はぁ、なんでこんなことになったんだ……?
 もう何度目かわからないため息を吐きながら窓の外を見ると、いい具合に夕焼けの色が広がっている。
 迫る高校最後の文化祭。受験がある3年の参加は強制されていないので、今年はクラスの出し物もやらないだろうな、ってことは去年が最後だったのかあ、なんて他人事みたいに考えていたのだが、何がこうなって自分はいまこんな状態なのだろう。

「あー木暮くん! 動かないで!」

 せっかく仮留めしてるところとれちゃう!と半ば怒り気味に言ったのは、口にまち針を咥えたクラスメイトの女子生徒。
 ごめん!と慌てて謝ると「いいから動かないで!」と再び怒られてしまった。ああ、全くどうしてこんなことになってしまったのか。
 自分の体に巻き付けられている、もとい引っ掛けられているのは形としてはほぼほぼ完成しているドレスである。なぜこんなものを着せられているのかというと、それは1ヶ月ほど前に遡る。
 ホームルームでぼーっとしていたら、わけもわからないうちに男子全員でじゃんけんをさせられていて、そしていつの間にか負けていた。隣に立っていた赤木は、絶望しきった表情で震えながら己のチョキを眺めていた。
 3ー6:女装喫茶、と黒板にデカデカと書かれたチョークの文字で察する。クラスの男子生徒のうち、じゃんけんで負けてしまったオレと赤木を含む3分の1が、文化祭で何をさせられるのかということを。

「あの、悪いんだけどトイレ行ってきてもいいかな?」
「ええー!? しょうがないなあ、ちょっと安ピンで留めるから待って」
「え? 脱いじゃダメなのか?」
「だめよ! また脱いだり着たり手間でしょ」

 汚さないでさっさと帰ってきてよね、と言った彼女は演劇部に所属しており、部活でも文化祭でもこうして衣装担当を請け負っている。
 隣で似合わないドレスを着せられながら、同じくサイズ合わせをしている赤木を横目でちらりと見てみたら、じゃんけんで負けた時と同じような表情で硬直していた。あとで心を無にすると楽だということを教えてやらないと。
 でも困った、この格好で廊下を歩くことになるなんて。
 なんやかんやで他のクラスも文化祭へ参加するらしく、今の時期の放課後は他の学年と変わらず賑やかだった。
 1週間後に迫った文化祭前のこのそわそわする感じ。受験を控えている身ではあるが、この雰囲気はちょっとした息抜きになっていい。まあ、自分が何を纏っていて当日何をするのか、ということを抜きにしたらなんだけど。
 そこで気づいた。そうだ、文化祭の準備中なのは他も同じ。オレがこんなトンチキな格好で廊下を闊歩していても、この時期にそんな些末なこと誰が気にするものか。当日のリハーサルだと思ってサクッと済ませて帰ってくればいい。……とか、そう簡単に割り切れたら苦労はないのに。
 意を決して教室を出る。下に制服のスラックスを履いているとはいえ、やはりこんな格好で歩き回るということに対する羞恥心が消えてくれるわけもない。
 あのときグーを出していれば……という後悔をしても遅すぎる。運が悪かった、最後までやり切るしかない。それにもっと悲惨な末路を辿りそうな赤木だっているし。
 ロングのドレスは、見事に足元スレスレまでの長さに調整されている。スカートはもちろん、当たり前だがドレスなんて着た事のない自分がうまく歩けるはずもなく。
 早歩きを始めたその瞬間に、見事なまでに布を思いっきり踏んづけていた。
 うわ、転ぶ!

「おっとと、危ないよ!」

 ガシッと腰を掴まれ、ぐいっと腕を引かれる。突然のことに目の焦点が合わず「え、な、なにが」と情けない声を上げながら何度もまばたきをしてしまった。
 その視界に飛び込んできたのは、クラスメイトではない女子生徒の顔だった。彼女はオレの顔を覗き込みながら「転ばなくてよかったね」と朗らかに笑い、ぱっと手を離した。

「ドレスで歩く時はね、前のところ掴んで持ち上げながら歩かないと踏んづけちゃうよ」
「え、あ、ああ、ありがとう……ええと」
「このクラスって女装喫茶やるんだっけ? うちの衣装部員が張り切ってたなあ」

 人懐こい笑みを見せながら話す彼女の表情があまりにも魅力的で、コロコロと変わるものだから、意図せず凝視してしまっていた。
 転びそうになった驚きで早鐘を打つように動き続けていた心臓がやっと落ち着きはじめたのに、なぜか彼女に掴まれていた腕の部分だけがほんのりと熱い。

「……ん? どうかした?」
「いや、違うんだ、ごめん!」
「あ、そうだ! よかったらこれ、もらってくれないかな?」

 ぱっと差し出されたのは1枚のチラシだった。
 湘北高校演劇部文化祭公演、と書かれた文字。演者である部員の華やかな写真と、演目が行われる時間や場所が記載されている。

「私、演劇部なの! 当日体育館でやるから、よかったら観に来てね」

 彼女は「ドレス気をつけてね、破ったらあの子絶対怒るから!」大きく手を振りながら駆け出していく。その背中が廊下にいる人の波の中へ消えて見えなくなるまで、オレはぼーっと突っ立ったままだった。

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