こつり、こつん




好きな子の隣の席になれた。


そう心の中でガッツポーズをしたのはもう3か月も前の事だ。


3年生になった直後に訪れた課外活動の日(属にいう遠足なのだが)、クラスごとにバスへ乗り込み目的地へと向かう道中のことだった。何かが気管支に入ったのだろうか、俺の隣に座るクラスメイト突然咳き込み出し止まらなくなってしまった。そこへ通路を挟んで横の席だった苗字さんが自分の水筒のお茶を捻ってコップに注いで渡してくれたのだ。


「大丈夫?あたたかいお茶だけど飲んだら少し楽になるかも」


そう言って俺に渡された水筒のコップを受け取り未だ咳が止まないクラスメイトへと差し出す。もちろん俺のために渡してくれたものではなかったのだが、学年が上がったばかりでまだ馴染みのないクラスメイトに即座に反応してお茶が差し出すのは勇気がいると思う。純粋に良い子だと思った。


以来俺は度々苗字さんのことを意識して視界に入れるようになり、そんな中ようやく獲得できたラッキーチャンスだった。


欲というものは怖い。ようやく苗字さんの隣という特等席をゲットできたと喜んだはいいが、次は話しかけてみたいという思いでいっぱいになった。しかし残念ながら大した機会は訪れず今に至る。


せめて前後の席であればプリントを配る時や回収する時に話すことができたかもしれない。例えばプリント受け渡し時の「はい」「ありがとう」などの会話がそれに当たる。


が、横の席というのは学校生活を送る上での会話すら閉ざされているといっても過言ではない。となれば頭を抱えたくもなるものだ。これではせっかく好きな子の半径1メートル以内に近づけた意味がないではないか。


今日も今日とて苗字さんと会話をするなんてできるわけもなく授業は2時間目を迎えようとしていた。授業が始まるまであと数分、特にこれといってすることもないため自席に着いて肘をつきながらぽーっと教室内を眺めていると、隣の席の苗字さんの様子が少し変なことに気がついた。


バレない程度に盗み見るにどうやら苗字さんは現文の教科書を忘れたようだっだ。何度も自分の机の下に手を入れて、覗き込んで、しまいには全部のものを机の上に広げて一つずつものを確認している。そんな仕草一つでも可愛らしく思えてしまったのだが今は苗字さんのピンチだ。


「よかったら、見ますか」
「え、」
「苗字さん、現文の教科書忘れたのかなと思って」


居てもたってもいられず自然に口から出た言葉。もしかしたら、あの咳き込むクラスメイトへお茶を出した苗字さんもこんな心情だったのかもしれないと感じた。


ようやく話すことができた苗字さん、とても驚いたようだったけれど、状況を理解したのだろう「ありがとう」と言って俺が机を寄せるのに合わせて苗字さんも机を寄せてくれた。


こつり、2つの机が隙間なく綺麗にくっついた。


普段は50センチほど離れている空間がぴたりと埋まる。距離が縮まることってこんなにも近づくことなのかよ。


俺の心臓の鼓動はどんどん激しさを増してゆくばかり。頼む、どうか苗字さんに悟られませんように。





好きな人の隣の席になれた。


この春から3年生になりひと月経った頃、突発的に行われたクラスの席替えで自分の割り当てられた席の場所に行き着いた所、隣に居たのは私の思い人である瀬見くんだった。


当初は嬉しくて毎日学校へ行くのが楽しみで仕方なかった。けれど、席が隣になればいつかはお話できるんじゃないかと安易に考えていた私が馬鹿だった。


今の状況はというとおはようの挨拶はおろか一言も話さず3か月が経過している。やはりはじめに「よろしく」程度の挨拶は済ませておくべきだった。それすら出来なかった自分を恨む。


あくまでも隣の席なのでじろじろと見るわけにもいかず、最近ではかえって以前の瀬見君の背中を見つめることができた席だった時のほうが幸せだったのかもしれないと思い始めている。


