桃色を身に纏う貴方へ
-----
※社会人設定
-----
「もしもし名前、お向かいのてっちゃん、結婚するんだってねえ、」
「はぇえ!?」
シフト制の飲食業で働いて今日はお休み。昼まで寝てごはんは朝昼一緒でいいやーなんて思っていても何もがみがみ煩く言われないのは一人暮らしの特権なんだとベッドでゴロゴロしていた一日の幕開け、母からの電話の第一声に私の心は完全にかき乱された。
「なあに、変な声あげて、、あんたもしかして知らなかったの?」
「...うん」
てっちゃん、もとい黒尾鉄朗は私の実家の向かいに住んでいた男の子で私の幼馴染だ。今は就職の関係で市内で一人暮らししているみたいだけれど、と、そういえばこの情報も母伝いに聞いたんだっけ。
「あんたには先に知らせてると思ったのにね、それでね、てっちゃん今日の午後、家にわざわざ報告に来てくれるんだって...ただお向かいなだけなのに律儀よね、、」
とりあえず私の気持ちなんて何のお構いもなしにぺらりぺらりと話す母の話の内容は右から左だ。ショックで茫然として頭の中に何も入ってこなくて...それくらい先程の母の第一声は私の脳内をただただ支配しぐるぐると回っていた。
だって、私はてっちゃんのことが昔から好きだったから。
今でこそ疎遠になってしまっているけれど、もともと私とてっちゃんは仲がよかった。年も同じ子供が家向いで住んでいるとなれば仲が良くなるのも当然だろう。そこに研磨という男の子も加わって小さいときは3人でよく遊んだものだ。
小、中とてっちゃんとの交友は続いた。
だが中学二年生になった、それは一変する。
それは私がとある先輩に中庭に呼び出され告白された時のこと...
「返事は今じゃなくてもいいから...」
そう言う先輩に続く言葉が見いだせずフリーズしていた私...すると、どこから見ていたのだろう、
てっちゃんが突然先輩と私の間にずかずかと入り込み驚愕する私に向かってこう言ったのだ。
「っおい、名前、俺はおまえのこと何とも思ってないからな!勘違いすんじゃねーぞ!」
たった一言、その台詞だけを吐くとてっちゃんは嵐のように去っていった。
後にも先にもあんなに怒りに満ちたてっちゃんを見たのははじめてだった。何が言いたかったのか今でも全く理解できない。だけど本当に怖かった。それだけはずっと覚えてる。
あの時、少しばかりかてっちゃんに抱いていた私の淡い気持ちは、突然の風に蝋燭の火がびゅうとかき消されるが如く一方的に、そして一瞬で立ち消されてしまった。
本当はあの時、告白をきちんと断って私には好きな人がいると胸を張って言いたかった。
好きだと一言伝える青春が欲しかった。だがそんな機会が私にはなかった。
てっちゃんは何を思ってあの日あんな事を言ったのだろう...。真意を確かめたかったけれど、あの日を境にてっちゃんは顔もあわせてくれなくなった。
何度も一緒に登下校を重ねた通学路も3人の幼馴染の影が揃うことは遂になかった。
だのに今だって私の心を支配する黒尾鉄朗という男の存在...。
「―名前、ねえ、聞いてるの」
「え、あ、うん分かった」
母からの呼びかけに適当に相槌を打ったその後、続いた言葉に私は絶句する。
「そう、じゃああなたも15:00に家に来なさいね」
は...えっとそれは...えええ
「...っちょ、ちょっとま ((ガチャ プープー
適当に返事をしてしまった自分が悪いのは確かだけれど、あれか、これは、私もてっちゃんの報告に立ち会う的な流れナンデスカ...。今更どんな顔しててっちゃんに、、会ったらいいのだろう。
とりあえず今の時間を見ようとちらり時計をみたのはいいが、同時に視界に入ってきたカレンダーを見て驚きのあまり今度はベッドから転げるところだった。
どうして...こんな日にかぎって...
