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▼趙玄@AB纏め再UP

2013/08/10 08:51 創作三国志(0)
「お別れだ」

劉備の言葉を受けて趙雲は笑っていた。
公孫賛の幕舎にあって劉備の陣営を連日訪ねに来ていたこの若武者はてっきり自分の旅立ちにあたって義理も手順もすっ飛ばして着いて来るかと思ったのに、劉備はいささか肩透かしを喰らった気分になる。
まあそれならそれで良い。そんな趙雲の素行を公孫賛が知らない訳もなく、弟分の劉備に兄弟子こと賛兄は極太の釘を刺していたのだ。お前アレを連れて行く積もりだろう、前途有望な若いのを誑かしたな、とまあ非道い言いがかりだ。懐いてくるのを無下には出来ないだけなのに。
趙子竜。出身は常山、腕に覚えありと簡潔に述べて公孫賛の所へ売り込みに来た。もの凄く喜んでいた兄弟子を劉備はよく覚えている。何せあの公孫賛が自分気に入りの白馬を趙雲に与えてやったほどだ。
趙雲は表情に乏しい男だが、敵陣に斬り込んだ時にはにやりと口元が笑う。たまたまそれを見た劉備は趙雲と目が合って、にやりと笑い返してやった。確かそれ以来じゃなかったか、趙雲が劉備の所へ訪ね来るようになったのは。
趙雲が来始めた頃、関羽が無口になるわ張飛は隠さず趙雲に喧嘩売るわで険悪この上なかったものだ。
二弟にしてみれば血よりも濃い絆で結んだ長兄をぽっと出の新参者にやすやすと近付かせたくなかったのだろう。また劉備の周りを固める軍は公孫賛から与えられたものではなく、旗揚げ時代から劉備を慕ってきた者、劉備の風評を聞いて同調し参じてついてきた者、筋金入りの“劉備軍“として一つの生きものの様だったから尚更のこと。
ただその険悪さも大して長続きはしなかった。
劉備の手も神経も煩わせる事なく可及的速やかかつ穏便に、関羽と張飛と趙雲は互いを認め合う関係に至った。劉備が公孫賛に呼ばれて酒を呑んでいたある晩、他の兵達を証人に立てて夜明けまで待ったなし反則なしの無制限組み手を繰り広げたそうな。
戻ってきた劉備を迎えた鼻血まみれの張飛が全開の笑顔でそんな事を報告したから、叱ろうとしていた劉備は小言をため息に代えて吐き出したのだ。
これをやろうと言い出したのは張飛だろう。関羽は表に出さない分、陰に篭った感情を前触れもなく暴発させる傾向がある。もし趙雲が劉備に近付く煩い小虫でしかないと関羽が思い込んだままに放っておけば、関羽は趙雲を殺したかもしれない。理屈抜きに関羽が劉備を病的に心酔しているのは張飛及び劉備軍全体が周知しているところだ。
張飛は賢くはないが野生の虎のように鋭く敏い。趙雲が紛い物でない実力を持っているのなら関羽の暴発も真っ向から受けて認められる事も出来ただろうが、それを待っていれば劉備軍の空気は果てしなく剣穏になってしまう。また劉備に失望されるのは嫌だ、それだけは駄目だと、張飛なりに考えた結果としては最上。ただし戦闘でもなしに怪我を負った二弟をやはり劉備は纏めて拳骨指導したが。嬉しそうに殴られる二人の横に趙雲が並んで拳骨待ちしていたのは見なかった振りだ。趙雲は劉備の部下ではない。寧ろおとうと達の不始末を公孫賛に謝りに行かなくてはならず、その時を思うと劉備はため息を百個でも吐き出したかった。
弟分いびりという兄弟子特権が楽しいのかそういう時の公孫賛は本当に、もう、生き生きとして楽しそうなのだ。全くしょうもない兄貴気取りで、その上潰されるほど飲まされる。勝てた試しがない。
とにかくそれ以来、認めたらしい関羽と張飛は趙雲がくれば挨拶がわりの挑発をしてからすぐに劉備の所へ連れて来た。劉備のおとうと達がそうするのだから、劉備軍全体で趙雲が劉備の配下になったものだと勝手に受け入れていたのだろう。
だから、劉備の言葉に動揺し立ち上がった張飛と関羽は兵達の心情を代弁していると言える。



◆◆◆



創作三国志。
オリジナル設定満載。
関羽は見た目に騙される
口数少ないワガママ野郎。
張飛は見た目も中身も
硬派ヤンキー。
どっちもガチンコしたら
友認定の喧嘩バカ。
つかこれちゃんと
趙玄着地すんのか。






▼タイトル

2013/08/10 06:39 未分類(0)
テスト
どうだ
この野郎






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