終わらないで、夏




はあ。
息を何度吐き出したところで現状が変わるはずがないことは分かりきっているのに。意識をしなくても口から出てくるため息を自分で聞いて、名前は自室のベッドの端にちょこんと腰を掛けながら茜色に染まりつつある空を窓越しに眺めた。


「貴大のばか」


しんと静まる部屋の中で独り言を言ってしまうのをどうか許して欲しい。

本来であれば今頃は家を出る時間、待ち合わせ場所に向かい彼氏である花巻と花火大会へ行く予定であった。一女子高校生である名前にとって、それはそれは楽しみにしていたイベント。「花火大会へ行ってみませんか」と勇気を振り絞って敬語交じりに自分から誘ったことも記憶に新しい。

それが昨日電話口での急遽遠征での練習試合が入ったという言葉一つで簡単に消えて無くなってしまった。

もちろん、我が学校である青葉城西バレー部が強豪であるのは分かっているし、そこにスタメンとして席を置く花巻がバレーを何よりも大切にしているのは分かっている。いつも飄々としているあの貴大が馬鹿真面目に取り組んでいるのがバレーなのであって、そんな彼に恋をして至っている今がある。それに今回のように練習試合の予定が急に入ることも日常茶飯事であった。

だけれど……普段なら「悪い、また今度デートしような」という謝罪に対し「大丈夫だよ」と返して済ませることも今回はうまく言うことができなかった。

貴大は分かっていたはずだ、私が毎年行われるこの花火大会へ恋人同士で行くことの憧れを。冷静になって考えれば滑稽なのだけれど、自分にはどうにも乙女ちっくな心が存在していたようで、毎年この時期に行われる近所の花火大会に行っては浴衣で肩を並べて花火を楽しむ恋人たちを目で追っていた。いつかは私も好きな人と……。そんな憧れを当時はまだ友人として肩を並べていた貴大や女友達にずっと言ってきていたのだから。
それなのに今回も毎度の決まり文句も良い所、同じ言い回しでサラッと謝ってくることが許せなかった。


「いっつもいっつも私ばっかり我慢してるじゃん。夏休みだっていうのにちっとも一緒に遊びに行けてない。今日だけだったじゃん、夏休みに貴大と遊びに行けるの。それなのによくも簡単に謝って済まそうとするよね」


我ながらよくもまあ口から出てくるなと感心してしまうほどの文句を言って一方的に電話を切ってしまったのは昨日の事。そこから貴大から連絡は来なかったし、私からも何も言わなかった。

網戸になっている部屋の窓の外から聞こえてくるヒグラシのチチチチという鳴き声がもう夏は終わりなのだと傷んだ心に追い打ちをかけてくるように思えて沁みる。

少し潤んだ瞳で俯くと、貴大がこの日の為に選んでくれた藍色地に薄っすらアイボリー色の朝顔が散る浴衣の柄が見えてぼやけた。

瞼の奥の残像に貴大と一緒にショッピングモールへ浴衣選びに行った時のことが浮かび上がるーー


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「……なるほど。名前は実はこういうちょっと大人っぽい柄もいけるな」
「でもこれ柄は朝顔だから幼稚っぽい感じにならない?花で大人っぽいなら桔梗とか?」
「そこはいいんだよ、名前は丸顔だから朝顔が似合ってかわいいって」
「なにそれ悪口じゃん、やだ」
「とか言って、自分でももう気に入ってるんじゃん。ばっちり見たからな、さっき俺が大人っぽいって褒めた時のお前の顔」
「う...」
「はは、バレてるから。それにするか」


見透かされたようにへらりと笑ってくる様にイラっとしたけれど、一緒に買いに行って選んでもらえたことがどうしようもなく嬉しかった。



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前日にキャンセルされたデートだというのに、張り切って着付けをしようとしてくれる茶道部の友人にその事実を言える勇気がないまま、あれよあれよと着付けをされて今の私は浴衣も髪型もフル装備。やってもらっている間は着飾ってもらえることに気を取られて笑えていたのに、友人が帰ってしまった後がこんなにも虚しいなんて…。





どれくらいぼーっとしていたのだろう。気づけばどうやら寝てしまっていたようで、浴衣が皺になっちゃうと飛び起きたのももう後の祭りだった。

先程は茜色だった空もすっかり暗くなってしまっていて薄明かりが差す以外自室は暗闇に包まれている。おかしいな…これだけ真っ暗ならお母さんあたりが夕飯の声掛けしてくれそうなのに。なんて寝ぼけ頭で思考を巡らせてみたけれど、今日は私以外の家族は午後からおばあちゃん家に行って一緒に花火大会へ行っているのだったと気付いた。

家族も出払い門限なくデートを堪能できると有頂天になっていたのに今はこんなにも悔やんでいる。一人は寂しいよ…。さっきはヒグラシが寂しい気持ちにさせたけれどまだ音があったほうがいいや、なんて思った時だった。

暗い部屋の中で机に置いてあるスマホの画面が光るのが目に入った。誰だろうか、そう思いながら画面をスライドさせてアプリを開くと、気まずさ残ったまま電話の履歴で滞っていた貴大とのトーク画面が『家の前にいるから』という簡素な文字を放っていていた。

