酔陰 -カゲニヨウ-
三國無双:馬岱×玄徳


「………玄徳様。」

おかえり、馬岱。
どうした、そんな顔をして。

「玄徳様、玄徳様。」

ああ、よしよし。
落ち着くまでこうしていよう。お前がここまで取り乱すのは、久しいな。

「悲しい事が、あったんだ。俺は、悲しいのに、躊躇はなかったんだよ。」

……そうか。しかし悲しみに心を染めても、お前の覚悟は確たるものだったのだな。涙を流してでも、進まねばならない道があるように。

「うん、そう。そうしなきゃ、いけなかったんだ。」

馬岱、馬岱。
自身の選んだ途に後悔をしているのか。それでも変わらずお前の眸は曇っていない。

「後悔なんか……しないよ、する訳がない。俺が、それを望んだんだ。」

お前は強いな、馬岱。
私よりもよほど強い。
さあ、その刃が欠けてしまった剣を置いて、汚れてしまった衣も替えて来るといい。

「ああごめんね玄徳様、こんな格好で。帰ってすぐ、玄徳様の顔が見たくて。」

ああ、それは嬉しいな。労うことしか出来ぬ身だが、お前が望むならいくらでもこうして迎えよう。ほら、笑った顔がお前にはよく似合う。お前も私によく、そう言ってくれたろう?

「うん……ありがとう玄徳様。着替えて来るから、待っててくれる?」


拭っても消し去れない血の、臭いがした。
馬岱はよほど急いで此処へと戻ろうとしたのだろう。馬岱から話す意思がない限り、何が、と劉備が訊ねる事はない。
それじゃあ綺麗にしてきますと馬岱は劉備の室を後にした。少しの間をおいて、年老いた家宰が温かな酒を盆に乗せて訪れた。老人は馬岱を抱きとめた際に汚れが移ってしまった劉備の衣を慣れた様子で換えつつ、馬岱様のお戻りを待たれる気持ちは判りますがお躰を労られますようにと、微笑ましさ混じりの調子でたしなめる。これには劉備も困ったように笑い返すしかない。

世俗から切り離され、剣戟も権謀術数とも縁のない穏やかで静かな場所に、馬岱は劉備を密やかに隠している。
此処に来るよりも以前、劉備が覚えていることはといえば白帝城、呼吸も瞬きさえもひどく重く煩わしく、横たわり天井ばかりを見つめていた。案じて見舞う顔は少なくはなかったが、何せ音も色も感覚は全て遠く、余命幾許もない己れとの無益な時よりももっと、実りある事に手間暇を充てて欲しいと些か卑屈にさえ思ってしまっていた、最期まで。

最期。

それも、覚えている。諸葛亮の顔。
凛とした冷ややかとさえ感じる面差しを、悲嘆のさざ波が揺らしていた。なみなみと満たされた杯から溢れる如くに悲しみがこぼれるだろう様を、劉備は目蓋をそっと閉じて見る事はなかった。きっと諸葛亮自身が見られたくないと望んでいただろうから。それから、閉じたまな裏を温かく照らすようなひかりを感じて、これは先んじていたおとうと達が迎えに来てくれたのだと思った。
諸葛亮を泣かしてしまった劉備の心が痛まないではなかったが、後にはまだまだ優れた文官武官達がいる。それらの者達と手を取り道を携えて喪失の虚ろも乗り越え、諸葛亮は眩い未来に進むのだ。

劉備が知る諸葛亮ならば、そうなる筈だった。



「馬岱殿。お願いがあります。」

「かしこまってどうしたの、軍師殿。いつも通り命令してくれれば、俺は何でもやるよ。」

「どうか、聞き入れて頂きたいのです。」

「改まっちゃって、何だか怖いねぇ。ただ事じゃあ、ないんだね。」

「貴方にしか、頼めない。」

「俺にしかできない事なんて、いつもの事じゃない。この国の為に、何でもするよ。俺と若を受け容れてくれた恩は返しきれない。」

「有り難う御座います。貴方は本当に、私の良き協力者です。」



諸葛亮の言うように、陣営の優れた武将の誰よりも、馬岱は諸葛亮の良き協力者であった。
しかし理解者ではない。
人に臥竜と言わしめる諸葛亮の思惟思考を全て理解出来るものなど居る訳がない。だがその志はただ一途に、劉玄徳の目指す天下へとひたむきに寄り添っている。それだけ判っていれば、諸葛亮が何を目的としていようが馬岱は唯々諾々として協力の労を惜しまないだけだ。どんな仕事であろうと、どんな内容であろうと。

