日常スパイスを一振り



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※社会人、同棲設定
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私の彼氏、菅原孝支は辛いものが大好物である。

一番の好物は麻婆豆腐だと言っているけれど、辛いもの全般的に好きと言っていい。それに比べ私は辛いものは食べられるが、それも時々で全てのものを辛くしたいわけではない。もちろん、孝支の食の好みについては前々から知っていたし、同棲以前だって外食をする時は出てきた料理にタバスコだの一味だの豆板醤だのと何かと辛味を足していた。だから自分なりに彼のことを理解していると思っていた。


ところがどっこい、それは同棲をしてから理解の範疇を超えていたのだということを知ることになってしまった。
同棲の初日、辛さが自分で調節できるようにおかずのお皿は別にして欲しいとの孝支の要望を受けてそれが二人の間での盛り付けルールとなった。それ以降は、食事が出たと同時に容赦なくじゃんじゃかと振りかける辛味。振りかけられるおかずたち。味噌汁にも容赦なく入れられるソレ…。



「じゃあ、ごはんにしよっか」
「「いただきます」」



今日も今日とていつもの光景だけれど、待っていましたとばかりに孝支の手から辛味が足されていく本日の献立である豚のしょうが焼きを対面から見て、ちょっぴり切なくなってしまったのは事実だ。今日は我ながらいつもより味付けも上手くできた自信作だったのになあ。
ねえ、孝支、私は何だかとても虚しい気分です。


「ねーえ、」
「ん?」


辛味がたっぷり効いたしょうが焼きをもぐもぐさせながら孝支はこちらを見てくる。何の悪気もないであろうそのキョトン顔を見て急に憎らしく思ってしまったのがイケなかったのかもしれない。でもね、せめて一口目くらいはオリジナルの味を味わって欲しいの。


いつだったかラーメン通の友人が、手間隙かけた自慢のスープに初っ端からカウンターに置いてある調味料をかけて味を変えて食べ始める行為は暗黙のルールでNGなんだからね、一口目はまずスープをすすってその店の味を味わうんだよ! と言っていたのをふと思い出した。確かに今なら友人の言った意味というか、ラーメン屋の大将の気持ちが痛いほど分かる。


やっぱり自分の味を食べてもらいたい。しかも好きな人にはなおさら。


もしかして孝支は私の料理をノーマルの味付けで食べてくれたことがないのではないか。振り返ってみると悲しい…、そんなの惨めじゃあないか。
手に持った箸の手も止まってしまう。



「孝支はさ、私の料理食べたことある?」
「いつも名前の料理食べてるけど」
「そうじゃなくてさ、私が作った、そのままの味を、食べたことあるかって聞いてるの!」
「それは…「ないでしょ!」
「名前…?」



私の態度にくりくりとした目を更にぱっちり開けて驚いた後、孝支は申し訳なさそうな顔になった。何か言おうとしているようだったけれど、私は言わせないと言わんばかりにくってかかった。



「一緒に暮す前だって孝支は辛みを足して食べてたでしょ、そんなに私の味付けってだめなの!?…かなあ」



強気で食ってかかったはずだったのに、言葉はどんどん萎んでいって。最後の言葉が孝支に届いたかどうかは分からない。でも私の言葉で孝支がどういう気持ちになってくれたのかも知りたくなって、うつむいた自分の顔をちらりと上げてみた。


そこには眉間にちょっと皺が寄って何かまた言い出しそうな複雑な孝支の顔があった。きっと謝ろうとしてくれているのかもしれない。素直に謝罪を受け止められたら可愛いのかもしれない、だけれど謝らせる為に文句を言ったというその自分の行為を認めたくなくて…。
私はいたたまれなくなって立ち上がると、せっかく作った料理を三角コーナーに入れてしまった。食べ物を粗末にするなんて最低の行為だってことくらい頭では分かっているのに。


まだ湯気が少し残る料理がドサッという音と共に落ちていく_。
落ちたと同時つぅうんと香る生姜のにおい。


一度立ち上がってしまうと食卓に座っている孝支の向かいには戻りたくなくて、私はそのままふらふらとキッチンを抜けてリビングのソファまできてしまった。ほんと私は駄目だなあ。ソファから見る孝支はちょうど私と同じ方向を向く形で座っているから顔は見えない。


