弟が目の前にいた。
いつこんな顔付きになったんだろうか、整えた髭が薄い唇と顎を囲っている。整髪料の光沢が光る長い黒髪を後ろに流している。着ているスーツから煙草の匂いが微かにした。いつから吸っていただろうか、わからない、何もわからない。

どうして弟の胸にフォークが刺さっているのか、どうして血を口から流して倒れているのか。

どうして弟が死んでるのか、わからない、何もわからない。

頭が痛い。手で押さえると、手が濡れた。目の前に持って来ると血濡れた手が震えていた。

「大丈夫?」
「…誰だ!」

ダイニングのドアから見知らぬ女が入って来た。携帯電話を持っている。怒鳴った俺が不快だったのか、眉をよせて俺を凝視した。あまりに視線が熱く、俺がもう一度落ち着いてお前は誰だと聞くと女は目を閉じて唇を噛んだ。

「…誰でもないわ、ただの女よ」
「女、誰に電話した、何でここにいる」
「ここは私の家だからよ、ディナーを食べてたわ、私とあなたと彼で」
「これは俺の弟だ!何で死んでる!何があったんだ、何故俺は何もわからないんだ?」

俺は痛む頭も無視をして髪を両手で掻き乱した。
わからない、わからない、わからない。
言葉にならない声で唸った。

女の手が俺の腕に触れる感触がした。顔をあげると女が甘ったるい笑顔で俺を見ていて、落ち着いた声で言った。

「私が、殺したの」

腕に触れていら手を払いのけた。女は笑顔を消して払いのけられた手を見つめた。

俺は言葉にならない声で、何でどうしてと女に問いかけたが女には伝わっていない。弟の横たわる場所から一歩向こうにあるテーブルを見るとフォークやナイフが並べられている。弟の胸に刺さるフォークを入れて三人分。

弟を見つめると、昔を思い返した。弟は俺の大学合格祝いに映画のチケットをくれた。そうだ、そのチケットでガールフレンドと映画を見に行った。弟の気持ちが嬉しかった。

テーブルに置いてあるナイフの内、一番近くにある物を掴んだ。まだ手が震えてる。女を見ると女もこっちを見ていた。ナイフを見て、俺の目を見た。その目は泣いていた。

ふざけるな、弟を殺しておいて、今さら命乞いをする気か、ふざけるな、ふざけるな。

俺は叫びながら大きく振りかぶって、ナイフを女に投げた。女はかわさずにお腹にナイフを受け入れた。まだ泣いている。

「あいしてるわ、」

女はかすかに聞き取れる声量でそういうと倒れ、自分の血の海に顔を浸けて動かなくなった。
しばらく俺の息遣いだけが空気中に漂った。血の匂いが充満している。

見渡すと、やっと色々な物を理解できた。弟をもう一度見ると、弟の手には手紙が握られていて、二つ折りにされたカードの表には俺の名前が書いてあった。
自分の血で汚れたままの手で手紙を開いた。黒いインクで書かれた手紙だった。見たことのない女の字で書かれている。

《あなたは記憶障害者です。新しい事を覚える事が出来ません。昔の記憶を忘れつつあります。

私を忘れなかったあなたは弟を忘れました。今夜、私の浮気相手という振りをして三人で食事をします。
覚えていないでしょう、彼は私達の最初のデートで映画のチケットをくれたのです。そんな彼が私達の仲を裂く事はあり得ない、あなたがそれに気付き、彼を思い出すと信じています。
失敗したら私のせいです。無理に記憶を呼び起こすのは危険だとドクターに言われたけれど、こんなに近くにいた弟が泣いているのにも気付かないあなたが、私は悲しいのです。何かあったら連絡をするとドクターには言ったけれど、何もない事を願います。どうかあなたが私を信じて忘れないでいてくれる事を。
キスとハグを。》

数分前を思い出した。心拍数が跳ね上がる。フラッシュバックする映像は、俺が弟を殺すところ、女が弟を守ろうと俺を突飛ばしてテーブルでぶつける、私がこんな提案をしたからと泣く女の姿。
その時、最初に女が入って来たドアからパジャマ姿の女の子が入って来た。目を擦りながら部屋を見渡すと俺を見て言った。

「どうしてママとおじさん、そんな所で寝てるの?パパ」

フォークとナイフ



メメントにハマっていた私が、記憶障害の魅力にとりつかれて書いた話でした。
うまく書けたら面白い筈だった。

written by ois







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