生かすこと。
隠すこと。
守り通すこと。

諸葛亮が馬岱に頼み込んだ事は実に単純明快であった。
その対象が、身罷られた筈の劉備でなければ。

聞いた最初は何の冗談か隠喩かと思ったが、諸葛亮との密約を成したその日、人目を憚る夜半に馬岱の邸に小さな老人が一頭の馬に荷を牽いて訪れた。老人は歴戦の猛将と言える馬岱を前にして臆した様子もなく、むしろ見定めるようなふてぶてしい目線を隠しもせず、一応は馬岱に膝を折った。その身のこなしと足運びに老人が剣を知る者とは勘付いたが、諸葛亮直筆の信が置ける使者という書を携えての事で、有り難く馬岱は老人を協力者として迎え入れ重用する事に決めた。
そうして検分した荷は諸葛亮が何ひとつ紛いごとを言っていなかった証明になった。その時の馬岱の心境は突然深い谷底に置き去られた苦悩と、誰も手にし得ない貴い宝を手にした歓喜とに翻弄された。それはとても危うい宝で、守るも隠すも決して容易くはないが、恐れを凌駕して余りある歓びだ。

本当は死んだはずなのに、だとか。病厚く起き上がる事もままならなかったはず、だとか。理由も理屈も知るものか。

白い顔にけれど頬には確かに赤みがさしている。そうっと取った手首はひどく頼りなく細かったけれど脈動を伝えている。この人は確かにここにいる。それだけでいい。この命が尽きるまで、この命が尽きても、お守りするのだ。

我が君、劉玄徳様。

行き場なく生き場を探し幽鬼に等しく彷徨っていた自分と、親しき従兄弟である馬超を、心から受け容れ重用して下さった。この方を生涯最後の主君と仰ぎそして果てるのだと思っていた。それがこんなにも早い別れになるとは。後継である劉禅に忠がない訳ではなかったが、悲しみに穿たれた心の穴はなかなか埋まりそうになかった。

そしてまさかこんな形で満たされようとは思いもしなかった。

馬岱の邸を訪れたばかりの劉備は、何故自分が此処に居るのかどうして未だに生きながらえているのか、何も判っていなかった。当然の事ではある。何せ馬岱にもまともな説明ひとつなく、諸葛亮はかの人の身柄を託したのだから。

「玄徳様、貴方は九泉へと旅立たれたはずですが、どうやらそのお命は尽きていなかったようです。ただ今後は心安らかにお過ごし頂くよう、お守りする事を軍師殿からこの馬岱が申し付けられました。」

劉禅が跡を継いでいようがいまいが、きっと諸葛亮は「劉備が亡くなった」時点でこうするつもりだったのだろうと、馬岱には察する事が出来た。
諸葛亮の神算たる頭脳を理解出来ることはない。ただ一人の臣下として、劉玄徳を慕い仕える者として、その思いを解する事が出来る。


どんな形でもいい、生きていてくれればいい。他の誰が死んでも、例え蜀漢が滅んでも。

この人さえ生きていれば、
この人の国は滅びない。


「私は、死ねなかったのだな。」

ほとほとと涙を落として劉備は嘆いた。
この人は死にたがっていた。
大事な大切なおとうと二人を理不尽に亡くし怒りと悲しみの矛を振りかざしていたが、病を宿した躰で長く武器を手にする事は出来ず、命そのものが力尽きるのは時間の問題だった。そしてそれを劉備自身が待ち望んでいた。そもそもそれが、目的だったのかもしれない。
そんな劉備の意志に反するこの行為は自己欺瞞である事は疑いようもない。それでも。

