8.

 関東大学バスケットボール一部リーグが行われる都内のアリーナに到着した私は、思っていた以上の人出に圧倒されていた。
 そういえば、高校の時に初めて観た陵南対湘北の試合もかなり賑わっていた気がする。あの時の試合はインターハイにどちらが出るか、という大事な試合だった。結果は湘北の勝利。母校の陵南はギリギリの所で全国出場を逃してしまったのだ。
 バスケットボールなんか体育の授業でしかやったことがないし、詳しいルールなんて全然わからなかったけれど、全く関わってない私でもその試合で負けてしまった事がすごく悔しくて、知っている人が涙を流す姿を見るのは胸が苦しかった覚えがある。
 それがまさか、あの時の相手である湘北のプレイヤーだったレギュラーの二人と仲良くなって、その二人を応援しに大学リーグを観に来ることになっているだなんて、あの頃の私は夢にも思わないだろう。
 知識がない私には、シュートが決まるか決まらないかぐらいしかバスケの諸々はわからなかった。クラスメイトの魚住くんに、同じ学年の池上くん、当時学校でも大人気だったひとつ下の仙道くん、ちょっと変わってたから目立っていた福田くんなど、陵南の選手を目で追う事はしても、対戦相手である湘北の選手をじっくりと見ているわけがなかった。
 バスケをしている三井くんの姿を雑誌や学内誌の写真で見たことがあっても、実際にプレーしているところを彼だと認識して見るのは初めてだ。

「魚住くん!」

 入り口に立っている高校時代の同級生は、相も変わらずとても目立つので見つけやすかった。

「おう、こないだぶり」

 こちらに気づいて手を上げた魚住くんに軽く挨拶をして、差し出されたチケットを受け取る。スポーツ観戦さえしたことがない私は今この瞬間、とんでもなく緊張していた。
 それを察したのか、それとも私があまりにもわかりやすすぎたのか、魚住くんに「なんで試合に出ないやつがガチガチなんだ」と笑われて少し恥ずかしくなった。

「チケット代、ほんとにいいの?」
「招待券だからな、気にするな」

 今の大学リーグには知り合いが多いから言えば回してもらえるし、無駄になるほうがもったいないだろ、と魚住くんは言った。
 アリーナの中は人々の声援と、ドリブルにより床を跳ねるボールの音、キュッと鳴るバスケットシューズの音で満ち満ちていた。すでに試合が行われていたが、これはお目あての対戦ではない。どうやらうちの大学の試合はこの後らしい。
 私が無意識に目で探してしまっている人物や、そのチームメイトたちはおそらくまだ控え室にいるのだろう。
 コッソリ観にきたらいいよ、と言った宮城くんの言葉が頭の中に蘇る。
 ちょっといたずらをしているような、ワクワクする気持ち。今度顔を合わせた時に「こないだの試合、実は観戦してたよ!」って言ったら、三井くんはどんな顔をするのかな。でもそれを暴露するのは勝てた場合だけにしたほうがいいかもしれない。負けちゃったら観てましたなんて言わないほうがいいに決まっている。
 そんなことを考えながら、私は慣れた様子で進んでいく魚住くんの背中を追う。人はそこそこ多いけれど、魚住くんは背が高くて目立つので見失う心配がなくてありがたい。

「ここら辺でいいか?」

 空いた席を見つけると、ちょいちょいと魚住くんが手招きしてくれた。ありがとう、と言って彼の隣に腰を下ろす。
 うーん、やっぱりドキドキする。見つかっちゃったらどうしよう、でもこれだけ人がいるし、きっと私なんか埋もれてわからないよね。そもそも客席なんてそんなに気にして見たりなんかしないだろうし。
 悪いことをしているわけじゃないのにこんなにハラハラしたり緊張したりしているのは、私が今日自分の気持ちと向き合う決意をしてきているというのもあるのだろう。

「まだ試合始まらないかな?」
「ああ、この試合はもう少し続きそうだ」
「よっし! じゃあ私、飲み物買ってくる」

 おう、と短く返事をした魚住くんに席を任せて、私は来た道を戻りアリーナ外の自販機へと向かう。わざわざチケットを手配してくれた魚住くんへのささやかなお礼と、席についてほっとしたら緊張のし過ぎで自分の喉がカラカラだということに気づいたからだ。
 自販機の前まで来て、百円玉と五十円玉を一枚ずつ入れてから顎に手を当てて考える。魚住くん、烏龍茶と緑茶ならどっちのほうが好きかな。