どうして私は受け止めてあげられないのだろう。思えば孝支はいつだって広い心で私を受け止めてくれて、そういえば本気で怒った顔をまだ見たことがないかもしれない。それに比べて私は……。付き合い始めて、同棲をはじめて、何回八つ当たりのような形で孝支に怒ってしまっているのかな。ベッドへ腰を下ろすと一緒に下りてくるのは後悔ばかり。今回もちょっとした私の爆発から喧嘩のような雰囲気に発展してしまった。


しん、と静まり返るキッチン。


二人だけしか居ないこの空間が大好きなはずなのにこの箱が耐えられないくらい重い、重い。


でもね、辛かったんだよ。あんな言い方しかできなかったけれど、私の気持ちをわかってもらいたかったんだよ。





どれくらい沈黙の空間が続いただろうか…
実際は時間にしたら一分も無いくらいだったかもしれない。でも私の中でその沈黙はずっとずっと長く感じた。どうしたらいいんだろう...
そんなときだった、こちらに向かってくる孝支が見えたのは。


孝支は私の座るソファの目の前に来た。そして両手を広げてこう言うのだった。



「ほら、名前、こっちおいで」



ぷんすか怒っていた自分が阿呆らしくなる。でもまだ謝ってもらってないぞ、許してやらないぞという気持ちも負けていない名前である。そもそもこっちおいでって何なんだ、私はさながら威嚇している犬?今から手なずけられようとしているの?



「ほら、拗ねないの」
「だって悔しいしムカつくんだもん!」
「はいはい、よしよし」
「ねえ、何で私怒ってるのに諭されてるの?おかしくない?」
「私は孝支に怒ってるんですけど!」
「わーかったから」
「本気なの!嫌だったの!」
「でもさ、名前は俺のこと好きだろ?」
「うっ」


ニカっと笑みを浮かべながらも歯の浮くような台詞を言ってくる孝支は流石としか言いようがない。


「はは、図星だべ」
「ち、ちがう!ずるい!嫌い!むかつく!孝支の馬鹿!」
「はいはい、かわいいなあ名前は」
「だから、そうやって丸め込まないでよ」
「別に丸め込んでないって、突然あんなこと言われてびっくりしたけど、名前の言いたいことも分かるよ」



そういうと温もりがふわあっとやってきて、私の身体はぽかぽかあたたかい。
ああ、私、今抱きしめられているんだ。先ほどまでの寒さは何だったのだろう。突然ふって沸いた温もりに、名前も負けじと孝支の背中に手をまわしぎゅっとする。



「さあて、名前のご機嫌も元に戻ったようだし?」
「へ、  えっ え?」
「よーし、仕切りなおしとして、仲直り記念に一緒に料理でも作るべ」
「名前の好きな肉じゃがにすっか」


あれれ?なんか。え。 少し拍子抜けしてしまった。

解せない。


私が怒っていたはずなのに、明らかに傷つける行為をしたのは孝支で、私は傷つけられたのですが、どうしてこうなる。でも本音を言うと喧嘩したままは嫌だし、仲直りできるのならしたいとも思う。
いつの間にか手綱を握られてしまっている。だけれども仕方がない。これが惚れた弱みと言うやつなのだろうか。



「なー、もう人参これで終わりかー?」


キッチンの冷蔵庫をがさごそとしながらそんな声が聞こえてきて_。


「うん、それで終わりだけど、足りないの?でも今月食費オーバーしてるしあるもので何とかしよう」


なんて、日常の会話がもうはじまっている。


とりあえず先ほどの嫌な空気からは脱却したから一安心だ。いやまて、何が一安心なのだろう。
結局私は今回も孝支に敵わず終わってしまった。結局私の意見は尊重されたのだろうか、よく分からない。


けれども、まあいいや。


そう思えるくらい、先ほどまでの私たちの食べ物談義は過去のものに変わってしまったみたい。


今日だって私はあなたに翻弄され、そして好きでいる。


―日常スパイスを一振り―
スガさんの辛いもの好きに少し捏造が入っているかもしれません、そこは目を瞑ってやってください。それから食べ物を粗末にしてしまったくだりもスミマセン。このあとスタッフが美味しくいただきました。




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