3.


 頼まれていたスタンド花の配達を終え、車を停めている近くの駐車場から店に戻ると、カウンターに肘をついているのは最早見慣れてしまった派手なパイソン柄ジャケットの背中。
 私が帰ってきたことに気づいたその人 ── 真島さんは、くるりと振り返るとそのギョロリとした目を爛々を輝かせながら「やーっと帰って来よった、待ちくたびれたわ!」と大げさに手を上げる。
 私の居場所を突き止めて押しかけてきたあの日。帰り際に黒い車の後部座席で「また来るでぇ!」と言いながら去っていった真島さんは、その言葉の通りに度々この店を訪れるようになった。そして、そのたびに「また悪くなりそうなんでええから束ねてくれや」とそこそこの量の切り花を買い取ってくれるので、無碍にすることも出来ずにいる。

「なんや、覗きに寄ったら名前ちゃん居らんから寂しかったわ。なあ?」

 同意を求められた須郷くんはいつもの平坦な調子で「真島さん、ホント店長のこと好きッスね」と別に言わなくてもいいセリフを吐きながら、薔薇の茎にナイフを滑らせ棘取りをしている。

「そらそうや、仕事のあとに名前ちゃんの顔見るん楽しみに頑張ったんやからな」
「あ、そういえばそのヘルメット……」

 これぞまさしく、という色をした真っ黄色のヘルメットには、丸で囲まれた緑色の「真」の字。
 真島組さんはフロント企業として真島建設という建設会社を興しているので、仕事というのはつまりその現場のことをいっているのだろう。それにしても、仕事が終わってもそのヘルメットを被っている意味が果たしてあるのだろうか。
 なんの気なしにその疑問をぶつけてみたら、真島さんは「上から何降ってくるかわからんからな、危ないんは現場だけやないで」と至極真面目な顔で言った。
 いや、そりゃあなたの住む世界ではそうかもしれないですけど、と思いつつ、その言葉は飲み込むことにした。真島さんと会話をしていると、つっこみを飲みこまなくちゃいけない頻度が多すぎる。

「あ、そうだ須郷くん! もう上がっていいよ、ありがとね」
「じゃあ上がらせてもらいます」

 持っていた薔薇の束を冷蔵ショーケースの水桶へしまった須郷くんがエプロンを脱いだ。

「なんや、兄ちゃん帰るんか?」
「大学の試験近いんで。稼ぎたいスけど、通しはちょっと」
「学生さんっちゅうんは大変やのう」

 長靴からスニーカーに履き替えた須郷くんが「じゃあお先に失礼します」と店を出ていくのを真島さんと二人で見送る。

「にしても、これから夜通し女ひとりで店番かい。危なないんか?」
「でも私、この仕事も神室町歴も何気に長いですから。それに今は真島さんがいますし」

 そういうと、真島さんは一瞬だけ呆気にとられたような表情をしたあと、その口角を釣り上げながら目を細め、どこか嬉しそうにニヤリと笑った。

「なんや、もしかして頼りにしてくれとるんか?」
「違います、真島さんが居るとお客さんが寄り付かないから危険もなにも……っていう意味です」

 それを聞いた真島さんは「相変わらず釣れんのう」とその長身を揺らしながら口を尖らせ、がっくりと項垂れてみせた。
 派手な見てくれに、360度どこからどう見たってその道の人だとわかる風貌。神室町で生活をしていると、極道や半グレ、ヤンキーみたいな類は見飽きるほど目にしているが、彼はその中でも際立って異質な存在であると思う。
 見た目だけじゃなくて隠しきれないオーラというか、そんなものを隠すこともなく惜しげもなく纏っているその人が店の中に入り浸っていれば、普通のお客さんは入りにくいったらないだろう。
 現に、先ほどちらりと店の中を伺っていたサラリーマンらしき男性が、真島さんを目に止めてからそそくさと立ち去ってしまったのを私は確認している。

