今から一年前。
「赤司!……おい赤司!」
突然事務所に駆け込んできた、一人の刑事。ドタバタと階段を駆け上がる、けたましい音を響かせ……青峰は、ノックもせずに赤司探偵事務所に飛び込んだ。息も荒々しい彼を見て、その部屋の主は顔色一つ変えなかった。
「どうしたんだ大輝。そんなに慌てて」
「はぁッ……おい、離婚訴訟起こしかけてるカップルの、相談受けてるって本当かよ!?」
呼吸を整えないまま、一息にそう言う青峰。そんな青峰の剣幕とは裏腹に、主こと赤司は済ました表情で答えた。
「あぁ、本当だ」
「ちょっ……マジかよ。それ、今すぐに手を引いた方がいいぞ」
「言っている意味が分からないな」
赤司がそう言うと、青峰は一層苛々したように声を荒げた。
「ふざけんな……!知らないふりをして実は全てお見通し、そういう奴だろ赤司!」
「……」
青峰の指摘に、赤司は肯定も否定もせず視線を泳がせた。そんな赤司の態度を予想していたのか、青峰はそれ以上声を荒げることはしなかった。
「……ったく、まぁ赤司に何があろうと、結局オレには関係ないことだけどな」
「酷いな。もっと他の言い方はないのか」
冗談のような口調でそう言うが、その目は全く笑っていない。
「……それで、一体何がまずいのか言ってみろ」
話の続きを促す、有無を言わせない口調。青峰は、従う以外の選択肢は無いと悟り、重い口を開いた。
「……一週間前、うちの署に女が駆け込んできた」
ーーー
ーー
ー
女の名前は清水麗(しみずれい)。
彼女が言うには、夫である東真吾から酷い暴力を受けているということだった。東の逮捕と、身柄をかくまってほしいと要求してきたが……東が暴力を行っていた決定的証拠が無いため、警察は動こうとしなかった。彼女は半ば強引に押し返され、その時に応対した警官は報告さえも行わなかった。
そしてその結果ーーー昨日の夜中、清水の自宅が火事となり、死体が発見された。出火したのは2階のベランダで、ガソリンの臭いでいっぱいだった。警察は、おそらく殺人を目的とした放火だろうと判断した。
そして、最も容疑者である可能性が高い人物こそ……夫である、東であると。
ーーー
ーー
ー
「……つーわけで、今こっちじゃ東真吾がボロ出さないか必死に調査してんだよ」
「……それで?」
「……容疑者候補と、頻繁に会っている奴も疑いをかけられるってことだ」
そう言いながら、赤司の顔色を伺う青峰。
「僕のことを心配しているのか。だとしたら余計なお世話だ」
「ふん……心配なんざしてねぇよ、忠告だ」
皮肉にそう言った青峰には答えずに、赤司は白い壁にかかった時計を見た。
「……そろそろだな」
その呟きに対して、青峰が口を開く前にーーー背筋が凍りつくような笑みを浮かべ、赤司は言った。
「チェックメート」
ーーー
ーー
ー
……そして、時間軸は現在に戻る。
愛が出て行った後、一人仕事場に取り残された青峰は思考回路をフル回転させていた。
「……ネコの死体、か……」
今日、黄瀬が証言したことである。しかし、その後すぐ現場に駆けつけたものの……ネコの死体は何処にも見つからなかった。事件とは何も関係がなさそうに見えるが、小さな変化でも見逃してはならない。そういう意味で、ネコの死体を回収できなかったことは悔やまれる。
「なんせ、今日火事があったトコの近くだもんな……」
青峰はそう呟き、長いため息をついた。
ーーー青峰の携帯が鳴りだしたのは、それとほぼ同時だった。携帯を取り出し確認すると、そこには「非通知」の文字が表示されていた。滅多にかかってこない番号に、違和感を感じながら通話ボタンを押す。
「もしもしーーー」
『青峰大輝だな』
青峰の言葉を遮り、聞こえてきたのは男の声。聞いたことがないその声に、青峰が戸惑っていると相手の男は続けて言った。
『お前の部下を預かっている』
それを聞いた途端、「はぁ?」と間抜けな声が漏れる。
「お前誰だ……って、オレの部下ぁ?」
『生きて返してほしければ、一人で銀行の近くの廃工場に来い。一人でだぞ。このことは誰にも言うな』
「お、おいおいお前何言って、意味がわか」
青峰が全て言い切る前に通話は途切れ、後はただ無機質な音が聞こえるだけだった。しばらく無言で立ち尽くし……午後6時を知らせる自分の腕時計が鳴った時、ようやくはっと我に返った。
「……あいつ、5時にここ出たよな」
真っ直ぐ家に帰っていれば、もう着いている頃だ。ただの悪戯だと信じたかったが……青峰の手は自然と動いていた。「長澤愛」と登録された電話番号を呼び出し、発信する。祈るような気持ちで、相手が出るのを待った。
しかしーーーコール音はいつまでも規則正しく鳴り続いていた。