「あの人は緑茶じゃないかな」

 背後から聞こえたその声とほぼ同時に、横からにゅっと伸びてきた手が緑茶のボタンを押した。びっくりして私は声も出せずに後ろを振り向く。
 どーも、と少しかがみながらぺこりと軽く頭を下げたのは、相変わらず特徴的な髪型をした仙道くんだった。私は混乱してなかなか言葉が出てこず、ただただ自販機と仙道くんを交互に見る。それ取り出さなきゃ、と促してくる仙道くんに言われるがまま、取り出し口に出ているペットボトルを手に取る。

「びっくりした、仙道くん久しぶり」
「驚かせてスミマセン、苗字先輩お久しぶりです」

 謝る気があるのかないのか、ヘラヘラとした笑顔も当時と全く変わらない。私は無意識にムスッとしてしまっていたらしい。「あれ? もしかして自分の買うつもりでした?」と少しだけ焦った様子の仙道くん。私はもう一度自販機に硬貨を入れて烏龍茶を買った。両方買っておけばどちらか選んでもらえると思ったからだ。

「ていうかよく私のことわかったね」
「苗字先輩、いい意味で変わってないから。あと魚住さんが目立ってたんで」

 ああなるほど、と納得した。変わらないの意味は彼の言う通り、いい意味の方であると思うことにしよう。仙道くんは自然と横に並んで歩き始める。どうやら一緒に観戦するつもりらしい。

「魚住くん、お茶どっちがいい?」
「礼なんていいと言ったのに……な、仙道!?」
「どーも」

 仙道くんの存在により話が逸れてしまったので、もういいやと思った私は魚住くんの手に緑茶を押し付けた。私は彼の横にそのまま座り、烏龍茶で喉を潤す。
 仙道くんは私と魚住くんの後ろの席に座った。「あれって仙道じゃね?」と周りの観客が少々ざわつく。そういえば、この間購入した週刊バスケットボールの特集ページに仙道くんの写真が載っていた。
 魚住くんも目立つのに、仙道くんまで近くに座ってしまった。目立つ二人を交互に見ながら、バレないようにこっそり観戦は無理かもしれないな……と心の中で苦笑いする。

「というかおまえはどうして連絡を寄越さないんだ」
「いやあ、起きられるか不安だったもんで」

 来れるかどうか怪しかったし、といつもの調子で言う仙道くんに対し、横にいる魚住くんは「おまえは相変わらずだな」と呆れたように言う。

「あ、前の試合終わりましたよ」

 聞くところによると、どうやら今日このあとの試合を魚住くんと仙道くんが見に来た理由は福田くんが所属する大学のチームの一戦だからということだった。つまり、福田くん対三井くんと宮城くんのカードというわけだ。
 そんな話をしているうちに、今まで試合をしていたチームと入れ替わりにこれから試合をするチームがベンチに入ってくる。
 黒いユニフォームの三井くんがアリーナに入ってくるのが見えて、少しだけ心臓がドクンと鳴った。いつもと同じぶっきらぼうな表情だけど、集中している様子が見てとれる。対して、そのあとに入ってきた宮城くんはリラックスした様子で肩を回していた。他にも学内誌で見たことのある人たちが続き、隣のベンチには相手のチームも入ってきていた。