そんな時だった、私が現文の教科書を忘れてしまったのは。直前に気づいたのだから今更他のクラスの友人に借りに行くことは不可能だ。こういうときに限ってもう片方のお隣の結城さんが病欠を決めるのだからたまったものではない。


かくなる上はもう片方の隣の席である瀬見君に教科書をみせてもらうしか道は残されていない。そう頭では分かっているのだが“見せてください”のたったそれだけの言葉が口から出てこない。


どうしたらよいのだろうか。このままでは授業が始まってしまう。私の思案をよそに学級委員の「起立」の号令がかかり不安が一気に迫る。


「よかったら、見ますか」


ふいに隣からかけられた声にびくりと肩が揺れる。かくかくかくと首の方向を変えて声の主を確認してみるとやっぱり瀬見君だ。


挙動不審が余程態度に出ていたのだろうか?見かねた瀬見君が声をかけてくれることになるとは。お礼の言葉も自分が思っている以上に凄く小さいものになってしまった。


それじゃあ、と机をくっつけると数ミリも空いていない私と瀬見君の机の距離にドキッと心臓が跳ねる。これはちょっと近すぎやしませんか。


だって今まで一度も会話すらしたことがなかったのにそれが一度にここまで飛躍するだなんて。近くで聞く瀬見君の声は優しさを纏って想像していたよりずっと心地よかったけれど、これ以上話しかけられたら自分の心臓の音でかき消されそう。





まずい、授業の内容が全く入ってこねえ。何だか苗字さんも妙に緊張しているみたいだし、俺も緊張してるけど。


「では次31ページを開いてください」


くっつき合った緊張から少しでも開放されたいという思いで教科書へと手を伸ばしたのだが「「あ」」と同時に声を出してまた緊張でいっぱいになる。教科書に手を添える指先が苗字さんと同時に重なってしまったのだ。


互いにサッと素早く手を引っ込めるけれど、その反動で折り目がよくついていなかった教科書がバチンと閉じてしまった。今度は二人で目玉をパチクリさせ驚いた後、少しクスリと笑い合った。


授業の終わりを知らせるチャイムにここまで感謝をしたのも初めてかもしれない。今日という日のたった1時間弱の間に色々起きすぎた。


「瀬見君、ありがとう。本当に助かりました」
「困った時はお互い様だろ」


お礼の言葉を受けてサラリと返してみるが内心まだ緊張は続いている。好きな人と机をくっつけるだけでこんなに緊張するもんなのか。


好きだという自覚こそ持っていたものの、苗字さんのことを相当好きになっているのだと思い知る。


現に結局授業を終えた後も机を離したくないなんて勝手に思ってしまっている。苗字さんも俺の出方を伺っているようだった。苗字さんは優しいから自分から机を離そうだなんて言わないことを知っている。


ごめん、苗字さん。


それはちょっとした悪疑心。何もアクションを起こさないまま、とうとう俺たちは机をぴたりくっつけたまま休み時間へと突入してしまった。


俺たちの教室の机の配置は横5列の縦8列。普段くっつくことのない机同士が2つだけ列を乱すようにくっついている。


苗字さんはというと……うわ、すげえ固まってる。うん、だんだんこの緊張感すら愛おしい気がする。そう思っていたところだったのにー、


「あれれ〜、英太くんが女子と席をくっつけちゃって何してんのかなあ」
「ばっ、天童黙ってろ!」


教室を覗きながら大声をあげて廊下を通り過ぎて行った天童に文句を言い、そうだ、と苗字さんの方を振り返ると、それはそれは先ほどよりも遙かに顔を真っ赤にして固まってしまっているものだから。


ああ、もうどうしてくれるんだよと降参して席を離すに至る。


ずず……。俺に合わせて苗字さんも机を持って元の席の場所へと戻っていく。


ずず……。少し引きずらせながら戻っていく2つの音たちがちょっぴり寂しくて切なくなった。


ーこつり、こつんー
両片思いではあるけれどまだまだなお二人でした。




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