「ところで名前ちゃん。その目ェの下、真っ黒い隈できとるで」

 カウンターに肘を掛けながら遠慮なく顔を寄せてきた真島さんが、それを示すように私の目の下をちょん、とつついた。
 ちょっと近すぎますって、と慌てて距離を取りながら、自覚のあった部分を指摘されたことにほんの少しだけ恥ずかしくなって視線を落とす。

「……そういうの、気づいてもハッキリ言っちゃダメですよ」

 しかも女の子相手に、とムスッとしながら伝えてみたが、真島さんはそんなことを気にする素振りもなく「あのバイトくんも心配しとったで。店長全然休みとらへん、てな」と続ける。

「男二人でそんな話してたんですか?」
「ちゃんと食って寝て休まな寿命縮んでまうやろ」

 カウンターに身を預けながら前のめりになり、こちらをじっと覗き込んでいる真島さんの表情は私を茶化すようなものではなく。
 極道だし、変なノリだし、強引で何考えてるかわからなくて行動の読めない人だけど、そういうところはちゃんと見ているらしい。下の人間がこの人について行こうって付き従ってるのはつまり、そういう部分なのかもしれない。
 仕事とプライベート、つまりオンとオフの切り替えが下手であることは自分でもよくわかっていた。それでも、疲れていることが思いっきり顔に出ていて、しかもそれをバイトの子に気づかれているなんて情けないったらない。

「何しててもお店のこと考えちゃってて……だから、働いている方が楽なんです」

 うっかり口を滑らせてしまったと気づいたのは、それを言い終わってからだった。
 今まで誰にも打ち明けたことのないほとんど弱音みたいな本音を、どうしてこの人の前で吐き出してしまったのだろう。
 それは真島さんが極道といえど何百人、いや何千人もの部下と下位の組を従えている組の長であり、そんな人がこちらの話を傾聴する姿勢をとってくれていたからかもしれない。
 だけど、真島さんと私はつい最近知り合ったばかりで、オブラートに包みまくって表現するにしてもかなり特殊な出会い方をしている。なんなら、あんな出会い方をしたのに私が今ここで普通に生きていて、こうしていつも通りに働いていることすら本来奇跡のようなものかもしれないのだ。
 真島さんは「ワーカーホリックちゅうやつか、まあわからんでもないけどな」とどこか含みを持たせた言い方をしてからしばらく静かになったかと思うと、突如弾けたように両手を打った。
 いつだって突拍子もない真島さんの行動に驚いていると、彼は「せや、ええこと思いついたわ!」と歯を見せて笑った。
 その“ええこと”とやらが本当に良いことなのか、半信半疑に思いつつもとりあえずは続く言葉を待つ。

「名前ちゃんの今度の休み、俺にくれや」

 予想もしていなかったその言葉に絶句してしまい、言葉に詰まっている私に「どや?」とカウンター越しに詰め寄ってくる真島さん。その圧たるや、本人にそのつもりが無くとも相当なもので。

「え……?」
「にっぶい子ぉやな、デートやデート! その日は仕事なんぞ忘れさせたる。もちろん全部こっち持ちや」
「え、あの頭がついていかないっていうか……あとなんか、その言い方が怖いんですが」
「なんや、変なこと考えとるんか? 名前ちゃんは意外とスケベなんやなあ」
「はぁ!? なんでそういう方向に……!」
「で、ちょうど明後日休みなんやろ?」

 なんでしってるんですか、と私が声に出して問うよりも早く「バイトくんがな、シフト見せえ言うたらすぐ出してくれたわ」と悪びれる様子もなく言う真島さん。
 あのバイトめ、と低い声でごちる私の返事なんか待たず、真島さんは「デートプラン考えなアカンな! 忙しゅうなるで」と楽しそうだ。
 逆に私はデートという響きに全くわくわくすることもなく、寧ろ「どこに連れて行かれるんだろう」という不安すら覚えているわけで。
 けれど、目の前にいる存在感の化身みたいなその人がこのとおり破天荒の極みであっても、存外悪い人ではないことにうっすら気づいているのも事実である。
 ジェットコースターみたいに忙しないやりとりに思わず苦笑いをこぼしていたら、店の入り口からこちらを覗き込んでいるスーツ姿の男性が目に入る。それは、先ほどこちらの様子を伺いながら去って行ってしまった人物に違いなかった。

