1.


 いつもどおりのアラームが私を眠りの世界から呼び戻す。この音が聞こえてきたということは朝が来たということで、これすなわちまた一週間が始まってしまったという意味である。
 月曜日から金曜日の週五日を勤務日とする社会人にとって、月曜日という単語は滅びの呪文に他ならない。これは決して大袈裟な表現ではないと思う。どんなに好きな仕事をしていても、会社で人に恵まれていても、月曜日というものはとにかく憂鬱で仕方がない。ちなみに、その逆の単語は金曜日である。
 起きなきゃ、と頭の中で何度か自分を鼓舞していると、段々と意識が眠りから現実へと覚醒していくのを感じる。どんなに眠くても、どんなに布団から出たくなくても、社会人というものが染みついてしまうと意思に反して勝手に体が動くようになってしまう。なんだかこれって、一種の病気みたいだ。
 そんなことを考えながらぱたぱたと手を動かして、傍にあった携帯を手に取りアラームを止める。六時になる十五分前に最初のアラームが鳴るようにしているので、最終的に布団を出なければならない時間までまだ十五分はある筈だ。
 季節は秋。少しずつ肌寒くなってきた十月の社内は、人事発表がある関係でどことなくドタバタとした落ち着かない雰囲気が漂っている。
 そんなわけで、企業の産業カウンセラーとして働く私にとってこの時期はいわゆる繁忙期である。毎年十月と四月、それに年末と年度末が近くなるとスケジュールが分刻みになり、仕事がどーんと増えて押し寄せてくる。つまり今から年度末どころか春先まで、ぼーっと出来る時間などほぼ皆無になるのだ。
 私の受け入れ先の会社は、新卒、中途採用者、異動者なんかは顔合わせという体で一度は産業カウンセラーのカウンセリングを受けることになっている。昨今厳しくなってきたハラスメントや勤務形態の問題に対して真面目な会社であると言える。まあ、そのお陰でこちらはとっても大忙しなわけだけど。
 今日は何人の面談予約が入ってるんだっけ、化粧しがてら確認しなきゃ。
 むくりと起き上がりながら、手の甲で目を擦る。堪えきれずに溢れ出た大きなあくびをしつつ、ぐーっと体を伸ばす。
 ぽやぽやした寝起き特有の気怠い感覚がぱっと弾け飛んだのは、そんな時だった。
 今、私がいるのは自室のベッドではなく、白くて大きな知らないベッドの上。壁に取り付けられているのは大きなテレビのモニター。窓のない部屋の中、床の隙間から部屋をぼんやり照らし出している間接照明は澄んだ白に近い淡いパープルである。
 なにここどこ、と無意識に声を発した私は、その瞬間ぶるっとその身を震わせた。肌寒さを感じて己の腕に触れると、そこでようやく自分が上半身になにも纏っていないということに気づく。まさか、とぶるぶる震えながら、未だ布団の中にある下肢を確認をすると、予想通りなにも履いていない。
 いやいや、うそでしょ。なにこれ、頭痛くなってきた、全然記憶に無いし、なんにも思い出せないし。混乱しすぎて頭が働かない。一体これはどういうことなの。
 そしてもうひとつ。その存在を確認出来ていても、どうしても認めたくなくて気づいていないフリをしていたものがあった。
 見間違いに決まってる、っていうかこれ夢だし。何かのきっかけで目が覚めたらたぶんきっと、私はちゃんと自分のベッドの上に居るはずなんだ。必死にそう思い込んでみても、何も纏っていない肌の冷たさがこれは現実であるということを教えてくれる。だめだ、やっぱりこれ、夢じゃないのかもしれない。
 目を逸らさずに改めてそれを、自分以外にこの部屋に存在するもうひとりの人物をまじまじと見つめる。そう、今まで私が寝こけていたそのベッドには、どう見ても男性の骨格をした人物がすやすやと寝入っていたのだ。
 この状況から推察できること。それは認めたくないが、認めたくないどころかやっぱり夢であれと願わずにはいられないけれど、たったひとつである。
 しかし、当たり前だがにすぐには受け入れることが出来ず、とりあえず動揺により上がった心拍を整えるために深く深呼吸することにした。
 こちら側に顔を向けながら、うつ伏せの状態で眠っている男性のどこかあどけない寝顔を注視する。短めの黒髪と、意志の強そうな太い眉毛。背中は広く、剥き出しの肩なんかはすごくガッチリしていて、二の腕なんかも逞しい。なんかこう、うまく言えないけれどなんとなく硬派な印象を受ける。
 何度脳みその中を検索しても、こんな正統派男前な見てくれをした男性の知り合いなんていない。ああもう、いったい誰なのよこの人は!
 思わず叫び出しそうになるのを必死に堪えながら、彼を起こさないようにゆっくりとベッドから這い出る。その床の上には、脱ぎ散らかした自分の下着やらなんやらが思いっきり落ちていて、じわじわと感じていた頭の痛みが猛烈に増した。
 冷静になるべく拾ったショーツを履いて、ブラを付けながら昨日の記憶を遡る。床にほっぽってあったパーティー用ドレスを引っ掴んだら、急に記憶が蘇ってきた。
 そうだ、昨日は学生時代の女友達の結婚式に出たんだった。

