いちごみるくサイダー




「月島、、…ホタル?」

「ケイ」

「あ、ケイ…」


 まだ慣れない新しいクラス。小中と見慣れた顔ばかりの中で過ごしてきた私にとって、高校というところは知らない人ばかりでとても怖いと思った。
 でも、知らない人たちばかりなのはなにも私一人だけではない。みんな、慣れた場所から烏野(ココ)にやってきた。そしてこれから3年間をココで過ごして、いつの間にかココが過ごしやすい場所になる。
 そうなれば、いいなぁ。そんな風にどこか他人事のように願った。友達作りは緊張するけど苦手という訳でもない。人見知りも最初の最初だけ。人と仲良くなるということに躊躇いや抵抗を感じたことはなかった。だから大丈夫。そう、思ってた。


「ケイくんか。私は名字名前、よろしくね!」

「…………」

「…あれ?」


 にこやかな笑顔と大き過ぎず小さ過ぎない声。失敗はしていないと思う。それでも目の前の【ケイくん】は眉間にしわを寄せて不快なものを視界に入れてしまった時のような顔をした。
 握手を求めた右手が人の温かさを覚えることはなく、スッと横を通り過ぎた時の【ケイくん】の家の柔軟剤の匂いが鼻孔をくすぐった。春の爽やかな匂いとは少し違う、甘過ぎない、なんだかとってもいい香りだった。







「ツッキーお昼食べよ」

「うるさい山口」

「次、小テストやるらしいよ〜」


 同じクラスの月島くんは同い年なのに大人っぽくてどこか他とは違って見えた。それは背の高さのせいなのか、落ち着いた喋り方のせいなのか。人を寄せ付けない雰囲気を持っていて、それなのに他人に埋もれることはなく強すぎない光を放つ。名前の通り、蛍の光のような、柔らかくもしっかりとした光を放つ人だなと思った。
 初めての会話は、会話と呼ぶには一方的すぎる情けない結末で終わりを迎えた。それからとくに会話をすることもなく、会話をしなくても困ることもなかった。

 中学までの和気藹々としたあの幼稚な雰囲気。男子がバカをやって女子はそれを見て笑っている。高校も似たようなものだけれど、少し男女で壁があるのはまだ入学してそう日が経っていないからではない。それとは違う、何かがあると思った。男と女。決定的に違うそれを意識して、少し離れたところから視界に入れて、目が合う前にソッと逸らす。

 高校というところは今までの場所とは違うサイダーみたいなところだった。パチパチ弾け飛ぶ魅力的なサイダーは一口味わえばもっともっと欲しくなって、でも欲張ると炭酸が喉にクる。でも最後に口の中に広がる甘ったるさがやめられないんだ。







 春に出会った私たちに何か特別なことが起こる気配もなく夏がきて、秋がきて、冬が終わろうとしている。また春がきたら、出会った季節になったらクラス替えをしてきっと月島くんとは違うクラスになるだろう。
 クラスの人達とはそれなりに仲良くなった。当たり障りのない会話を楽しんで、クラスが変わって1年間を共に過ごした人達とはここで一旦お別れなのだと思うと寂しさもある。でもたった一人、月島くんとだけは何の思い出もないままだった。それで良かったし、月島くんとクラスが替わることに少しだけホッとする。

 人付き合いは苦手じゃないはずだった。誰とでもそれなりのところまで仲良くなるのに抵抗はなく、少し苦手だなぁと思う人とでも仲違いせずにやっていける自信がある。だけど月島くんとだけはどうにも仲良くできる気配も感じなかった。イメージができない。話しかけて、それに答えが返ってきて、笑い合うなんてところが想像できない。月島くんを前にすると、普段はくだらないことが溢れ出てくる愉快な口がたちまち使い物にならなくなるのだ。







「ぐっちー、古文のノート見せて?」

「なんで!?」

「なんでってなんで!?」


 古文の先生の声はどうにも眠気を誘っているように聞こえてしまう。柔らかい声と柔らかな言葉の数々に、ストーブで温められた教室のトリプルパンチに沈むことは多かった。「さっき寝ちゃった」悪びれもせずに隣の席の山口からノートを受け取る。
 月島くんを『ツッキー』と呼んで仲良くしている山口のことを『ぐっちー』と呼び始めたのはいつ頃だったかな。「なにそのあだ名」と首をかしげる山口には教えてあげない。月島くんをツッキーと呼ぶことなどできないから、代わりに山口をぐっちーと呼んでみようと思ったなんて。少し羨ましく思ったなんて言えない。







 ロッカーの荷物を少しずつ家に持ち帰る。だんだんと物が減り寂しくなっていく教室に別れを告げる日も近い。あと一日この教室で過ごせば私たちは春休みを迎え、このクラスで新年度を迎えることはない。この40人余が同じメンツで顔を合わせることはない。卒業するわけではないのだから、会おうと思えばいつだって会えるしまた同じクラスになる人だって必ずいる。それなのにとてつもなく寂しいのは、どうしてだろう。


