署を出て約1時間ほど歩いたところに、私が住むマンションがある。毎日徒歩で通勤するには私にとって結構辛いが、運転免許を持っていないのだからいた仕方ない。
クリーム色で、どこか暖かい雰囲気が漂う外観。ここ2、3年前に建てられたばかりの、少し高級なマンションである。そのためなんと、エレベーターも設備されている。もちろん階段もあるのだが、私はいつもエレベーターを使用する。少し前に、このことを地元の母親に伝えると「まだ若いんだから運動しなさいよ」と呆れられた。確かに、私はまだ23だ。しかしながら、使えるものは使わないと勿体ない。便利なものは使うべきだ。
というわけで、私は本日もエレベーターを活用する。チン、と心地よい音が響いてドアが開く。中には誰もいなかった。
私はこの狭い空間で、知らない人と一緒になるのは好きでない。……勿論、たいていの人はそうなのだろうが、私は極度の人見知りだ。私の部屋は5階にあるので、「5」のボタンを押して、あとはドアが閉まるだけ。

ーーーと、ドアが閉まろうとした時。

「あっ、すんません!ちょっと待って!」

大声をあげて、ドアの間から滑り込むようにして入ってきた黒髪の男性。突然のことに、私はギョッとしてすぐに返事ができなかった。

「……どうかしました?」

そう言われて、慌てて我に返る。無意識のうちに、相手の顔を見たまま硬直してしまったようだ。

「……あっ、すみません」

取り敢えず謝り、ドアを閉める。すると相手は「なんで謝るの?」と言いたげな表情になったが、その前に私が口を開いた。

「何階ですか?」
「あ、えと、5階っす」

なんだ、私と同じ階なのか……事務的な会話を済ませると同時に、小さな箱は静かに上昇を始める。

「……ん?なんか初めて見ると思ったら、もしかしてこないだ引っ越してきたお隣さん?」
「……えっ」

「お隣さん」という言葉が引っかかる。つい先日挨拶に向かったところ不在で、結局訪ねていないのだ。

「……高尾さん、ですか?」

確かこんな名前だった筈、と思い出しながら尋ねる。すると相手の表情が柔らかくなり、正解だと確信した。

「やっぱり!いやぁー、この前挨拶にでも行こうとしたら不在だったんで」

……私と全く同じことをしていたとは。どうやらお互い知らぬうちにすれ違っていたようだ。

「そうだったんですか……あっ、私、長澤愛と言います」
「あぁ、こちらこそ宜しく。俺は高尾和成!……ところで、長澤さんもしかして大学出たばっか?」
「へっ?はい、そうですけど……」

どうしてそんなことを聞くのだろうと疑問に思っていると、高尾さんは嬉しそうに笑った。

「マジ?よかったー……年近い人がいなくて寂しかったんだよな。俺は24だからさ、そんなに緊張しなくていいよ」

それを聞いてギクリとする。うまく隠しているつもりだったが、緊張してるとばれてる。しかも一般人に……なんだか刑事として情けなくなってくる。しかし落胆と同時に、年が近いということに安心感が溢れた。

「私も、心強いです……良かった、実は唯一のお隣さんがヤクザの人とかだったらって、不安で仕方なかったんです」

ちょっと冗談のように言うと、「え、なにそれ!」と笑い出す高尾さん。

「や、ヤクザって……!ヤクザはこんな真新しいマンションに住まないっしょ!」
「……ぁ」

よく考えると、それもそうである。起点がきかなかった自分の冗談に赤面すると、「チーン」という到着を知らせるベルが鳴り響いた。2人一緒にエレベータから降り、自然と並んで歩き出す。

「分からないこととかあったら、いつでも頼ってな」
「あ、はい……!ありがとうございます」

そんな会話をしながら、隣同士の玄関を同時に開けて帰宅する。……取り敢えず、隣の住人への挨拶を済ませるという重大な関門を突破した。そして、人見知りである自分がいつの間にか口元をほころばせていることに違和感を覚える。

「……なんか、不思議な人だったな」

私の緊張を、こうも簡単に解いてしまうなんて。

ーーー
ーー


ーーー"ゴツン"。

それはまるで、頭に巨大な隕石が落ちたと錯覚する痛みで……部下が帰宅した後、いつの間にか机の上で眠っていたアホ上司は飛び起きた。

「い゛っつ……!?頭が割れ……」
「仕事放り出して堂々と寝てるたぁ、いい度胸だな青峰ー。轢くぞ」

アホ上司、もとい青峰のボヤきを遮ったのは、ニコニコと表面上は笑っていながらも物騒な言葉を口にする男だった。青峰はその言葉に肩を震わせ、ゆっくりとーーー恐る恐る自分の背後を振り返り、その男の姿を確認する。

「っ……!?み、宮地警部補ッ!?」

自分の上司と判断するが早く、慌てて椅子から立ち上がって敬礼し、「お疲れ様です!!」とガラリと態度を一変させた。対する警部補……宮地は青峰の脳天に再度、「グー」にした拳を振り下ろす。"ゴツン"と先ほどと全く同じ音が響き、青峰は声にならない悲鳴を上げた。

「お疲れ様ですじゃねーよ刺すぞ。マジで頭割るぞ仕事だ仕事!明日の朝までに終わってなかったらクビだ、分かったら3秒以内に取りかかれ」

笑顔で拳から親指を立て、それを自分の首にあてて平行に切って見せた……それとほぼ同時に、青峰はパソコンと向かい合っていた。

ーーーくそっ、今日の警部補は一段と機嫌が悪りぃな……。

そう思いながら、ちらりと横目で宮地の背中を見る。宮地は青峰の机から離れると、部屋の一番奥にある自分の机に向かった。椅子に腰を下ろしたその表情は、思っていたより深刻そうだ。普段はほとんど疲れを態度に出さない人物のため、小さく溜息をつく姿が異様に感じられた。

「……警部補、捜査が難航してるんですか?」

思わず話しかけると、宮地は一瞬ごまかすように視線を逸らしたが……再び溜息をつき、「……あぁ」と短く答えた。




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