「あんた、大学出てもうだいぶ経つでしょ。こっちの子はみんな結婚しちゃってるわよ」

 そんな母の言葉が脳内で蘇る。そのせいで、先週はずっとモヤモヤしていたのだ。
 結婚が全てじゃない。そう思っていても、母からの電話で投げられた言葉は、思いのほかグッサリと私の心に突き刺さっていたらしい。時々連絡が来たと思えばいつもこうだ。元気なの、最近どうなの、に続く言葉はいつだってこれ。本当に嫌になる。
 忙しいけれど、仕事は楽しくてやりがいがある。なんやかんやで毎日充実していると思う。周りにも恵まれているし、なんでも相談できる友達だってちゃんといる。それなのに、いつだって忘れた頃にそんな電話が掛かってくる。
 結婚式と披露宴のあとで二次会に出て、それから調子に乗ってそのまま三次会に出たところまでは記憶があるけれど、そこから先がすっぽりと抜け落ちてしまっている。
 このホテルに入った記憶はもちろん、眠るまでに何があったかなんてこと、ちっとも覚えていない。こんなに最悪な目覚めは人生で初めてだ。こういう時ってどうしたらいいんだろう。とりあえず、ホテル代だけ置いてさっさと部屋を出てしまうのが正解な気がしてきた。
 ピピピ、とさっきも聞いたような音が耳に届いたのはそんな時だった。
 小さな悲鳴を上げた私は、掴んでいたドレスで体を隠すように覆いながら、背中を壁にぴったりとくっつけて金縛りに遭ったみたいに硬直する。眠っていた彼が低く呻いて、もぞもぞと動き出す。鳴り続ける電子音はおそらく彼の携帯から発されているものだろう。
 どうしよう、どうしようどうしようどうしよう。動かなきゃいけないのに全然動けない。
 小さく呻き、眉根を顰めながらゆっくりと目を開いたその人は、先程の私のようにゆっくりと手を動かして携帯を探すような動きを見せる。きっと私もあんな動きしてたんだろうな、と他人事みたいに傍観してしまうが、やはり動けずに立ち尽くしたままである。
 ようやく携帯を見つけてアラームを止めたその人は、そのがっしりとした体をゆっくりと起こしてぐいっと目元を拭い、まばたきをひとつ。そのあとで、見る見るうちにその双眸が驚愕したように大きく見開かれていった。
 あれ、ちょっと待って。その表情ってまさか、この人もなんてことは。

