好きな人にも思い人がいるとき、私のことを好きにさせてやるんだから! とか、ぜったいに振り向かせる! みたいな強い気持ちが私にも芽生えてくれたらよかったのかもしれない。と、そんなことを思っていても自分はそんな風に逆境に向かって行けるような人間ではないわけで。

「オレ、そこそこイイ男だと思うんだけどなァ」

 タッパはまあ……ないけどさ、と目の前の席に座ってぼやいているのは同じクラスの彼 ── 宮城リョータくん。彼は椅子の背に顎を乗せながら、私が学級日誌にペンを滑らせるのをぼーっと眺めている。手元を見られていると、緊張して書き損じてしまいそうになる。指先がちょっぴり荒れてるの、バレてないといいな。
 おそらく私のレスポンスを待っているわけではない、ひとりごとみたいな彼のつぶやきに対して、心の中にぽんと浮かんだ「それなら、私にしといたらいいんじゃないかな?」という言葉は声に出して言えるはずもなく。いつものように、ただ軽く浮かべた苦笑いを相槌とするだけに済ませる。
 彼がしている片思いというものがどれだけつらいのか、そしてどうしたって明確な決着がつくまで諦めることなんか到底出来ないことも、きっと私がいちばんわかっている。だって、まったくおんなじ気持ちを私も抱えているからだ。
 むなしくなったり悲しくなったり、胸がぎゅうっとなって急に泣きたくなることだってある。だけど、私の思いが報われることなんかより、目の前の彼に幸せが訪れますように、と願ってしまうのは少々偽善的すぎるだろうか。自分でも矛盾している自覚があるから人になんて話せるわけがない。
 少々派手な見た目に反してとても一途な彼のことだから、万が一にも私に振り向いてくれることなんてないんだって、ちゃんとわかっているのだ。

「時々思うんだよね、名前ちゃんのことスキになってたらよかったなーとかさ」

 穏やかだし聞き上手だし優しいし、あとハリセンで殴ったりしねーし、と冗談めかして言う彼に「なに言ってんの、もう!」とこちらもわざとらしく同じノリで返してみる。
 最早そんなことを言われることにあまりショックを受けなくなっていた。それでも、チクリと刺さるような痛みだけはいつだって付随してくるから困る。
 やっぱりこの人、なーんにも気づいてないんだなあと思ったら、呆れるよりもすこしだけほっとしてしまう自分がいた。だって、彼がもし私のこの気持ちに気づいて距離を置かれたりしちゃったらいやだし、今までの会話を思い出して罪悪感を覚えたりしないでほしいからだ。
 彼氏と彼女という関係になりたいだなんて高望みはしないから、こうやってクラスメイトとして仲良く会話出来る関係だけは、どうか続けていけますように。たとえば一歩踏み出してしまったり、この気持ちが彼に知られてしまうことで相談しやすい女友達、という唯一無二のポジションを捨てなくちゃいけないことのほうが、よっぽどイヤだしこわいのだ。

「あーあ、宮城くんがなーんにもしないうちに日誌書き終わっちゃった!」
「マジ!? うわ、ごめん! ゴミ集めて捨てんのオレがやっとくからさ、名前ちゃんは帰っていーよ」

 形のいい眉を申し訳なさそうに顰め、手を合わせている宮城くん。そんな彼にふふ、と小さく笑いかけて、私は机の横に掛けていたカバンの中にペンケースをしまう。それじゃあお願いしようかな、と最後のゴミ捨て業務は彼の言葉に甘え、任せてしまうことにした。
 今まで座っていた椅子を引いて立ち上がると、ギィと床を擦る音が続く。気を付けて帰んなよ、と手をヒラヒラと振りながらニッと笑っている宮城くんに向かって頷いて背を向ける。

