薄暮の答え合わせ





「お前、さ……」

やっぱなんもない。そう言って、話しかけてきたかと思えばそっぽを向いた宮侑。隣のクラスの、私の幼馴染。
日誌に走らせるペンを止めないまま「なに?」と聞き返しても、なんもない! とムキになって言葉をぶつけてくるだけ。

「ほんまはなに?」
「なんもないって!」

何もないって言う割に、なかなか去ろうとしないし変な奴。

「なんもないのにわざわざ話しかけてこんといて」
「ッ、かわいくない女やな!」

かわいくないなんて、これまで散々言われてきたのだから、今更いちいち傷つかない。
私と侑、そして治は幼馴染で、言葉を話すようになる、もっとずっと前から一緒にいた。物心ついて暫くの間は、三つ子なんじゃないかと、こいつらの兄妹なんじゃないかと、そんなふうに思いながら過ごしていた。

「ほんまになに?」

そろそろちゃんと聞いてあげないと後が面倒くさそうだなと、ようやく侑へと身体を向ける。

放課後の教室はオレンジ色に染っていて、ジャージ姿の侑はもうすぐ部活にいく。私はこの日誌を書き終えたら帰る。私たちのルーティーンはいつの間にかだいぶ変わったね。

「今日、なんの日や?」
「なんかあったっけ?」

双子の誕生日はまだまだ先だし、思い当たるものがなくて、首を傾げながら侑を見上げる。椅子に腰かけたまま180センチオーバーの大男を見上げるのはなかなか迫力がある。

「今日キスの日やってんて」

侑からそう聞かされても、いまいちピンとこない。なんて? きす?

「魚のちゃうで」

よく分かったな。さすが幼馴染。

ぞわり。背中を走り抜けたなにか。気持ち悪くて、擽ったくて、こわい。電気みたいにな痺れじゃないのに、鳥肌とは違う。得体の知れないもの。

「侑からキスとか出てくるんキショい」

今日が、仮にキスの日だったとして。一体なんだって言うの? わざわざ私に教えて、侑が何を伝えたいのか全然分からない。なにより、キショい。これに尽きる。兄弟みたいに育ってきたんだから、そんな単語投げかけてこられても反応に困る。

「それが何?」

なんもない──また、そうやってはぐらかされて、誤魔化されて。あやふやにされるのだろうと思ってた。私は、それを期待していてわざと聞いたのかもしれない。

「ッ、」

出かけた言葉は、音に成らず、ふたりの間に消えていく。
目だけで見上げる侑の顔は、未だ目の前にあっる。見下ろしてくるその目は、この状況には似つかわしくない、怒りのこもった瞳をしていた。なんで侑がそんな顔するん。怒りたいのは、こっちやんか。いつもなら飛び出る文句も、いつもなら炸裂するパンチも。いつもいつも、かわいくないと言われてきたものが、ここぞというときに全く役に立たない。
侑の顔が、夕陽の色をしている。

「……避けろや」
「ごめん」
「謝んな」

なんだこいつ。侑は、まるで小さい子供が眠いのに寝たくなくて駄々を捏ねているみたいに理不尽で、横暴なことを言う。避けたら避けたで、煩いくせに。

「キスの日やからって手頃なとこで済ますん、やめてもらってええ?」

バレンタインデーやあるまいし。とりあえず義理でもいいからチョコくれや! みたいなノリで、こんなんされたら頭おかしくなる。

止まっていた思考回路がゆっくりと動き出すのと同時に、ふつふつと胸の真ん中が熱くなる。私、これ知ってるかも。熱くなった後、弾けて、土砂降りの雨に降られて冷まされるやつ。べちゃべちゃのぐちょぐちょに踏みつけられて、汚いまま固まるの。

「早よ、部活行かんと北さんに怒られんで」

侑から目を離した私は、元の通りに机に向かう。何事もなかったかのように、いつも通りに、このまま一生、今日の日のことを思い出さなければいい。そうしたら、あとは雨を降らせて、地面を固めるだけでいいから。

「お前が手頃とかふざけんな。何よりも厄介やんか」
「厄介にしとんのは侑やろ。治には黙っとくから、ッ」
「他ん男の名前出すな」

後ろから侑が覆い被さるように抱きついてきて、ぎゅうぎゅうと痛いくらいに締め付ける。その度に軋むのは身体ではないところ。

夕方と夜の間、ふたつの色が交わり合う、薄暮。

ふたたび交わる、境界線。

「お前なんにも感じひんのか? 俺とキスして、なんにも感じんかった?」

なんて答えたらいい。未だ、唇に残る侑の熱も、その柔らかさも、胸の痛みも。抱きしめられて軋む心臓も。

「知ら、ない。こんなん知らんもん」
「気持ちよかったやろ? ほんのちょっと触れただけやのに」

そう言って、侑の指先が唇をなぞる。柔く触れて、離れてを繰り返していく右手に耐えきれず、胸の前に回されている左腕を掴む。苦しいの、もうこれ以上意地悪いことされたら、もう、戻れないから。

「やめっ、ダメだってば」
「俺がこんなに好きなのにお前はいつまでシラ切るん」

いい加減にせえよ、そう言って私の首筋に頭を埋めて、ぐりぐりとおでこを擦り付けてくる。こんな侑知らない。幼馴染の、侑じゃない。幼馴染じゃ、なくなっちゃう。

そっと侑の頭に手を伸ばし、恐る恐るぽん、と手を置いたら、侑の肩がビクッと揺れた。苦しくて、こわいのは私だけじゃないのかもしれない。ゆっくり二回撫でつけて、またぽんぽんと二回やさしく叩いて。そうしているうちに、肩の力を抜いた侑がぎゅうっと答えた。

「私が嫌いっていつ言うた?」
「好きって聞いてへん。幼馴染やなく、兄妹でもない。男として好きやってちゃんと言え」

もう全部、自分で言うてしもうてるやん。全部全部、侑に伝わってるやん。
こんなに全部伝わってしまっているのに、今更声に出す必要はあるのかな。あるんやろな。誤魔化したり、蓋すんのは、もう今日が最後。

「好きやで、ちゃんと。幼馴染じゃない侑が。」

物心ついて暫くしてから、ずっと。

「なぁもっかいしてええ?」
「いやや」
「あかん、確認さして」

今日の全部を、キスの日のせいにするのはもったいないね。





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