「ど、どこだここ……」

 誰かに答えを求めるわけでもなく、ちょっぴり掠れたような低めの声で発された言葉。彼の発したその言葉の意味は、まさしく私の想像通りのものだったわけで。
 その人は私の存在に気がつくと、信じられないものでも見るかのようにその視線を動揺で震わせた。しばらくあんぐりと口を開けていた彼は、ハッとした様子で布団の中を確認すると、数秒後に盛大なため息を吐き、頭を抱えて動かなくなってしまった。彼のここまでの行動は、笑えてくるほど寸分違わず先程の私と一緒だった。

「……わりぃ、オレ全然記憶ねーんだけど」

 いつの間にか顔を上げた彼の視線がこちらに向けられていて、その言葉が私に向かって発されているということに気がつくまで、しばらく時間がかかってしまった。

「その、とにかく悪かった」
「ええと、あの……実は私も覚えてなくて」

 ぱちくりと何度かまばたきを繰り返した彼の眉間に、見る見るうちに深いシワが刻まれていく。マジかよ、と呟いたその人の言葉を肯定する意味でこくんと頷いてみせてから、覚えている限りの流れと、目が覚めたらここにいたのだということを伝える。

「オレも式終わってそっから何軒か回ったのは覚えてっけど、その先の記憶全然ねえわ……」

 彼と会話をしていたら、なんとなく朧げだった記憶が少しずつ、断片的に蘇ってくる。二次会で席の近かったこの人と会話が弾んで、そのまま何人かで三次会に行ったんだ。
 そのまま、羽目を外して飲みすぎたに違いない。制御出来ずにキャパを超えるほど飲んで、記憶を失った上に大失態を犯した自分がもちろんいちばん悪いけれど、母親からの電話のタイミングの悪さだって少しは関わっている気がする。
 いい年齢になったのにこんなのって、今さら黒歴史積み重ねちゃうって一体どういうことなの。学生の時だってこんな経験したことないんですけど。

「……ちょっと思い出してきた、アンタ二次会に居たよな? 喋ったのなんとなく覚えてる」

 穴の空いた記憶をお互いに共有し合っても、三次会以降の記憶はどうしても蘇ってこない。

「あの、でもただ酔っ払って寝ちゃってただけかもしれないですし」

 そう言ってはみたものの、いい大人が二人して素っ裸でそんなことあるもんか、と自分の中にあるリアリストな部分がそれを否定してくる。彼は私の言葉を聞くと目を細め、ふるふると力なく首を横に振り「こっち側によ、ゴミ箱あんだけど」と力なく声を発した。

「使ったっぽいゴム、捨ててある」

 あちゃあ、なんてこった、そうですか。なんとなく、というかもうほぼ100パーセント事後なんだろうなとは思っはいたけれど、ああ、でもどうしよう。現実なのに、自分のことなのに、やっぱり悪い意味で夢みたいだ。こんなこと本当にあるんだ。
 脳みそは、もうすっかり思考することを停止してしまっていた。認めるしかない。覚えてないのに、それを裏付けする証拠がちゃんと残っている上、状況から見ても間違いない。

「しかも二個」
「いいです、個数まで言わなくて」
「だめだ、頭働かねえ」

 とりあえず、今の私たちがしなくちゃいけないことは。

「あの、まずは服、着ませんか……?」

 かたや下着だけを着けた状態、かたやベッドの中で生まれたままの姿である。これじゃあ落ち着くものも落ち着くはずがない。彼よりもほんの少しだけ早く目覚めた私の方が、まだ少しだけ冷静な気がする。
 自分がなにも纏わない姿であることすら忘れていた様子の彼が「あ、ああ、そうだな……」と声を発したのを聞いてから、私は壁に背中をくっつけたままシャワールームへと移動する。
 パタン、と扉を閉めたあと、その場にしゃがみ込んで絶叫したい気持ちをなんとか必死に堪え、昨日着ていたパーティードレスをもう一度身に付ける。
 脱いだ記憶も脱がされた記憶も全くないけど、こんなこと起きちゃうものなんだな。頭の中が整理されて冷静になってくると、これはもう仕方ないと思うしかない境地に達して来た。
 うん、この失敗を生かしてお酒には気をつけるようにしよう。普段もそこまでガブ飲みする方ではないけれど、今後しばらくはそういう場でもウーロン茶を選ぶようにしよう。そう無理矢理明るく前向きに考えでもしないと、とてもとても今日という日を、始まったばかりの今週という一週間を、そしてこれからの毎日を乗り越えられる気がしない。
 よし、時間もない。急いで家に帰って着替えを済ませて仕事に行かなきゃ。
 意を決してシャワールームを出ると、既に支度を終えていたらしい彼が、ベッドサイドに座っていた。私の姿を認めた彼は、立ち上がって気まずそうに「これ」とメモのようなものを手渡してくる。