「……名前ちゃん」

 そう名前を呼ばれたのと、ぐいと腕を引っ張られたのはほとんど同時だった。え、と振り向くと、形容しがたい曖昧な表情の宮城くんが私の右手首を掴んでいる。

「え……? あの、えっと、どうかした?」
「あ……いや、なんでもない。袖にゴミついてるように見えただけ」

 ごめんね、と何事もなかったかのように笑う宮城くん。どうしたんだろう、と思いながら掴まれて、そしてぱっと離された手首を見遣る。心臓がどくんと鳴って、急に顔が火照るような感覚を覚える。それを必死に隠しながら「それじゃ、また明日ね」ともう一度声を掛け、ぱたぱたと駆け足で教室を出る。赤面したところなんて、とてもじゃないが見せられない。
 そのままの勢いで廊下を歩きながら「もっとゆっくり日誌を書いてたら、もう少し二人でお話出来たのかもしれないな」と少しだけズルい事を考えてしまう。いや、でもそれじゃあ部活に行かないといけない彼の迷惑になっちゃうからダメだ。
 そこで気づいてしまった。腕を掴まれて動揺して、慌てて別れてしまったから「部活頑張ってね」と言うのを忘れてしまった。ああもう! と深いため息をつきながら、地団太を踏みたくなるのを必死に堪えた。
 宮城くんに掴まれた右手首にそっと触れてみる。未だにどきどきと鳴り続けている心臓に「おさまれ、はやくおさまれ!」と小さな声で唱えながら、階段を降りていく私の足元はまだどこかふわふわとしたままだった。


***


「オレのことなんか、さっさとキライになっちまえばいいのに」

 客観的に聞いたら、なんて男なんだと思わざるをえないような言葉がぼろっと口から飛び出していた。ああ、余計に嫌な気分になってきた。
 わざと傷つけるようなセリフを吐いたり、デリカシーのないことを言ってみたり、ニブすぎる男を演じたりしているのはすべて、あの子の時間をこれ以上無駄に費やして欲しくないためだ。
 穏やかで聞き上手で優しくて、そしてとてもかわいらしい彼女に、いつまでも不毛な思いを抱えていてほしくない。オレみたいなのより、よっほどあの子に見合った人間がいるはずだ。
 でも、その言葉をストレートに言うわけにはいかなかった。だって、彼女が頑なにその思いをオレに隠し続けているからだ。
 名前ちゃんのこと、好きになってたら良かったんだけどな。
 先ほど口に出した言葉は、わざとにしても最低すぎる言葉だったけれど、決して嘘なんかではなかった。あの子の事を先に好きになることが出来ていたら、そしてもし付き合うことになっていたら、オレたちはどんな風になっていたのだろう。それを想像することは驚くほどに容易で、とんでもなく簡単に描くことが出来た。
 お互いの好きな音楽を共有しあったり、雑誌で話題になっていた場所に行ったり、それじゃあ今度はあそこに行ってみようと計画を立てたり。きっとバスケの応援もしに来てくれるんだろうなあ、ってオレは何を考えてんだ。
 なんなんだよ、と勢いよく机に突っ伏したら、盛大に額をぶつけてめちゃくちゃに痛かった。ジンジンと痛む額を抑えながら、煮え切らないモヤモヤした感情に向かって小さく舌打ちをする。こんな痛みなんかよりもっと、それ以上にオレの方が彼女の心を傷つけているに違いないのだ。
 部活、始まっちまうなあ。
 漏れそうになったため息を寸でのところで我慢して、まとめられたごみ袋を引っ掴む。教室を出ると、放課後になった廊下にちらほら生徒の姿があるが、先に出て行った彼女の姿はもちろん既にない。
 いやいや、だからなんで探してんだっつーの、先に帰れって言ったのはオレじゃん。
 矛盾した自分の思考回路に呆れそうになりながら、先ほど咄嗟に彼女の手首を掴んでしまった自分の手のひらをぼんやり眺める。ほんっと、何やってんだオレ。
 さっきは我慢できたため息を、今度は抑えることが出来なかったことにすら気付けない。
 右手に持ったゴミ袋をさっさと運び終えて、急いで体育館に向かおう。意識をそっちに向けてがむしゃらになってしまえば、こんなモヤモヤした感情はあっという間に頭の隅に追いやれるのだ。

--- その先不可侵領域につき
(20181106)



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