寄り添う陽だまり




「……なぁ」
「んー」
「なぁー名前!」

 ソファーに沈む私にキャンキャンと吠える二口の声が頭に響く。二口って大型犬かと思いきや、断然チワワ。いつかそんなようなことを本人に言ったら、すごくご立腹だったけど青根くんは静かに頷いてくれた。

 恋人の二口と会うこともままならなかった数週間。仕事が忙しすぎて家と会社の往復しかできなかった。土日は死んだように眠った後に、持ち帰ったノートパソコンを開いて仕事をする。何してるんだろう? 何度か、我にかえって泣きたくなって、そんな時、無性に二口に会いたくなった。

 久しぶりに二口が家にくる。そう決まったのは今日の事だった。

「最後に会ったのいつ」
「分かんない」
「1か月前な」

 二口が拗ねているのが文面で分かった。「会いたい」と素直に言えない恋人の精一杯の「あいたい」が伝わって、朝から柄にもなくキュンとした。ちょうど立て込んでいた仕事が片付く予定の金曜日。正直疲れてはいるけれど、私だって会いたかった。

「夜、ウチくる?」
「いく」

 そんなやりとりをした朝。終業後が楽しみだなんていつぶりの感覚だろう。なるべく定時であがりたくて、午前中からテキパキと優先順位をつけて仕事をこなしていく。最近はもう、残業、持ち帰りが当たり前になっていて、絶対に定時で帰ってやる! という強い意志が薄れていたんだと気付いた。
 いそいそと帰宅の準備をして、同僚に疲れた顔で見送られながら急いだ帰り道。荒れた部屋を片付けて、掃除して、二口を迎える準備が終わったところでソファーで一休み──その後の記憶はない。

「……なぁ」
「んー」

 人の気配をうっすら感じて薄目を開けた先に深緑の作業着を着た二口がいた。渡してあった合鍵で家の中に入ってきていたらしい。

「おかえり」
「おぉ」

 一緒に住んでいるわけでもないのに変なの。ちょっとおかしくて、擽ったい。口元だけで笑って、やっぱり瞼は重くて開かない。二口はソファーの前でしゃがみこんで「なに寝てんだよ」「スーツ皺になんぞ」「腹減った」「なぁ!」と一人で話し続けている。とても煩い。やっぱりキャンキャン吠えるチワワみたい。あんなにかわいくないけど。
 ゆるゆると腕を伸ばして二口の頭がありそうなところまで持っていくと、頭の上に行き着く前に二口に捕らえられた。空を切る手のひらをワキワキと動かしていたら握手をするように握ってくれた。そのまま謎の握手を交わして、久しぶりの二口の体温を感じる。

「俺怒ってんだけど」
「なんで?」
「すっげー放置されてた」
「彼女みたいなこと言うじゃん」

 確かに随分会えなかったし、思い返せば連絡も疎かにしてしまっていたと思う。仕事が忙しいことを伝えていたから、分かってくれているって甘えてた。分かっていたって、寂しいものは寂しいよね。私も寂しかったな。気が付かないフリをしないと、踏ん張れない気がしたから無視していた気持ち。

「寂しかったね」
「別に寂しくねーし!」
「私は寂しかったよ」

 コロンと身体の向きを変えて、両手を二口に向ける。子供が抱っこをせがむみたいに。二口は「赤ちゃんかよ」なんて言いながらゆっくり、ギュッと抱きしめてくれた。二口の匂いだ。安心する。胸いっぱいにだいすきな匂いを吸い込んで、そのまま眠ってしまいたい気分。気持ちのいい微睡みに誘われていたところで、二口がガバりと私を引き剥がした。

「飯は?」
「冷蔵庫……なんもない」
「おまえ何食って生きてきたの?」

 栄養補給ゼリーや栄養ドリンクだなんて言えなくて、黙った私。察しのいい二口が私のおでこにでこぴんを食らわせる。いつもなら反撃するところだけれど、重たい瞼を開けることもできなくて、くぐもった唸り声をあげながら痛むおでこを押さえつけて丸まることしかできなかった。

「何か食べにいく?」
「ちょっと待ってろ」

 二口はそう言うとお財布を持って外に出た。たぶんコンビニ。待っている間に緩い部屋着に着替えてメイクを落とす。二口は私の部屋に数分しか居なかったはずなのに、もう二口の香りがする。彼が通ったところ、置いていった会社のカバン、抱きしめられた自分にも、少し。
 しばらくするとコンビニのビニール袋を引っさげた二口が帰ってきた。2回目のおかえりは玄関までお迎えにいった。二口がちょっと嬉しそうにしててかわいい。

「酒盛りじゃん」
「華金といえば酒だろ?」

 缶ビールを片手にニヤリと笑う二口が二人分の缶のプルタブを開けた。プシュッと音を立てて手渡された缶ビール。久しぶりのお酒は何かのご褒美のように煌めいて見えた。

「寝るなよ」
「んー」

 ただ、久しぶりのお酒はすぐに私を夢の世界へと連れていこうとした。まだ1本も飲み終わっていないのにうとうとと頭が船を漕ぎ始める。目の前のバラエティ番組はほとんど頭に入ってこない。ソファーの隣に座っている二口は2本目のビールを流し込んでいた。ずるずると二口にもたれ掛かりながら寝るのにいい姿勢を探し出した私に、二口がちょっかいをかけてくるが、もう眠くて眠くて。後でたくさん小言を聞いてあげるから今日はもう寝かせて欲しい。それならば一人、ベッドに向かえばいいものの、二口と離れ難い私の心が彼にくっついて離れようとはしなかった。

「けんじ」

 あまり口にしない彼の名前をのんびりとした声で呼ぶ。返事はあったのか、それすらもうよくわからなかったけど。いつの間にか作業着からラフな部屋着に着替えていた二口に軽々と抱え直されて、彼の両足の間へと誘われる。テレビの騒がしい音を背にして、逞しい胸へと顔を埋めた。
ビールを飲み込む音が聞こえる。空いている片手で後頭部を撫でつけられて、それが子守唄のようで気持ちがいいから。

「ヨダレ垂らしちゃったらごめん」
「マジ許さねぇ」
「んふふ」

 そんな会話を最後に私の意識は完全に途切れた。


◆◆◆


「おーい、寝た?」

 すやすやと眠る彼女のつむじに話しかける。のしかかる重みがちょうどよくて、広がる温かさが心地よくて。
ここに来たら小言のひとつでも言ってやろうかと思っていたのに、目をしょぼしょぼさせながら笑う彼女が愛おしくて、そんな気持ちは吹き飛んだ。もっと早く会いにきてやって、こうやって甘やかしてやればよかった。次からはそうしよう。

 上がる頬を隠すように残りのビールを流し込む。

 久しぶりに会えるからと構ってもらう気でいたのは俺の方。仕事のこと、バレーのこと、会えない間に起きた面白いこと、いろんなことを話したい気分だった。酒を飲みながら、ぷりぷりと仕事が忙しいことを話す名前を笑ったりして。
 同じ香りに包まれながら眠りにつく前に、名前の柔らかさを堪能したい、なんてこともしっかり今日の俺の予定にあった。ただ、眠さに耐えきれず瞼をしぱしぱさせる子供みたいな名前を見たら、そんな俺の大人の欲情も薄れていった。夕飯と共にこっそり買ってきた箱の出番はまた今度。

「おやすみ」

 名前の耳に唇を寄せて、小さな声で告げた。







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