今日、、てっちゃんの誕生日だ.......。
結局重い気持ちが引きずって15:00ギリギリの時間に実家に到着した。母にはあんたはいつだってそうやってギリギリなんだからしっかりしなさい、と小言を言われたけれど家に来た私をどうか褒めていただきたい。
そんなこんな母が出してくれたお茶をずずずっとすすったところ、ピンポーンと玄関のインターホンが鳴る。
きた...
はいはーい、と言いながら玄関を開ける音と「お邪魔します」と聞こえる懐かしい声にぶるりと身体が震える。
「お久しぶりです。今日はスイマセン、」
「もー、何言ってるのよ。あら!また一段とイケメンに拍車がかかって、、幸せいっぱいでいーわねー」
「はは、ドーモありがとうございます......って名前か?」
どうやら私はてっちゃんの視界に映り込んだらしい。名前、、、そうやって呼んでもらえるの何十年かぶりかな...。
「うん、、」
「そっか、来てくれたんだな、、」
てっちゃんの結婚報告は本当に簡素なものだった。後は昔の思い出なんかを話ながら15分程度の談笑だったと思う。
「では、お邪魔しました。一応苗字家には世話になったのでご報告できてよかったデス」
「いーのよ、またいつでもきてね」
「っと...あ、名前...ちょっといいか?」
「あ、ぇえっ」
このままパタンと閉められるだろうと思っていたドアを見ていたはずなのに、扉を閉める寸前でぐぃと腕を引かれ身体がぐあんと揺れる。気が付いたら玄関の外に身体が出ていて驚きのあまり心臓が跳ねる。
どくり。
てっちゃんの手は私の左腕をぎゅっと掴んだままでもの凄い至近距離で向かい合って立っていることに気づいてやっぱりまた心臓が跳ねる...
顔をみる勇気が出ない...やっとこ右目を斜め上にあげてみると、真剣な顔をして私を見下ろすてっちゃんが瞬時に目に入ってきたからまたまた心臓が跳ねる、何回目だろう。
「その、、、ありがとな」
「え、、」
「まさか名前に会えるなんて思ってねえよ、驚いたわ。でも嬉しかった、、、大人になったよな、俺たち......」
そう言うと少し緊張が解けたように穏やかに微笑むてっちゃん。
なんだかそんなてっちゃんを見たら私の心鼓動の早まりも少し落ち着いてきたように感じる。
私も、
私もね、、
言いたいことがあるよ。
だからもう少し、もう少しだけ腕を掴んでくれているこのままでお願い...
「...てっちゃん、」
「ん」
「そういえば今日誕生日だよね、、」
一瞬ぽかんと間抜けた顔になったけれどすぐに立て直して返事が返ってくる。
「んー、あーそうだったな、式の用意とかでバタバタしてすっかり忘れてたわ」
「ふふ、でも可愛い奥様が祝ってくれるはずだからてっちゃんが忘れても大丈夫だね」
「だといいけどなぁ、、、んじゃ、俺そろそろ帰るわ」
この短時間で少しだけ昔みたいに話せたのは嬉しい。
でも、
目を細めながらそうだったなあと、ちょっとばかり照れ笑いする彼をみて、そんな顔をさせるのが私でないことを自覚してしまう。胸の奥深くがチリリと悲鳴をあげる。
「うん......おめでとう」
今日という日がてっちゃんのお誕生日だと気づいてからずっと言いたかった言葉。
後方から聞こえた私のおめでとうの言葉に振り向くことはなく、頭の少し上に手を挙げヒラヒラと数回させると歩みを進めていくてっちゃん。
本当に言いたいのはこの言葉じゃない。けれどその2文字はもう彼には届けてはいけない。不要なものだから。
でも、せめて...
これからの未来に期待をしてどこか戸惑いと嬉しさを感じさせる、そんな背中を目で追いながら絶対に聴こえるはずのない距離になったころ私は1人つぶやく。
「ずっと大好きでした」
ー桃色を身に纏う貴方へー
黒尾さんお誕生日おめでとう。高校生らしからぬ大人のオーラを持つ黒尾さん、初見は苦手だなあと感じていたけれど、社会人になった途端の破壊力って凄まじいですよね。
main
top