09.




◇通常の東峰視点へ戻ります



「おはよう、華」
「あさひーおはよう」


手を差し出すと自然な流れで指を絡めてくれる華はどうしようもなく可愛いと思う。もちろんそんな彼女を思って顔面が緩み切っているのは出さないように気をつけているのだけれど。

本日もいつもと同じように、"毎日の習慣化しつつある華と一緒に登校する朝"と言いたいところだが、実は華と登校するのは実に一週間ぶりであった。

居られるのであれば一緒に居たいと思っている俺だが、もう少しで始まるインターハイ予選の為に朝練へ行くことも大切なことの一つでだった。たしかに最初は朝練を始めようと発案した大地や、実際に顧問に許可を取りに行った黒川さんを恨んだりもした。華との貴重な朝の時間を邪魔されるような気がしたからだ。

これから朝練で一緒に登校ができないことが知れたら確実に華は拗ねるだろう。ただでさえ帰りだって自主練をして待たせている日々なのだ。

何か言われたらどうしよう、彼女をないがしろにし過ぎだと嫌われるかもしれない。うじうじと思案をしているうちに、結局言い出せたのは朝練をスタートすることになる前日の夜だった。しかも小心者の俺は、帰宅した後の電話という卑怯な手を使ってその旨を伝えた。言おうとすれば一緒に下校している時にいくらでも言う隙があったのにだ。

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「どうしたの、旭から電話かけてくるのって珍しいね」


嬉しそうな声色が電話口から伝わってきたものだからついつい俺の口元も緩んでしまう。家に帰った後もこうやって華の声が聞けるっていいよなあ。

たまに華から電話はかかってくるけれど、俺からかけることは確かにまれだったかもしれない。次からはちょくちょく電話かけよう。だなどと、可愛い彼女の事を思って少々脳内がお花畑状態に陥ってしまった。いやいや、ダメだ、何のために電話したんだよ俺、ちゃんと言わなきゃ。

ここまでの脳内思考は実に1秒程。ゴクリと唾を飲み込ませると、俺は会話を進めた。


「俺から電話しちゃだめか」
「いいよ。いつでも大歓迎、すっごく嬉しい」
「...そうやってさらっと気持ちを言える華はすごいな」
「えっ」
「いやいや、こっちの話。で、電話した理由なんだけどさ.......」
「勿体ぶらなくていいよ。付き合っているんだから何でも言って。何か悩んでいる事とかあるのなら力になりたいし」
「いや、そういうんじゃなくってさ。実は、明日から部活で朝練があるんだそれで...」
「それって毎日なの」


華の声が俺の耳元に大きく響いた。ほんの、ほんの少しだけれど、その声色が深く低くなったように聞こえたのだ。胸のあたりがきゅっと締め付けられた気がした。

返事を返す言葉に俺がびくびくしていることが伝わらないとよいのだが。


「そうなんだ。おそらくインターハイ予選までは続くと思う、だから、その」
「そっかそっか、朝は一緒に行けなくなっちゃうのか……」
「あっ、うん、そうなんだ。ほんとごめん」
「もう、そんなにしょげないでよ。旭がバレーを好きなの知ってるし、それに私も中学は女バレだったわけだし、部活に朝練があることはなんら不思議じゃないでしょ」
「そ、そうだよな。でも本当にごめん」
「だから謝ることじゃないよ、気にしないで。それに帰りはいつもみたく待ってるから。これからも一緒に帰ろ」
「ああ」


時間にして数分の会話を終えると全身にぞわりと寒気が走った。どうやら、大量の冷や汗をかいてしまっていたようだ。風呂上がりに着たTシャツがぺたりと張り付いている。

たった一言、朝練で一緒に登校できないと言うだけの事にどれだけのパワーを使っていたのか。核心的なことは自分で言葉にせず、結局そうるする前に全て華が理解をしてくれた。これだから俺はへなちょこから抜け出せないのだろう。

情けない。そう思ったけれど、どうしてなのだろう。実を言うと、その思いよりも華が自分を理解してくれたと喜びの方に重きを置いてしまう気持ちが勝った。

俺のことを理解してくれる優しい彼女。やっぱり華は俺にとって最高の彼女。何かあったとしても大丈夫だ。彼女なら分かってくれる。受け入れてくれている。そういった感情が芽生えてしまっていた。

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そんなこんな冒頭に戻るわけだが。今日も、今日とて華はかわいい。

そうして他愛もない話を重ねながらあっという間に学校の門をくぐり、昇降口近くまで歩みを進めた。今日はチャイムが鳴る手前ギリギリの時間なこともあってか、昇降口はとても賑わっていた。ガヤガヤと騒がしい。だれもかれも忙しなく上履きに履き替えて教室を目指していく。

背の高い俺だけれど人混みは苦手だ。やっとこ上履きを履くと昇降口から一番近い階段下を目指す。そこで落ちあって一緒に1年生の教室へと向かうというのが俺と華との暗黙のルール。こうやって一緒に登校した時は大抵時間ギリギリになるものだから、ご覧の通り昇降口付近は先程の人混みだ。人混みから少し離れた場所で落ち合うようになったのも自然の流れだったかと思う。

前を見ると先に歩みを進める華の姿を捉えることができた。華の背中を追いかけようとしたその時。俺の横をするりと一人の生徒が小走りに抜かして行く。それだけなら何も気に留めることはなかったのかもしれない。けれどもその人は前を行く華の肩にポンと振れるとそこで足をゆるめたのだ。


「鈴木さんおはよ」
「なんだ、びっくりした。山本くんか。おはよー」


少し後ろから聞こえてくる会話に耳を傾けると、どうやら朝の挨拶をしているだけのようだった。軽く挨拶を終えた後、華に声をかけたその人はまた足早に過ぎ去って行った。

ドキリとした。華が異性から気軽に挨拶をされたことも、それに笑顔で応えたことも。

だけれど、


「あ、旭」
「おう」


やっと追いついた華の肩に、何の対抗心かそこへ優しく手を置いた。すると、柔らかい声で名前を呼びながら振り返ってくれた。ふにゃりと顔の表情筋をくしゃりと緩めた笑顔が花のようで。

先程のちょっとした不安はとうに過ぎ去ったと言っていい。

これは俺にだけ見せてくれる笑顔だ。先程のクラスメイトだか誰かは知らないが、それとはわけが違うのだ。

ふって湧いた自分の中にある独占欲と優越感が妙に俺の自意識を高めていく。大丈夫だ、何も気にすることなんてないじゃないか。何も言わなくても気持ちは通じ合っているのだから。

そんな思いに浸りながら2組の前で華と別れると、いよいよチャイムが鳴りそうだと自分の教室へと軽く小走りで向かった。




ーそこにあったもの、いまここにあるものー
歯車の噛み合い




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