宿病 -ヤマイヤドリ-
創作三国志:周瑜→玄徳


闇が微妙に淡く、その輪郭がおぼろげなそんな夜。
あまりにもはっきりしない闇空を見上げる一人の男。否、「見て」いるのかも怪しい、そんな目つきである。
男の肩書きは呉の大都督、国主の信頼も厚くまた、その容貌より美周郎とも呼ばれている。

名を、周瑜。字は公瑾。類い希なる頭脳とかんばせの持ち主であると、世にその名は届いている。そんな男が今、何を思いて空を視ているのか。
生憎、覆うような雲のお陰で星も月も見えないそんな空。少なくとも天文目当てでは無いことは明らかである。だが周瑜の目的は非常にそれに近いとも言えた。
天文によりて占を行おうというのではない、ないが―――

周瑜は月を、見たかったのだ。

折しも今宵は仲秋、晴れてさえいれば円やかに美しい弧を描く望月を、目にする事ができただろう。
けれどその空はどんよりとくすみ、月影の欠片さえここに伝えようとはしない。まるで別の何者かが月を独り占めしているのではと、子供じみた勘繰りをしたくなるほどに。

月。月が見たい。
淡く儚くも見えるくせに、その凛とした姿勢を決して崩しはしない、あの“月”が見たい。意識せず、手摺りに掛かっていた周瑜の手に力がこもっていた。
判っているのだ。己が真実まみえたいと望んでいるのは、この空高くもの哀しげに存在するあの月ではないと。
そう。それも見るだけではなく、この手で掴み腕の中に捕らえ二度と放すまいと心の奥深くで願って止まない、地上の月輪。
それが出来たら、どんなにか。

「劉備……玄徳…」

それが、彼の佳人を地上に縛り付ける、名という呪縛。
実際、周瑜がその姿を見ることができたのは片手の指で充分余るに足りる。
それも自分の宿敵、そして好敵手でもあるあの諸葛孔明が、これでもかというほど心酔するのはいかな人物かと少々…いや多少の意地の悪い色眼鏡を通してだ。

だがそんなものは些細な事だと言わんばかりに、その劉備という男には言葉にできぬ圧倒的な存在感があった。

(初にお目に掛かる、周瑜殿。我が軍師より話に聞いてはいたが、斯様に若く雄雄しい大都督殿とは思わなんだ)

厚かましいのではない。押しつけがましいのでもない。ただ、ゆったりとしたその所作。

(江東、孫呉の未来を背負い立つ気概が空気を震わせ伝わるようだ、歴代の先主もさぞ誇らしい事だろう)

何と言うことはない、だがいちいち目を引かれてしまうその仕草。

(共に、戦ってくれるか。誰の為でもない、守りたいものの為。同じ天は抱けぬ同士、互いの腹は見えぬが一つだけ判っている、曹操は敵だ。倒すべき、敵だ)

穏やかな物言いの中にひそめられた強固な熱い、けれど閑かな意志。どこか神秘的に深い憂いをたたえた瞳は、あくまでも澄んでいて。
そして何よりもあの、笑顔が。

(こうしてまみえ、話す事が出来て嬉しく思う、周瑜殿。貴方を見ていると義勇の旗を掲げた日を思い出す)

「……まずい、な」

引き込まれそうになった。劉備の舌に乗せる言葉は直接的で、ある種即物すぎる感さえした。だのに浮かべるのは駆け引きも下心も何もない、掛け値なしの笑顔。

だけどだからこそ。

逆にそれを疎ましい、危険だと思う輩も多々存在するのだろう。実際呉の家臣の中にも劉備をよく思わない声はすでに幾つか上がり始めている。

(不思議な、危険なお方ですよ。一切かなぐり捨てて、その元にこの身を投じたくなるなるような)

不意に、苦笑しつつ劉備の人柄をそう評した魯粛の顔が、脳裏に浮かんだ。
全く以てその通りだと頷けてしまう。かといって魯粛も自分も呉の重鎮。それがまして蜀に降る気など起ころうはずもない。さらさらにない。それを狂わせるのだ。あの劉備という人間は。魔性と言うには余りにも力強く清廉なその姿で。
けれど劉備の傍らには、眠れる竜がとぐろを巻いている。臥竜こと、諸葛孔明。その竜が眼を常に光らせて警戒をし、劉玄徳という人物に尾を巻きつけている。

かつて劉備その人が、己を魚、孔明を水と例え評したと言うのを耳にした。

水魚の交わり。水は、魚が生きてゆく為に必要な環境。
人が生きるのに空気を必要とするように、なくてはならぬ、失くては生きてゆけぬ存在だと。

周瑜の中で、ふつふつと臓物が熱を持つのを感じた。
とんだ茶番。そんなもの、戯れ言に過ぎない。
何故ならば、知り合って大して間もなくそれまでは赤の他人同士だった二人。そんな二人の間に一片たりとも隙間が存在しない訳はないのだ。考えるまでもない。
実質、その周囲では“水”に対する信用はかなりの薄さだとも聞いている。ほら、こんなにも危うい。
そして自分が諦める必要、理由など微塵とてないのだ。そう、必ずこの手の内、彼の“月”を墜としてみせよう。
周瑜のその、形も美しく整った唇に刻まれるは酷薄な微笑。

さぁ、臥竜などという獣紛いからあの“月”を解放せんが為の策を立てよう。それはやがて己の渇望を満たすための第一段階。
連なる先に何が待っているのかは判らない。

ただ一つだけ、はっきりと判っているのは周瑜の心中が澄み渡っているという事。晴れ渡っているという事。禍々しいまでに。





【 了 】



旧PCサイトからサルベージ。
自分が抱いた周玄のイメージは
執念深く容赦ない感じでした。
前提は権→玄←周で
鬼畜な3●(ドン引き)






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