彼は震えていた。カツカツと小気味良い乾いた音が、断続的に鳴っている。彼の骨と骨がぶつかる音だった。
「あなたの、怒った顔が見たかったの」
 あなた、決して怒らないでしょう。だから、あなたを困らせて、あなたを追い込んで、あなたの余裕を奪って、あなたを怒りで満たしてみたかった。だって、私が何をしても、あなたは怒らなかったでしょう。あなたの、怒った顔が見たかったの。私がそう言うと、あなたがきっと私を許すことも知っていた。あなたは、怒りに身を震わせながら、私を許す。あなたは間違いなく、私を許すのだった。

「私を愛してないのね」
「いいえ、愛しています」
「いいえ、あなたは私を愛してないわ」
「あなたは美しい」
 あなたは美しい。彼はいつもそう言ってわたしをなだめた。愛されていない愛して欲しいと、誰かからの愛を求めているだけで誰も愛さない女を彼は愛した。彼の言葉に、私は馬鹿みたいに涙した。彼の優しい言葉に甘え、彼の優しい手にゆだねられ、彼の優しい肋骨に包まれて眠った。彼の骨は冷たくて硬かったけれど、彼の言葉には仄かな体温が感じられた。
「あなたは、美しい。」
 そう言って私の髪を鋤く櫛のような彼の指先が、私にはとてつもなく大きな不安を持っているように感じられた。ひどく優しい声が、どうしても不安を呼んだ。彼は本当に、目の前にいる私だけを見て美しいと言っているのだろうか、私の倍は生きる彼の「美しい」は、本当に私だけが「美しい」のだろうか。彼の言葉に、きっと偽りはない。けれど本当に彼の言葉を信じていいのかどうかわからない。彼の前にもし私よりも美しい女性が現れれば彼はその女性を愛するのだろうか、それとも彼は今までに、私よりも美しい女性に出会ったことがあってその上で私に偽りの愛を囁いているのだろうか。きっと、私だけではない。美しいのは、私だけではないのだ。尽きぬ不安は私を焦らせ、不信を呼び更なる不安を招いた。彼は私の髪を鋤き、美しいと言う。彼の声は温かく、そこには愛があった。

「あなたの、怒った顔が見たかったの」
 あなたが怒れば、きっと私への本当の愛の姿が見えると思ったから。怒りで偽りの愛を覆う壁を壊せば、あなたの本当の心が見えると思ったから。
「あなたは私を愛した?」
 彼は答えなかった。わなわなと骨を軋ませるだけで、何も言わなかった。頭蓋骨の向こうにいつも見えていた表情が、なくなっていた。彼は解っていたのかも知れない。私が彼に愛されているか不安になるのは、私が彼に対して抱く気持ちに不安があるから。彼はそれを知っていたのだろうか。彼はずっと震えていた。
「私はあなたを愛したのに」
 わたしは平気で嘘をつく。私はあなたを愛しているのに、あなたは私に偽りの愛を囁くのね、などと平気な顔で吐き捨てる。私は汚かった。私は穢らわしかった。そんな私を彼は美しいと言った。

「あなたを本当の意味で愛することが出来ないこの身体を恨みます」
 まだ肉の身体があったなら、あなたのことをもっと慈しみ愛でてあげられたのに。あなたはそんなに美しいのに、美しいあなたの身体をこの身体は受け入れられない。だから、自身を憎む。彼はそれだけ言って、私の身体をそっと肋骨に包んだ。

「あなたを愛したかった。」
 あなたのすべてを、愛したかったのです。

 一つの愛を終わらせるように彼は呟いた。それは卒業式の答辞みたいにきこえた。私は肋骨の温もりに夢中で気がつかなかった。彼は初めから私を許していたのだ。
「今まで私を愛して下さって、ありがとうございました。」
 どうしようもなく涙が溢れて息のできなくなった私を、彼は硬い骨の手で優しく撫でるだけだった。
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