「主公。…………玄徳様。俺は、あなたが生きててくれて嬉しいよ。状況が状況だから、他の誰にも教えられないけれど、不自由な思いをさせちゃうけど、でも嬉しいんだ。ごめんね、ごめん。」

馬岱が伸ばす手を、哀しみに沈む劉備は拒まなかった。
自分の腕が容易く両肩を囲えるほど儚くなった劉備の体躯に、馬岱の背筋が寒くなった。一度あらぬ世を渡りかけた御身は、人ではないのかもしれない。だからと言って、離すものか。

「お願いだよ、玄徳様。軍師殿が、俺が生きるためにも、生きていて。あなたがいる事で、俺たちは頑張れるから。どうかお願いします。」

ひどい事を言っている自覚はあった。自分達が望むから生きていて欲しい。貴方の意思など関係ない、などと。弱り果てた相手につけ込んで。
それを判らないはずはないのに、その上で劉備は頷いた。もはやなんの価値もない死に損ないでも、お前達の役に立つならと。
どこをどうしたら、そんな答えを返してくれる考えに至るのか。劉備が亡くなったと聞いた時にもこぼしはしなかったのに、馬岱は劉備を堅く抱き締めたまま、ほんの少しの涙を落とした。

5年に、なる。

此処に来た当初に比べて、劉備の顔色はずいぶんと明るくなった。痩せた体躯に肉は戻らなかったが肌の色つやは良く、まるで若返ってさえいるのではないかと思える程に。
健やかな劉備が優しい笑顔で嬉しそうに自分の帰りを迎えてくれる。馬岱にはそれだけで生きる理由になる。その為ならどんな手を汚す仕事でも躊躇いはしない。
自室に戻った馬岱は赤黒く汚れてずしりと重い甲冑を外し床に置き、それを見下ろした。

「いつか俺もそっちに行くから。もう少し待ってて頂戴よ、魏延殿。その時に恨み言なら幾らでも聞くからね。」

劉備に心から忠義を捧げた武将、魏延。まるで本能そのもので劉備を慕っていたとしか思えないほど、その魂は劉備の為だけにと戦っていた。例え劉備が亡きものになったとしてもその衷心は消えず燃え盛るだろうと誰もが判っていた。
だが劉備の存在をないものとして隠匿する、その為に最も危険な因子だったのは事実。諸葛亮が危惧した結果の選択は果たして、本当にそれが最善だったのか馬岱には判らない。ただ諸葛亮の判断に馬岱は従った。
馬岱にとって魏延は確かに良き戦友だった。悲しくない筈があるものか。

だがお守りしなくてはならないのだ。
あの人が居なくならないように。
この命にかえて、この国をかけて。

自分と諸葛亮がどれほど恨まれ憎まれるか判らない。だが魏延は魄となってもきっと、あの人を守ってくれるだろうと馬岱は思っている。

「馬岱様。玄徳様が待ちくたびれてらっしゃるのでは。」

足音もなくいつの間にか背後に控えていた老家宰が些か呆れを混ぜた声を掛けてくるのに、馬岱は微塵も驚いた様子はなくうん、と返した。

「ひどく汚されましたな。手入れは、」

「ああいや、良い。棄てる。拾われないよう鍛冶屋に預けて溶かすのを見届けてくれ。」

家宰は少し眉を上げたが何も言わずに頭を下げ、自分の体躯を上回る甲冑を軽々と担いで馬岱の室を出て行った。
そうだ、劉備が待っている。早く身なりを整えて向かおう。きっと食事は済ませただろうからせめて酒でも酌み交わせたらいい。

何だか今日はとても疲れてしまったから、あなたと話してあなたの声を聴いて、あなたの笑顔をたくさん見たいんだ。

そうしたらまた俺は頑張れる。







三國無双シリーズでは
白帝城以降に実は玄徳様が
生き延びていているIFを
何遍も何種類も妄想しています
その一つである馬岱×劉備は
無双6で何故か馬岱と
固有ムービーのある
司馬昭と絡めて昭劉に繋げるのが
楽しいのであります!!!





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