( 様子がおかしい社会人の三井先輩 )

 静かなリフレッシュルームで「もうオレはダメかもしんねえ」と珍しく弱気な言葉を覇気のない声で吐き出した三井さん。
 驚いた私は自販機から目を外し、彼のその表情をまじまじと伺う。

 「どうしたんですか?顔色わるいですけど」

 青白い顔をした三井さんはウォーターサーバーから持ってきたらしい紙コップを手に持ち、入っている水をグイッと飲み干してからもう一度「そんなか?もうオレはダメだな…」とうなだれた様子で言った。
 この人、体調不良だとこんなよわよわしくなっちゃうんだ。いつもはどこから出てくるんだってぐらい自信満々でハツラツとしてるのに。

「風邪なら帰ったほうが…っていうかそんな調子でよく外回れましたね」
「穴開けらんねーだろが。つーかおまえ、ちょっとこっち来い」

 ちょいちょいと手招きされて、何だろうと顔色の悪い三井さんに駆け寄って顔を覗き込む。
 ソファーの背もたれに力無く体を預け、腕を組んで険しい表情をしていた三井さんは私の腕を引っ掴んで自分の方に引き寄せると、もたれるように首筋に顔をうずめてきた。
 驚きで思わず小さな悲鳴をあげてしまう。はっとして口をふさいでからも、しばらくフリーズしてしまっていた。
 ええいもう!なんとでもなれ!と心の中で意を決した私は勇気を出して三井さんの広い背中をおぼつかない手つきでさすってみた。

「あー…それいいな、落ち着くわ」
「ど、どーも…っていうか三井さん本当に具合わるいんですね、大丈夫ですか?仮眠室いきます?」
「いいからそのままさすっててくれ、背中」
「え?あ、ハイ」

 三井さんの呼気が首筋に当たってくすぐったい。いつもと様子の違う先輩の普段じゃ絶対見られないこの無防備な感じ、なんていうか謎の母性まで目覚めてしまいそうだ。

「やっぱり横になったほうが、っていうか病院とか…」
「ちげーよ、風邪じゃねえ」

 二日酔い、と三井さんは私の首筋に顔を寄せたまま小さな声で呟いた。私は思わず「は?」と声に出してしまっていた。
 つまり、この人の顔の青白さは二日酔いで気持ち悪いからで、元気がないのもそのためで、別に風邪でもなんでもないわけだ。

「なんだってそんなに…」

 いい大人のくせに、という言葉は寸でのところで飲みこんだ。自業自得とはいえど、弱っている人にたたみかける攻撃はとりあえず止めておいたほうがいいと思ったからだ。

「昨日、高校ン時のやつらと久々に会ってよ」

 ああ、もうそれ以上は言わないでいいです、たぶんそれで楽しくて調子に乗って大学生男子みたいにガバガバ飲んでゲーゲーしてあっヤベ今日仕事じゃん、みたいな流れだったことは言われなくても想像できます。
 珍しく弱々しい三井さんを追い詰めるのはかわいそうだし、普段見られない一面が見られてちょっぴりうれしかったのでぎゅっと口をつぐむことにした。こんなヘナヘナしたこの人を見られる機会なんてきっとそうそうないもんね。

「そういえば先輩スポーツやってたんでしたっけ」
「バスケ」
「背、高いですもんね」
「付き合わせてワリィ、も少し休んだら戻るからよ。つーかおまえなんかいーニオイした」

 何かつけてんのか?オレそれ好きだわ、と続ける三井さん。
 なにを言っているんだこの人は!と叫びだしたい気持ちを抑えて「あ、あ…どうも」と動揺のあまり抑揚のない声が口から出てくる。
 その場でくるりと回れ右をして三井さんに背を向けて歩き始めてから、私はいつの間にか胸の辺りをぎゅっと抑えていた。腕時計が首から下げている社員証に当たってカツンを音を立てる。

 すっかりふわふわとした気持ちになっていた私は自席に戻ってから思い出す。コーヒーを買いに行ったのに買い忘れてきたということに。
 でも自販機のあるあの場所にはまだきっと三井さんがいる。うう、戻りにくい…!しかたないけど諦めよう。
 はあ、とため息をついてから、頭を切り替えるべく首をふるふると振った。

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