待ってたわよー」

 おばさんと一番最後に会ったのはいつだろうか。彼女は仕事の関係から日本に帰ってくることは滅多になかった。それでも幼い頃からお正月とお盆には毎年エアーメールを交換していたし、私の誕生日とクリスマスには必ずプレゼントを贈ってくれた。そのせいか、あまりおばさんと会うのが久しぶりという感じはしなかった。

「あらあ、しばらく見ないうちに大きくなったわねえ。イギリスはどう?いいところでしょ。日本からの長旅は疲れたんじゃない?こんなに荷物持って……。全部こっちに送っちゃえば良かったのに。さあさ、こっちにいらっしゃい。私の部屋でホットココアでもいれましょうね。それとも、ミルクの方が好み?」
 
矢継ぎ早に質問してくるおばさん、どれから答えていいか分からずに「ありがとうございます」とだけ答えておいた。


 おばさんの部屋でココアをすすりながら一息ついたあと、今度は私の部屋へ案内してくれた。2階への階段を上がってすぐ左の部屋のようだ。向かいのドアには「Terese」とパステルカラーのハートや星でかわいらしくデコレーションされたルームプレートがかかってある。私の視線に気づいたおばさんはすぐに

「そこの子はテレーゼ。向かいは女の子の方が安心できるでしょ」

 と教えてくれた。

「もう鍵は渡しておくわね。一応合鍵は私が持っておくけど、もちろん悪用したりはしないわよ」

 そう言いながらキーホルダーからかちゃかちゃと私の部屋の鍵を探しているおばさん、

「家具類は備え付けの物だからところどころ傷が入っているけれど、まあアンティーク物だと思って勘弁してちょうだい。今日の午前中に届いたダンボールは、部屋の真ん中に積んでおいたから、すぐ分かると思うわ。早めに荷解きしちゃいなさいね。あとは……何かあったら私の部屋までおいで。一人で大丈夫?」

「はい、なんとか。とりあえず頑張ってみます。迷惑かけちゃうかもしれませんけど、今日からしばらくお世話になりますね」

 ああ、やっと見つかった、と鍵穴にぴったり合う鍵を私に渡してくれた。

「はい、じゃあ、頑張ってね」

 短くそう私を励ましてくれると、おばさんはそっけなく階下へ行ってしまった。


「……おじゃましまーす」

 誰もいないし、そもそも私の部屋なんだけれども、なんとなくそう言ってみた。当然返事なんて聞こえるわけは無いが、そのことさえも今日ばかりは新鮮に感じた。

 一人暮らしするにしては十分すぎる広さを持つ部屋。ユニットバスは仕方ないとしても、ダイニングキッチンに、リビング、そして寝室。リビングにはダンボールがいくつか積まれてあった。どうしても読みたい本や写真、お米など、思いついたものをなんでも詰め込んできたので荷解きには時間がかかりそうだ。

 どの箱から手をつけようかと眺めていると、コンコン、とドアをノックする音が聞こえてきた。

「はーい」

 なるべくドアの向こうまで聞こえるように大きな声で返事した後、崩したダンボールをささっと積み上げて端によせ、初めての客人を出迎えに行った。

「コンニチワ、あー七瀬?」
 扉の先には、一人の女の子がニコニコ笑顔で立っていた。ゆるくカールしたブロンドの髪に、比較的整った顔立ち。つたない日本語で挨拶をしてくれたということは、私のおばさんから何か聞いていたのだろうか。

「私はテレーゼ。この向かいの部屋に住んでるの。また今度うちに遊びにきてね、一人暮らしって淋しいから。でも、ここのアパートの人達とっても優しくて、週末にはみんなで集まってパーティーを開いているのよ。近くの学校があるでしょう?そこへ通っている学生ばかりだから、みんな友達。七瀬もそこの学生なんだって?引っ越してきたばかりじゃ荷物とか、大変よね。何か手伝うことあるかしら?あと、あなたとお話しもしてみたいわ!」

 両手でぶんぶん握手して、さらにハグまでしたあと、もっとゆっくり話したほうがいい?と付け加えた。なんとか聞き取れたものの、おばさんといい、テレーゼといい、ここの人達はせっかちなのだろうか。

「どうも七瀬よ、よろしくね。立ち話もなんだから、どうぞ入って。何もないけれど、本当に」
「ほんとっ?おじゃましまーす。七瀬は日本から来たんだって?疲れたでしょう?何か飲み物でも持ってくるわね、お茶でいいかしら?」

 再び早口で話した後、私が何を言うまでもなく、彼女の部屋へ戻ってしまった。テレーゼの無邪気な笑顔を前に「おばさんにココアを頂いたから、遠慮しておくね」とはどうしても言い出しづらかった。お茶の道具だけ持ってすぐに帰ってきたテレーゼは、うきうきとお茶をいれる作業に移ったのだが、
「ティーカップ忘れちゃったわ!!」
 と、急いでティーカップを取りに戻った。どうもうっかりしている所があるらしい。この部屋の主人より先にキッチンに立つテレーゼを見て、私のロンドン生活は楽しくなりそうだな、とふと思ったのだった。


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