( 三井寿と××××しなくても出られる部屋 )

 白くて四角くて窓のない部屋の中、呆然と立ち尽くす寿くんと私の目の前には施錠された扉があって、更にその扉の上には【セックスしなくても出られる部屋】という意味のわからない文章が掲示されていた。
 しなくても出られる、と明記されているのに、ドアノブの無いその扉を叩いてみても、それが開くようなことはなく。横に立っている寿くんはというと、腕を組み、顎に手を当て、眉根を寄せながらどこか神妙な面持ちで「おいおい、こんなんエロ漫画でしか見たことねーぞ」なんて言っている。

「……あ、ちょっと待て勘違いすんなよ? エロ漫画っつってもそれはオレが買ったわけではなく宮城から回ってきただけで」
「そんなことはいいから。それにしてもこれ、どうやったら出られるんだろう……」

 そもそも、この部屋に詰め込まれた記憶がない。ぱっと瞬きをした次の瞬間、もうこの場所に立っていたのだ。うまく説明することが難しいが、本当にそんな感じだったのだから仕方ない。
 それにしても「ナントカを“しないと”出られない部屋」というのは聞いたことがあっても「ナントカ“しなくても”出られる部屋」というのは聞いたことがない。日本語って難しいんだな、と混乱しすぎた頭は一周回ってどこか冷静になっている。

「これよ、つまり自分らで色々試せっつーことじゃねえか? ……その、ヤる以外で」
「うん……。けど、それにしたって範囲広すぎない?」
「二人で部屋にぶちこまれてんだから、二人ですることなのは間違いねーだろうな」

 しかし、そういうことをしても扉は開かない、と明確に示されてはいるのに、この真四角の白い部屋の中央には何故だか大きな白いベッドが鎮座されていた。なんとなくその存在を無視していたが、流石に知らないふりを決め込むにも限界がある。

「つってもここトイレとか見当たんねーし、さっさと脱出しねーとお互い人間の尊厳失っちまうぜ?」

 しかもオレぁ突然腹痛をもよおすことに関してはプロだからな、とバカみたいなことを堂々と言いながらグッと親指を立て、ナハハハと笑っている彼に一瞥を投げてやる。
 冗談を言っている場合ではない。いや、今の寿くんのバカみたいな発言が冗談ではないにしても、だ。

「つーわけで、とりあえず出来そうなことからやるしかねーだろ」

 やるしかない、と寿くんの言葉を鸚鵡返しのように復唱して、不安でいっぱいな頭の中に喝を入れる。
 それにしても、普段なら「なんだこれ! 出しやがれ!」とかいってキレ散らかしていそうな彼が、この状況をすんなりと受け入れてしまっていることが不思議だ。
 寿くん曰く、こういう部屋に閉じ込められてしまうような人間同士は「なんとなくお互い好意を持っているけれど、まだ気持ちを伝え合っていないし付き合ってもいない」みたいな関係の二人が多いらしい。なんと、ここで活きるエロ漫画知識。しかし、彼と私はとっくに付き合っている上に既に同棲までしているし、そんなじれったい関係性ではない。
 でも確かに、とりあえずは色々試してみるしかない。ずっと立っているわけにもいかないので、とりあえずベッドの上に腰を下ろすと、それに倣うように寿くんも私の横に座った。

「……じゃあ、寿くん。手、出して」
「ん? あ、おう」

 差し出された彼の右手をぎゅう、と握る。とりあえず、最初に思いついたのは身体的な触れ合いだった。その大きくてあたたかい手のひらをにぎにぎと両手で揉んでみても、シンプルに握手をしてみても扉が開くことはない。

「手を繋ぐ、はダメかあ……」
「んじゃあハグしてみっか」

 ん、と下唇を尖らせながら両手を広げた寿くんの意図を察して、その広い胸にこてんと頭を寄せると、ぎゅう、と少々強めに抱きしめられた。いつもの寿くんのにおいがして、そのままそっと彼のお腹に手を回して脇腹を触ったら「おい、くすぐんじゃねえよ」と咎められてしまった。

「ハグでダメだったから、相手をくすぐるとかで出られたりしないかなって」
「さすがにそりゃねーだろ、適当言ってんな?」
「あ、バレた?」

 そういうと、寿くんは「言い訳しやがって」と目を細めて笑いながら私の額にちゅ、と小さくキスを落とす。
 これってキスでカウントされるのかな、やっぱり口と口じゃないとキス認定はしてもらえないのだろうか。でもさすがにキスなんてわかりやすいアンサーではない気がする。

「なんかよ、こうしてっとこのまま映画でも観てえ気分になってくるな」

 テレビねーけど、と続けた寿くんの発言にクスッと笑いをこぼしながら「それじゃあいつもとおんなじだよ」と返したら、彼も困ったように眉根を寄せて「だな」と苦笑いをした。
 肩を押された次の瞬間、私は座っていたベッドに背中をつけてしまっていた。目の前には寿くんの顔があって、彼の背景には白い天井が見える。

「……へ? ど、どうしたの?」
「もう出来るとこまでやっちまうしかねーかなと」
「な、でもここ、明らかに誰かに見られてるし」
「確かに、おまえのカラダを知らねーヤツに見せんのは癪だな」