「いらっしゃいませ、何かお探しですか?」

 慌ててカウンターを抜け、真島さんの横を通り過ぎながら声を掛けると「ええと、あの」とサラリーマン風の男性が口籠もりながら言った。彼の視線は私とその奥にいる真島さんとを交互に往復している。

「花束をお願いしたくて……今欲しいんですけど、作ってもらえます?」
「大丈夫ですよ」

 ご予算と、あとお色味と入れたいお花のご希望がありましたら、と問うが、やはりこの場所にいることに違和感がありすぎる背後の極道に意識が向かってしまうらしい。
 なるべく視線を向けないようにしているのがわかるが、真島さんという人はそれでも様々な意味で人の意識を自分に引きつけてしまう異様ななにかを持っているのだ。
 いつの間にか私の背後に立っていたらしい真島さんは「スマンのう兄ちゃん、俺のことは気にせんといてくれや」と気さくな調子で萎縮しきってしまっている男性の肩にポン、と手を置き、私に視線を移した。

「ほな名前ちゃん、俺は外でヤニ吸うてくるわ」
「あ……ハイ、どうぞ」

 これはまだ居座るつもりだな、と思いつつ、真島さんなりに今来たお客さんに対して気を使ってくれたらしいことを察する。
 仕事帰りって言ってたし、疲れてるだろうにどうしてそんなに私に構うのだろう。ヤクザにいいも悪いもないけれど、彼のことをどこか憎めないと思い始めている自分を振り払うみたいに小さく首を振る。
 男性から予算と希望の色味を聞いて、手早く切り花を手に取っていく。メインの花を決めて、そこからサイドを埋める花を調節する。周りに葉物を添えながら、花に正面を向かせて整えつつ形を作っていく。

「差し支えなければどなたにお渡しするのか教えていただいても……?」
「あ、同棲してる彼女が居まして……ちょうど明日、誕生日なので」

 日付変わる時に渡そうと思っていて、とどこか気恥ずかしそうにいう彼を見ながら、私は胸の奥がほっこりするのを感じていた。
 どんなに疲弊していても、花を贈ろうとしているお客さんの気持ちやストーリーを聞くだけでそんなものはどうでもよくなってしまう。それが私がこの店で働く理由であり、原動力なのだ。
 手早く作った花束の切り口に保水処理をしつつ、透明のセロファンでそれを包んでいく。重ねたオーガンジーの上から持ち手にリボンを結び、ハサミの背を滑らせてカールさせてからもう一度整える。

「こんな感じなんですけど、いかかでしょう?」

 出来上がった花束を見て「ありがとうございます」とずっと緊張している様子だった彼の表情が緩むのを確認し、そこで私もようやくほっとした。

「彼女さん、喜んでくださるといいですね」
「ええ、ありがとうございます」

 会計を終え、花束を抱える彼を店の外まで見送る。去っていくその背中にお辞儀をして頭を上げると、いつの間にか戻ってきていた真島さんが横に立っていることに気づく。

「はァー、いいなあ、アタシにもあんなカレシが欲しいわあ」

 突然始まった真島劇場に何も言わず目を細めていると、真島さんは高くした声と芝居掛かった口調のままそのセリフを続けた。

「例えば黒髪でぇ、眼帯しててぇ、タッパあってぇ、ヒゲ生えててぇ、腕っ節のつよい働きものでぇ、ちょっと悪そうな感じの年上でぇ」
「あの、さっきからなにやってるんですか」