「あッ、」

「…………覗き見なんて趣味が悪いんじゃない?」

「いや!あの、その……ごめんなさい。」


 紙パックのジュースの自動販売機の脇。クラスの女の子と月島くんがいた。覗き見をしてやろうだなんて思ったわけではないけれど、足の裏に根が生えてしまったようにぴくりとも動かなかったのでそのまま息をひそめるしかできなかった。どうかバレませんように。どうか。そんな願いは駆けていくクラスメイトの後からにゅっと飛び出てきた月島くんに粉々にされた。
 遥か頭上に位置する月島くんの顔はいつも通りの無表情で、告白をされたばかりだというのに落ち着いたものだった。人様の告白の場面など立ち会ったこともない私の方が手に汗握り緊張すらしていたというのに。「今はバレーに集中したいから。」淡々と語られたバレーへの熱意はきっと私が想像しているよりも情熱的だ。その言葉を聞いて何故だか私の緊張もストンと落ち着いたように思う。人様の告白を盗み聞きして勝手にフラれたような気持ちになった。なんだか無性に泣きたくなる。


「あのさ」

「はい」

「名字さんって僕のこと嫌いでしょ。」


 なんてことないように飛び出てくる言葉が胸に突き刺さって抜けない。まるで決めつけるかのようなその言葉は月島くんにとってはすでに決定された事柄で、今更私が何を言ったところでそれが覆されることはないのだろうと思った。正直、そう思われても仕方がないほど彼とだけ接点がない。クラスのどんなに静かな男子であろうとも挨拶はするし席が近ければ世間話のような中身はあってないような会話をしてきた。月島くん以外とは。「違うよ」そう言っても信じてもらえないだろうし、私も胸を張って違うと否定できる自信がなかった。


「入学式の日、冷たくしたの怒ってるの?」

「別に…あれは私もいきなり馴れ馴れしかったかなって思ってたし…」

「名字さんが馴れ馴れしいのっていつものことだよね。」


 何を考えているのかわからないこの顔が苦手だった。悟らせないくせに人のことはよく見ていて、イタイところを突いてくるのが上手い。隠し事なんて何もないのに、心臓がドクドクと音を立て始める。処刑台にでも立たされている気分だった。


「名前…」

「なに。」

「月島くんの名前、間違えちゃったから。怒っちゃったのかなって思ってた。」

「あぁ、ホタルね。」


 「そんなのしょっちゅうあることだよ」と呆れたように笑ったのを見逃すわけにはいかなかった。
 無表情な人に見えるけれど人をおちょくる時には全力なことを知っている。ニヤリと人の悪い笑い方をしたり、今みたいに呆れ顔で笑うことも多い。バレーに関しては熱心で、普段気だるげな月島くんが放課後に近づくにつれて艶が出るのを知っている。

 あぁ、こんなにも月島くんのことを知っていたのに、彼との会話も思い出も今この瞬間しかないなんてもったいない。彼と同じ箱の中で過ごした1年間は、確かに楽しいものだったけれどどこか物足りなくて白黒写真のようだった。


「月島蛍くん。」

「?何急に。」

「なんでもない。最後に話せてよかったよ。」


 今度は間違えることはない。ホタルのような優しい光を放つ月島くんに視線を奪われ続けた1年間を認めよう。苦手だなんてとんでもない。近づいてしまったらきっと光が眩しくて月島くん以外何も見ることができなくなりそうだった。初めて、仲良くなることが怖いと思った人だった。踏み込んでしまえば最後、戻ってこれないことを知っていた。
 明日の修了式で1年生が終わる。月島くんのクラスメイトとしての1年間が終わる。会話をしたのは1年生最初の日と、今日の2回だけ。それでいい。これからも交わることはないだろうけれど、私は変わらず月島くんを目で追うことになるだろう。話しかけることなんてなく、ただ遠くから見ているだけ。視線が交わることはなく、月島くんがこちらを見た時にはもう視線は外していればいい。


「ねぇ。最後って何。」

「だって明日で最後だし。クラス替えをしたら私たちきっとバラバラだよ。」


 根拠もないのに言い切った私を、あの日のように不快なものを見つけてしまったような顔で見下ろしてくる。心底、気持ちが悪いものでも見たかのようなその顔も何度も見てきたけれど、実際自分に向けられると心にクるものがあった。


「やっぱり名字さんって僕のこと嫌いでしょ。」

「どうだろうね?」

「来年、同じクラスになったら覚えときなよ。その時はボロ雑巾のようにこき使ってあげる。」

「…めっちゃ嫌なんですけど!?」


 手の中のいちごみるくが強奪された。「じゃあね」と言って飲みかけのいちごみるくに口をつけた月島くんは今まで見てきたどの笑顔よりも腹立たしくてイキイキとしていた。

 一口だけ味わったいちごみるくがサイダーのように喉にキた。







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