( 南くんとこねこ )

「かわいいねえ、どこからきたん?おかあさんいなくなってしもたん?」

 みゃーと小さく鳴く子猫に「ふわふわやねえ」とか「アンタちっちゃいねえ」とか話しかけながらうりうりと撫でくりまわす。なんという至福の時間。それ以上の言葉は無し。
 ぽかぽかと暖かい陽のあたる天気の良い昼下がり。特別教室がある校舎裏、少し陰になったその場所は私のお気に入りのおサボりスポットなのである。
 お昼休みが終わって、5限の鐘が鳴っているが、授業に出る気のない私には関係がない。
 私を見上げながらかわいらしい声で鳴く子猫はふわふわでちっちゃくて、もうできることならポケットにしまって持ち帰ってしまいたいとさえ思った。もちろんしないけど。

「猫撫で声とはまさにこれのことやな」

 その声に振り向くと、制服のズボンに片手を突っ込んでコーヒー牛乳のストローをくわえた幼なじみが立っていた。

「ゲッ、烈……」
「ゲッてなんやねん」
「……いまのきいてた?見てた?」
「バッチリ」

 ぼぼぼ、と恥ずかしさで顔が熱くなったけれど、もう目撃されてしまったのだから仕方ない。こいつの後頭部を殴打して記憶をぶっ飛ばすような鈍器も持ち合わせていない。
 命が助かってよかったな、南烈。

「……まあええわ、聞かれてしもたもんはしゃーない。ところで見てこれ、猫ちゃん!」
「まだちっさいな、そこらへんに親猫いてへんのか?」
「それが見当たらんのよ、こんなちっちゃい子どうしたらええんやろ」

 しゃがみこんだまま、うりうりと子猫の顎の下を撫でる。こちらを見上げながらみゃーと高い声で鳴く子猫のかわいさたるや、もう恥ずかしいところを見られたことなんか空の彼方に吹き飛ばす威力である。

「それはそうと、なんで昼休み明けの5限にこんなところで猫ちゃんいじくりまわしとんねん」
「5限英語やってんけどな、家に教科書もノートも辞書も宿題もぜーんぶ丸ごと置いて来てん。人に借りいくんも面倒くさなって、仮病使った」
「なるほどな、ボケやな」
「アンタという男はホント言葉に容赦ないな、そんなんだから女の子に南くんコワーイて言われんねんで」

 ていうかアンタもこんなところに居るいうことはサボりやろ、と言い返してみたけれど、当の烈はなにも答えずに私の横にしゃがみこんで空いている方の手で子猫を撫でている。
 そんな風に他愛もない会話をしながら子猫を撫でくりまわしていた私の視線の先、園芸部がキレイに整えている花壇の間からひょこ、と顔を出したのは成猫だった。にゃあ、と鳴いたその猫の声に、子猫が反応を示す。

「おかあさん!?」
「おまえのお母ちゃんちゃうやろ」
「わかっとるわ!そうじゃなくてあの猫、この子のおかあさんやないの!?」

 とてとてと駆け出した子猫が、母親らしき猫に擦り寄るのを眺めながら、私は「よかったあ」と胸をなで下ろす。
 きっと、ずっとみゃあみゃあかわいらしく鳴いていたのは母親を探していたのだろう。私のようなおろかな人間を喜ばせるためではなかったらしい。

「あーあ、かえってしもた……」
「ちゃんと親いて良かったやん」
「うん……そやな!私もかわいいふわふわとの戯れでバッチリメンタルゲージ回復出来た!万事オッケー!」
「単純な女」
「もう、アンタさっきから何なん!?トゲットゲした言い方ばっかりしよってからに!」
「猫かわいらしなあってしてるおまえ、結構オモロかったで」

 オモロかったって、もっと違う言い方あるやろ、と思ったけれど、もう言い返すことに疲れてきた。私はさっきまで触れていた子猫のやわらかい感触を思い出しながら、はあとひとつ息を吐き出す。

「うち、お母さん猫アレルギーだから飼えへんのよ」
「ふーん、おばさんそやったんか」

 いつか一人暮らししたら飼ってみたいなあ、と話す私のほうに顔も向けず、隣にしゃがみこんでいる烈はズズ、とコーヒー牛乳を飲みきると、それを丁寧に畳んで潰した。

「……な、こっち向き」
「ええー、アンタいるほう陽ぃ眩しい……んむ!?」

 押し付けられた烈の唇からは、コーヒーの香りとほんのり甘い味がした。ガシッと後頭部を掴まれて、無抵抗のままそれを受け入れる。
 咄嗟のことで硬直してしまっていたが、やっと今の状況を理解した。ぱちぱちと瞬きを繰り返しながら、抵抗の意を込めてヤツの胸のあたりをどんどんと拳で叩いたら、やっと解放してもらえた。

「な、なんでチューするん!?ここ学校やで!?」
「彼氏が彼女にチューしたらアカンいうことはないやろ」
「ここは学校やろ言うてんの!もー!もぉ………」
「かわいらしいな」
「え?さっきの猫ちゃん?」
「……まあ、そう思っとったらええわ」

 もうしれっとしたいつも通りの表情に戻っているヤツの横顔を眺めながら、むう……と私は眉間に皺を寄せる。

「なんちゅうブッサイクな顔してるん」
「うるさい!もう帰る!」
「仮病で授業サボったのに戻るんか?」
「あ、あー……そういう設定だった……」

 がっくりと項垂れて、体育座りのポーズを取っている私の後頭部を烈の手のひらがぽんぽんと撫でてくれる。

「さっきの猫みたくふわふわころころはしとらんけど、毎回毎回チューするたびそうやって顔真っ赤にするとことか、ちょっとアホで単純でわかりやすいとこはかわええと思っとるで」

 そう言って、幼なじみ兼彼氏であるヤツはいじわるにニヤリと笑うのだった。

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