 無視を決め込んでしまうのが正解だとわかっていたのに、ついツッコミを入れてしまっていた。

「名前ちゃんの心の声をアテレコしてたんや。ちゅうかそないな男俺しかおらんよな? ええで名前ちゃん、来いや!」
「すみませんけど、そろそろ本気で営業妨害なので冷やかしでしたらお引き取りください」
「相変わらず冷たいわ、凍え死ぬで」

 ブルブルと震えるみたいに自分の体を抱きしめながらいう真島さんに「それで、他にご用件があればお聞きしますけど」と伝えると、彼は一瞬にして真面目な顔に戻る。

「ご用件なんて、そんなん名前ちゃん口説きに来た以外あるかいな。どや、そろそろ俺の女になる気になったか?」
「申し訳ありませんが、そんな気持ちには一生なりません」
「カーッ! 頑固やのう」

 花束を作った際に落とした葉の部分や茎の端を箒で集めながら適当に返事をしていると、真島さんは「ほな、じゃまた適当に花包んでもらおか」とカウンターに体を預けながら言った。
 これで営業妨害にはならんよな、と確認するようにこちらを覗き込んでくる真島さん。それがなんだか可笑しくて、持っていた箒を隅に置いてから「いつもありがとうございます」と営業スマイルを返すと、彼は嬉しそうにニンマリと笑んだ。
 いつも通りに切り花を手に取りながらふと、先ほどお客さんに作った花束はちゃんと喜んでもらえるのだろうか、と考える。

「……花束をもらうって、どんな気持ちなんだろう」

 それを無意識に声にしてしまっていたことに気づいたのは「なんや、もろたこと無いんか?」という真島さんからの反応が返って来てからだった。
 うっかり漏れてしまった心の声を聞かれてしまったことに動揺しつつ、ちょっぴり気恥ずかしく思いながらこくんと頷いて見せる。

「家業が花屋だって知られてると、まず花をもらうことなんて無いですよ」
「ほう……なるほどな」

 含むように言ってから、真島さんは何やら考えるみたいに静かになってしまった。いつもとんでもなく賑やかだから、急に黙りこくるとまるでこの世から音が無くなったみたいに静まり返ってしまう。
 店内で流しているBGMだけが聞こえてくる空間のなかで、ふと気になって「あの」と声を掛けると、真島さんは「なんや?」と顔を上げた。

「ところでお花、いつもどうしてるんですか?」
「そら事務所に飾っとるわ。にしてもここの花は良く保つのう、悪いの引き取っとんのに」

 よう手入れしとんのやな、と切り花を活けてあるブリキの花桶を眺めながら言う真島さんを見ながら、そういえば最初はそういう風に注文を受けていたことを思い出した。

「悪いのなんか渡してませんよ」
「あぁ? ……なんやて?」
「うちは、お客さんに古くなって悪くなりそうなお花なんかお出ししません」

 あの時、真島さんは確かに「悪くなりそうなやつ、全部買ったる」と言っていた。けれど、私と須郷くんが見繕ったものに悪くなりそうな花などは一本たりとも入れていない。
 真島さんはそんな私の言葉を聞いてその意味を理解すると、深く息を吐き出したのち、小さな声で「アカンわ」と言いながら顔に上に向け、そのまま手を当てて固まってしまった。そのリアクションの意図することはよくわからなかったけれど、悪いことをしているわけでは無いので問題はないだろう。

「……ホンマ、名前ちゃんはごっつい女やのう」
「ご、ごついって、確かに最初は真島さんのこと投げちゃいましたけど……!」
「アホ、そういう意味ちゃうわ。……まあええ」

 私が手に持った切り花を受け取った真島さんは「ほなそろそろお暇するわ、明後日忘れるんやないで」と言いながらそれを肩に担ぎ、小さく手を上げて店を出て行った。
 まるで歩く騒音みたいなあの人がいなくなっただけで一気に静かになってしまった店内は、その状態が普通であるはずなのにどこか寂しささえ感じてしまう。
 そこで私はハッとした。うわ、寂しいってなに、と感じてしまった違和感を振り払うように首を振り、人のいないうちにしかできない事務作業に意識を向けることにした。


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