若草の 4




 どうして、と問いたいのは凌牙の方だ。
 共に生きる未来がないのなら、せめて、共に死にたいと願ったのに。
「俺は何も変わらない!何も変わってないんだ!」
 遊馬は、情交の痕の色濃く残る身体を起こしてそう叫んだ。
 変わっていない。
 遊馬は、身分が変わる前と何も変わっていないと、そう言うのだろうか。
「なら何故、俺を遠ざける。」
 立場が変わる前の方が二人の物理的な距離は遠かった。
 農家の子は子供とは言え労働力であり、鍛錬だ勉学だとフラフラしている余裕などそうはない。数日置きに会えればいいほう、一晩を過ごせるなど月に一度あるかないかだった。
 今は寝食を共にする位置にいるのだ。
 二人きりの時間もかなりある。
 遊馬が変わっていないというのなら、ならば何故、いつもと同じように、凌牙に笑いかけないのだ。いつもと同じように身体を添わせないのだ。
 凌牙は、遊馬の傍に仕えるようになってから、自分に笑いかける笑顔を見た覚えがない。
「変わっちまったのはお前じゃないか!なんで俺なんかに頭を下げるんだ!なんで俺に、俺にかしこまった、よそよそしい言葉で話しかけて!仕事以外で俺に触りもしない!俺に!………俺に何もしなかったじゃないか……」
 頬を真っ赤に染めて消え入るようにそういう遊馬を見て、凌牙は頭が痛む思いだった。実際痛むような気さえした。
 身分と言うのは、例外を作るなら上の身分からでしか行えない。
 遊馬に二人きりのとき対等に話すことを許したのは凌牙で、遊馬に閨で対等に振舞うことを許したのも凌牙だった。
 『許す』権利は常に上の身分のものにしかない。
 下から崩そうと思えば、それは関係自体を崩そうとする時しかないのだ。
 遊馬が凌牙の上に立った今、その権利は遊馬にしかないというのに。
 底辺とも言える場所で育ったこの子供にはそんなこともわからないのだろう。

 お前が許さなければ、俺にはお前に触れる権利すらないのに。
 
 ぞくりと凌牙の背を這い上がるものがあった。
 ただ愛しいと思って抱いていた時には感じなかった、愉悦が凌牙の中を這い回る。
 本来ならば、触れることすら許されない。
 その場で手打ちにされてもおかしくない所業を主君に行ったというのに、その当の本人が、陵辱の残滓をぬぐいもせずに、何故今まで触れてくれなかったのかとなじるのだ。
 征服欲か、保護欲か、なんとも判断のつかない。
 だが、そう、本当の意味で遊馬は変わっていなかったのだと、凌牙には理解できた。
 家中の者は誰一人お前より上のものはいない。
 お前に命令できるものなどいない。
 遊馬は頭で理解していながら、長年染み付いた下層のものとしての心では理解していないのだ。
 危ういな、と凌牙は思った。
 こんな様子ではなんの拍子に隙を見せてしまうかしれたものではない。
「すまなかった。」
 凌牙は、そうやさしく語りかけ遊馬を腕の中に抱きしめた。
「うるせぇ、凌牙が俺にひでぇことするなんて最初からだろ!」
 そう言う遊馬の声は、どこか嬉しげでもあった。
 まだ空を飛ぶことを知らないひな鳥のようなお前を。
「俺はお前と、共に生きたい。」
「ああ…ああ!俺もお前と生きて行きたい!」
 お前が飛び立つ前に俺の腕の中に繋ぎとめる。
 


「なあ、自分でできるって。」
 もじもじと居心地悪そうな遊馬に動かないよういいつけて、凌牙は遊馬の全身を清めた。近くに清流があったので布を浸して身体を念入りに清めた。
 一枚ずつ、丁寧に着物を着せつけ、しゅるりと紐で結んでいく。
「若君、動かぬように」
「またそういう…二人のときくらい普通にしゃべったっていいじゃねぇかよ。」
「どこに目があるとも知れません。油断なさらぬように。なあ、遊馬、こんな風に気安く話すのは俺だけにしておけよ。お前がおもう以上にこの世界は汚いんだ。」
「凌牙が傍にいてくれれば、他は必要ねぇよ!」
 そう屈託なく笑う遊馬に、凌牙も口元をほころばせた。
 それを見て遊馬が更に嬉しそうに笑った。
 他の誰が、この間に入るのも許さない。
 遊馬は絶対誰にも渡さない。
 誰にでも認められるような、欠点すら愛されるようなそういう主君に育てよう。
 今はまだ羽も揃わぬひな鳥でも、いずれ一国を覆うほどの羽を持つ鳥になる。
 だがその鳥は常に凌牙の腕の中で眠るのだ。
 もし遊馬が現れなければ、この一国は凌牙のものになったかもしれない。
 だが、一国を手に入れるのも、遊馬を手に入れるのも、同じ意味ではないか。

 身分も時代も引き裂けない。


 何が起ころうとも、俺はお前の傍にいる。

 お前と生きる。




 お前を手に入れる。



「さあ、戻りますよ若君。」
「ちょっと、待てって……」
 久々に無理やり男を受け入れた身体では、あちこちに違和感があって、歩きずらい斜面を上手く下れない。
「女子のように、抱いて降りて欲しいのですか?」
 誰の所業のせいだと問いたくなるような意地の悪い笑顔で笑う凌牙に、遊馬は低い声で言い放つ。
「僭越(せんえつ)だぞ、凌牙。」
「これは、失礼を。」
 慇懃(いんぎん)に頭を下げる凌牙に手をとってもらい、遊馬は斜面を降りた。
 これから、また二人の関係は変わるのだと思う。
 でも変わらない、変わりたくないものが一つある。
 遊馬は、不敵な笑みを浮かべる凌牙の横顔を顔を見て思った。


 ああ、これが俺の愛した男の顔だ。









一度書いたものを「これヘタレシャークだわ」と抹消して書き直しました。
最後にエピソードが一つ続きます。
(121107)


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