家の前にいる?どういうことなのだろう。今日は遠征で、貴大は帰りが遅くなるって言っていて。何が何だか分からず画面を凝視し固まってしまったけれど、ハッと気づいたように窓に寄って外を見下ろす。するとメッセージが知らせるとおり、玄関の門の前に見慣れた人影が立っているのが見えた。


「貴大…なん、で」


本日デートをキャンセルした張本人が家の前にいる。

自分は幻を見ているのではないだろうか、若干疑いつつも焦がれていた人物が来てくれたことが嬉しくて転がるように階段を降りた。

突然家に来てどうしたのだろう。もしかして今から花火を観に行ってくれるということなのだろうか。今まで些細な喧嘩をしても貴大から謝ってくれることは余りなかったせいか、向こうから来てくれたということが嬉しくて。まだ仲直りをしたわけではないのに気分が高揚していくのが分かる。

「貴大!」勢いよく玄関の扉を開き貴大の前に立つと「おわっ」と、驚く声をあげつつもちゃんと抱き留めてくれたのでそのぬくもりに触れる。


「よかった、間に合ったんだね、嬉しい」
「おーい、何今から花火大会行きますみたいな寝ぼけたこと言ってんの。花火大会なら終わってる時間だろ」
「え、、」


貴大が来てくれたことへの嬉しさばかりが勝って、時間を見ることをすっかり忘れてしまっていた。一体今は何時なのだろう。確認をするとなんともう夜の10時を回ってしまっていたところであった。ふてくされて碌に時間も確認していないうちにこんなに時間がたっていたのか。


「そっか、終わっちゃったんだね」


もともと行けないはずだったのだから仕方がない。それに貴大が来てくれたのだし先ずは家に入ろう。だんだんと冷静さを取り戻す頭で「とりあえず中に、」と言いかけたところ、後ろから呼び止められる。


「待てよ、俺は家ん中入るために来たんじゃないんだけどな」
「え、どういう」
「コレ、一緒にやろうぜ。庭でだって楽しめるだろ」


そうして差し出されるビニール袋を除くと手持ち花火のセットが入っていた。こんなの驚くに決まっている。今日は会えないと思っていた好きな人が家に来てくれただけでも嬉しいというのに、一緒に見られなかった花火をやろうと言ってくれたのだ。

想定もしていなかったことにおろおろと狼狽える私を前に、どっきり成功と言わんばかりに口角を上げてニカっと笑ってくる。ほらまたそうやって。ずるいよ。

そうして庭先ではじめた小さな花火大会。比べるのが筋違いかもしれない。打ち上げ花火にはずっと劣る短くて一瞬のものだった。けれど手元から放たれる光はキラキラと輝いてとても綺麗だった。


「名前、拗ねてたよな、ごめん」


最後の締めとなる線香花火を持ち2人で向かい合って蝋燭の火をつけようとした所、貴大がそう切り出した。


「いつもバレーばっかりで名前に寂しい思いさせているのは分かってた。でもどこかで名前なら分かってくれるだろうって思っててさ、そうやって俺は甘えてたのかって」
「いやいや、今回のは我慢しきれなくて感情を爆発させた私のほうが悪いって」
「その爆発ってのは未然に防げたはずだろ、今日みたいに少しの時間しかなくても名前に会えるってのはいいなと思った。俺さ、ちょっとしか会えないなら会う意味ねえなって思ってて会うの控えてたんだよ。ほら、どーせ会うならちゃんとしたデートにしたいじゃん」
「なにそれちょっとかわいい」
「でも今回で改めて思ったってワケ。ほんの少しでも名前と一緒に居られるとなんつーか、もっと頑張るかって思えるしな」


知らなかった。思えば、いつも忙しそうな貴大に気を遣って自分の気持ちを押し殺していてばかりだった。どんなに少ない時間でも一緒に居たいと思っていたことをもっと早くに言えばよかったんだ。そうすれば今回だってもっとうまく気持ちを伝えることができていたのかもしれない。今更だけど...

心は脆くて儚い。そう、線香花火のように。でもこんなふうに気持ちをぶつけあって話すことができたらもっと仲は深まっていくのかもしれない。

同時にはじめた線香花火、パチパチと玉の回りへ次第に花を咲かせていく様子を見つめながらそんなことを思っていた時、同じように隣で花火を眺めていた貴大がこちらを見つめ柔らかい視線を送ってきたからドキリとした。


「それから言うの遅くなったけど、似合ってる、浴衣」
「あ、ありがとう…」


至近距離で言われた言葉にどうしようもなく照れてしまう。


「来年は一緒に行こう。今度は俺も浴衣を名前に選んでもらいたいし」


そう言ってはにかみながら貴大の手が伸びてきて私の頬を撫でる、と同時に顔も近づいてくるものだから更に動揺してビクリと肩が跳ねてしまった。


「なーに緊張してんの、かわいい」
「あっ」


手に持っていた線香花火の光の玉がぽっと下に落ちていくのがスローモーションで視界に入っていく。

それはひどくゆっくり芝生に吸い込まれていって。ああ、花火終わっちゃうな。その光景を横目に見ながら、名前は今度こそ近づいてくる顔を受け入れて目を閉じた。



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浴衣を一緒に買いに行くところが回想でごめんなさい。そして花火大会も見に行けなくてごめんなさい。でもきっと2人にとっては素敵な夏の思い出になったのではないかなと思っています(自己完結)個人的に四季の中で夏が一番好きなので楽しく書くことができました。素敵なリクエストありがとうございました!




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