「それ、オレの連絡先。なんか……その、少しでも体調面で変わった事があったら連絡くれ。ちゃんと責任は取る」
「へ……? あ、ええと、でもその、ちゃんと付けてくれてたみたいですし」
「わかんねーだろ! とりあえず持ってろ」

 あれ、なんかちょっとカオ赤くなってるし。なにこの人、おっきい図体してるのにこんな感じなんだ。っていうか、こういうことがあったら、男の人ってさっさと逃げちゃうようなイメージだったんだけど。
 有無を言わせない剣幕に気圧され「わかりました」と電話番号が書かれたメモを受け取ると、彼はほっとしたようにその表情を緩ませた。
 一緒に部屋を出て、無言のエレベーター内の気まずさといったらなかったけれど「もうこうなっちゃったものは仕方ないし」と無理やりに思い込んで何とか昇華してしまうことにした。
 同じ失敗を二度繰り返さなければいい。誰かに見られたり知られたり、自分たち以外の誰かに迷惑をかけたわけでもない。自分がめちゃくちゃ恥ずかしいだけで、しばらくは思い出すたびに暴れ出したくなる程度の大失態を犯しただけだ。
 携帯で位置情報を確認をしてみたら、この場所は式場からほとんど離れていなかった。家まで電車なら二十分、帰ってシャワーを浴びて着替えて、なんとか一時間で家を出られたら、ギリギリだけど始業時間には間に合うだろう。
 それじゃあ、とホテルの前で向き合ってから軽くお辞儀をする。事の記憶がないせいか、こうしているのが余計に不思議な感じだ。

「お互い、これからはお酒に気を付けましょうということで」
「おう。……あと、マジでなんか有れば遠慮なく連絡してくれよ」

 念を押すように言ったその人の表情があまりにも真っ直ぐで誠実だったから、おかしくなってほんの少し自分の頬が緩むのを感じた。
 やっぱり悪い人じゃなさそうだ。まあ、もう二度と会うこともないだろうけれど
 もう一度お辞儀をしてから、駆け足で駅へと向かう。まだ始まったばかりの月曜日。既にびっくりするほど疲れたけれど、さっさと頭を切り替えないと。
 今は繁忙期で、スケジュールは分刻み、仕事は山盛り御礼。空いた時間があればきっとモヤモヤしてしまうから、忙しい時期でよかったと今回ばかりは心底思う。


 ***


 ギリギリセーフでビルのエントランスを潜り、混み合うエレベーターになんとか乗りこんだ。
 総務部内に用意されている二つ並んだ個室のひとつに、私のデスクがある。部屋の中にはソファーと机と椅子。それと、訪れた社員がよりリラックスして会話出来るように設置されているリクライニング付きのチェアー。まあ、実際にはあまり使われていないのだけど。
 デスクに座ってほっとしたら、自分の口から盛大なため息が飛び出した。だめだ、やっぱり週の始めの憂鬱と、朝の、というか昨日の大失態のあれそれで既にもうかなり疲れきってしまっている。だいぶヒットポイントが削られているのがわかる。自販機でエネルギードリンクでも買ってこようかと思ったが、本日最初の面談予約までに時間の余裕はあっただろうか。
 とにかくパソコン立ち上げなきゃ。コンコン、と部屋の扉が叩かれて、慌てて「はい!」と返事をする。時刻はちょうど始業時間の九時を回ったところである。
 こんな初っ端から予定いれてたっけ? 全然確認できてない!