「あいつ、多分ベンチスタートだな」
「めちゃくちゃ不機嫌な顔してますもんね」

 さすが元チームメイト達だ、福田くんの表情で彼がスタメンではない事を悟っている。

「三っちゃーん!」
「がんばれー! 応援してるからなぁ!」
「今日も決めまくってくれー!」

 急に隣のブロックの一番前の席から野太い声援が飛び始める。びっくりして彼らの方を見ると、土木作業員風の格好をした三人組が立ち上がり大きく派手な旗を振っていた。

「ほのおの、おとこ、みっちゃん……?」

 揺れる旗の文字を声に出して読んだ私の横で、魚住くんが「あれは三井の出る試合ではいつもお決まりの光景だぞ」と苦笑いしながら言った。そういえばあの時の記憶が曖昧で微妙だけど、私が観た試合の時にも強面のこんな集団がいた気がする。
 三井くんは男の子に慕われるタイプなんだなあと熱い声援を送る彼らを眺めながら思った。なんかわかるかも、と納得して一人頷く。
 ストレッチを終え、ウォーミングアップのためにボールを手にした三井くんの動きが止まる。野太い声援を送る彼らの方を一瞬だけ見た様な気がしたけれど、さっと視線をそらしてまたアップに戻ってしまった。三井くんの応援団はというと、レスポンスもなく無視を決め込まれていてもさして気にした様子はなく、変わらず声援を送り続けている。きっといつもこんな感じなのだろう。
 しばらくすると、ウォーミングアップの時間が終わりそれぞれの選手がベンチへと戻っていった。いよいよ試合が始まるらしい。観客席の盛り上がりも大きくなり、各大学の応援団達も立ち上がり準備を始めている。
 周りのワクワクした雰囲気とは逆に、私は無性にそわそわしてしまっている。ドキドキもあるが、なぜだか無性に落ち着かない。喉の渇きを感じて烏龍茶に口をつける。
 両チームのスターティングメンバーが整列する。
 どうやら魚住くんと仙道くんの予想通り、福田くんは相手チームのスタメンから外されてしまっているらしく、見るからに納得がいっていない様子でベンチで険しいオーラを放っていた。オーラなんか目に見えるものじゃないけれど、それが見えるような気がしてしまうぐらいあからさまだった。どうやら彼も当時からあまり変わっていないみたいだ。
 ユニフォームのズボンに両手を入れて、猫背気味に整列する三井くん。なんだかとってもガラが悪くて、思わず小さく笑ってしまった。

「シャーッス!」

 挨拶が終わると、まもなく選手達は各々のポジショニングにつき、センターサークルには両チームのジャンパーが並び立った。
 ティップ・オフ。
 最初のボールはあちら側だった。ボールを目で追うのが難しいほど、目まぐるしく人とボールが動き回る。「リーグ順位が四位と五位同士の試合だからな、両チームとも気合が入っている」と魚住くんが言う。
 最初の得点は相手チーム。ボールがバスケットゴールに入ると、相手チームの応援に来ている人々が沸き立つ。

「速攻か。だが逆にこれは気が引き締まったんじゃないか」

 魚住くんの言葉に仙道くんが頷く。その言葉の通りだった。魚住くん曰く、両チームの実力はほぼ拮抗していて、こちらのチームの平均身長が相手チームより少し低いぐらいだとのことだった。
 だが、それも気にならないぐらい宮城くんがボール運びでかき乱す。周りとの連携もしっかり取れており、即座に相手ゴールへと迫る。
 ボールは他の選手を経由し、また宮城くんの手元へと戻る。そこは既にゴールの前。シュートフォームでジャンプした宮城くんの前には二人の選手が立ちはだかっていた。

「あ!」

 思わず声をあげてしまっていた。シュートすると見せかけてジャンプした宮城くんが、後ろ手にパスを出したのだ。

「やっぱりあいつ、フェイクうめーなあ」

 仙道くんが感心したように漏らす。その回されたパスの先にいたのは、待ってましたとばかりにニヤリと不敵に笑う三井くんだった。周りの観客が沸き、強面集団も「うおお来るぞ、来るぞ!」と前のめりになる。
 三井くんはその場所で即座にシュートモーションに入る。それはものすごく滑らかで、しなやかで、瞬きもできないほど一瞬だった。私みたいな素人が見ても息を呑むほど綺麗なシュートフォーム。そこから放たれたボールは弧を描き、自ら収まりにいったかのようにパシュ、という小切れの良い音と共にゴールリングを抜けた。
 瞬間、割れるような歓声が起きる。
 強面集団は「うおおさすが三っちゃんだぜ!」とガッツポーズと叫び声をあげている。私は思わず口元を抑えていた。胸がドキドキして、血液が自分の体中をものすごい速さで巡っていく。
 あげた右手の拳をグッと握った三井くんの表情は自信に満ち溢れている。周りのチームメイト達が三井くんの肩やら頭やらを叩いて鼓舞してはポジションに戻っていく。
 すごい、三井くんは本当にすごい人なんだ。まだドキドキしている私をよそに、試合はどんどん進んでゆく。じわっと熱くなった瞼の奥がじんじんと熱を持って疼く。
 自覚した気持ちは、もう溢れる寸前まで来ていた。


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