 まあオレが隠すから大丈夫だろ、とあっけらかんと発した彼は、既にもうその目の奥をギラギラさせ始めているわけで。
 しなくても出られる部屋な筈なのに、どうしてこの人は思いっきり「やりましょうモード」になってしまっているのでしょうか。
 確かに、その行為を最後までする途中で扉が開く為の行動があるかもしれない。寿くんが発した「早く出ないと人間の尊厳がどーたら」というセリフが脳裏に蘇る。こんな場所で事に及ぶのは想像を絶するほどに恥ずかしいけれど、このまま何もせずにいたってどうしようもないのも事実だ。
 じっと寿くんの顔を見つめながら思考を巡らせていた私に、訝しげな視線を向けた彼が「ほら、ちゃんと集中しろよ」と頬をぎゅっと掴まれる。降りてきた彼の唇が柔らかく重ねられて、それに応えるようにゆっくりと瞼を閉じる。
 こちらの様子を伺うように角度を変えながら施されるそれはどこまでも優しくて、縋り付くように彼の鍛えられた二の腕に手のひらを添える。
 重ねるだけだったそれは、帯びてきた熱のせいで段々と深いものに偏移してゆく。お互いの呼気と唾液を交換しながら、隙間を塞ぐように食むのを繰り返す。
 質素な空間はあっという間に色っぽい雰囲気に様変わりしていて、強引な癖にひどく繊細な彼の行動に胸がぎゅう、っとなってしまった。

「……ん。ね、寿くん」

 呼吸も忘れるほど夢中になりながらお互いの唇を味わって、ようやく訪れた数秒の間。鼻と鼻が触れそうな近さで彼の名前を読んだら、眉を上げた寿くんが小さく首を傾げた。

「なんだ?やめろって言われても、オレぁもうやめらんねーぞ」
「ちがうよ。こんな状況でヘンだけど、やっぱり寿くんのこと好きだなって思っちゃっただけ」

 キョトンとした表情で目を丸くした寿くんが、驚いたようにぱちぱちと瞬きをする。続けて「おまえ……」と言葉を紡ごうとした瞬間、どこからともなく聞こえてきたのは「ガチャン」という金属的な音で。

「あ?」
「え……?」

 ほとんど同じタイミングで私たちが視線を向けたのは【セックスしなくても出られる部屋】の扉。今までうんともすんとも言わなかったその扉が、なんと開いていたのだ。

「おい、今の何で……」

 眉間にシワを寄せている寿くんを見つめながら、押し倒されていた体を「よいしょ」と起こす。
 手を繋ぐ、ハグ、額にキス、二人でベッドに横になる、唇にキス……もダメだった。じゃあ、そのあとにしたことといえば。

「……あ! もしかして“好きって言わなきゃ出られない部屋”!?」

 すると、どこからか「ピンポーン」という聞き慣れた正解を示す音が聞こえてくる。この状況下で気が抜けてしまいそうなほど間抜けなその音に対して、不機嫌に顔を顰めた寿くんは「んだよ今の音、バカにしてんのか?」と低い声で吐き捨てる。

「つーか、人閉じ込めといて素直にじゃあハイ出ます、とはいかねーんだよ」

 なあ? とニタリと笑う寿くん。え、どういうこと、と漏らした私の声は、再び降りてきた彼の唇によって遮られてしまっていた。

***

「や、やっぱり誰かに見られてるところでするなんて無理! 無理無理、無……理……?」

 ガバッと飛び起きると、そこは見慣れた寝室だった。真四角で無機質で中央にベッドだけが置かれている妙な空間ではない。カーテンの隙間から差し込む光で、今が朝だということを察する。
 なんか、すっごいリアルな夢見ちゃった気がする。現実じゃありえないのに、ものっすごいリアリティがあった。ドキドキと鼓動する胸を両手で抑えながら息を吐き出すと、隣で寝ていた彼 ── もとい寿くんが微かに身じろぎをした。

「んー……? どした……?」
「な、なんでもない! ていうかうるさくしてごめんね、起こしちゃった?」
「いや、なんか微睡んでた。……いーからホラ、もっかい寝ようぜ」

 些か強引に腕を引かれ、倒れこむようにベッドに逆戻りしたら、抱き枕みたいにぎゅう、と抱きしめられてしまった。子どもみたいに体温の高い彼は、いままで眠っていたせいかいつも以上にぽかぽかしていて人間湯たんぽのようだ。

「つーかオレ、すげえエロい夢みたんだわ。なんか部屋に閉じ込められて、そこでおまえとさ」
「あーもういい! もういいから! ……ん? っていうかそれ、もしかして私が見たのとおんなじかも」

 思い出される先ほどの夢。夢なんて覚えていたいと思ってもすぐに記憶が薄れていってしまうものなのに、あのフィクションとノンフィクションが混ざったような妙な夢だけは未だに頭の中で明確に映像として残っている。

「マジかよ、スゲーな。……な、つーわけでどうよ」
「え? どうよとは……?」
「朝から仲良くしちゃいますか? ってお誘い」
「……もー」
「なんだよ、ちゃんと答えろよ」

 照れ隠しに口をぎゅうっと結んで、じっと彼のことを見据えながら「いいよ」とひとつ頷いてみせる。
 すると、寿くんは「よっしゃ!」と小さくガッツポーズをしてから私の頭を撫で、夢の中で最初にしてくれたものと同じように慈しむようなキスを瞼に落とした。

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