「名前ちゃん、おはよう……ってあらあら、ひどい顔してるわね」

 そう言いながら部屋に入ってきたのは、同僚であり大先輩である隣の第一カウンセリングルームの主、サチ子さんだった。
 五十代半ばの大先輩のいつも通りのほんわかとした雰囲気に、余裕のなかった心が一気に緩むのを感じる。うちの母親と同じぐらいの年代の彼女に対して「この人が私の母親だったらよかったのに」と何度も思ったことがある。現に今もそんな事を考えていた。雰囲気があたたかくて、言葉が柔らかくて聞き上手で。私が仕事を頑張れる理由のひとつが彼女の存在である。

「うええ、サチ子さん……!」
「はいこれ、コーヒー淹れてきたから飲んで落ち着いて。パソコン点けた?」

 名前ちゃんが般若みたいな顔でバタバタ部屋に入っていくの給湯室から見えたのよ、と言いながら朗らかに笑うサチ子さん。般若みたいって、私そんなに凄まじい顔してたんだ。
 渡されたコーヒーに口を付ける。ミルクだけの砂糖抜き。程よい苦味が喉を通り、とっ散らかっていた頭と心をリセットさせてくれたような気がする。自分では上手く切り替えたつもりでいても、実際はそう簡単にいかないものだ。

「……落ち着きました、ありがとうございます。ちょっと朝からバタバタしてて」
「月曜日だもの、色々あるわよね。名前ちゃんさえ良かったらランチでも行かない?」

 その提案に「お願いします!」とものすごい勢いで食いつくと、サチ子さんはそれじゃあ後で会議依頼飛ばすわね、と聖母の如く微笑んだ。
 消えないモヤモヤを自分の中でひたすら抱え込んでいるよりも、信頼できる誰かに吐き出して「やらかしちゃったね」って笑ってもらえた方がスッキリするに違いない。
 それじゃあ午前中頑張ろうね、と出て行くサチ子さんの背中を見送ってから、もういちど淹れたてのコーヒーを一口啜る。なんだかものすごく頑張れるような気がしてきた、これはエネルギードリンク要らずだ。
 パソコンのモニターを確認すると、最初の予約は九時十五分だった。この十月に支社から本社へ異動してきた人物らしい。ええと資料資料、と積まれたファイルを漁りながら、なんやかんやでいつもどおりの日常が始まったことに、ほっとしている自分がいることに気づく。
 サチ子さんにランチで昨日の失敗を暴露して笑ってもらう。そんな楽しみができたから、忙しくたって月曜日だって、なんとか乗り切れる気がしてきた。
 どこのランチに行こう、洋食か和食か。そういえば今朝はドタバタしていて胃に入れていないので、空きっ腹が今にも悲鳴を上げそうだ。最初の面談が終わったら少しだけ時間が空くし、急いでコンビニに行ってこよう。
 そんな事を考えていたら、扉がノックされる音が耳に届く。ちょうど見つけた資料を引っ掴みながら「どうぞ!」と声を掛ける。

「失礼します。十五分からお願いしていた三井と申しますが……」

 ソファーにどうぞ、と声を掛けてから顔を上げる。その瞬間、私の喉から出てきたのは空気が抜けるような「ヒュッ」という音だった。
 手の力が抜けて、持っていたファイルを床に落としそうになる。寸でのところでそれを堪えたけれど「うそでしょ……?」という声だけは抑えきれなかった。
 一方、今この部屋に入ってきた彼の方も驚愕に目を見開き、ドアノブを掴んだまま硬直してしまっていた。その表情はあの時と、そう、今朝のそれと全く同じものだった。

「な、なんで……?」

 そこに立っていたのは、つい二時間と少し前にホテルの前で別れたばかりの彼だったのだ。


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