はじまりの夜

 このまま、ふたりで。
 このまま、いつまでも。
 空の旅をしながら、そう願ってやまないぐらい、レオナルドは出会ったばかりの男に恋をしていた。
 
 目元に付けた青が、温かい風になびく。
 流れる満天の星空と、追いかけてくる大きな月は見飽きることはなくて、レオナルドはそっと目を細めた。
 全身で感じる外の香りは何もかもが新鮮で、あまりにも美しい。
「綺麗だろう?」
 城の外に出たことがほとんどない。
 伏し目がちにそう言ったレオナルドを連れ出した兎は、ランプの魔神から与えられた空を飛ぶ絨毯の上でレオナルドに笑いかける。
「ええ、とても」
 兎の穏やかな微笑みにつられるように、レオナルドも満足そうに笑う。だが、すぐに視線が外れ、見たこともない景色に気を取られていた。
 レオナルドの瞳は、降ってきそうなほどに満天の星空をじっと見つめたり、絨毯の下を走る街並みを見下ろしたり、のんびりと空を泳ぐ雲を眺めたりと忙しい。それでも、瞳の輝きを見れば、とても楽しんでいるのがよく分かる。兎は安堵の息を小さく吐き出した。
 国の政や城内のしがらみ、将来の夢と不安を一度に抱えたレオナルドには、兎が与えた短い空の旅は良いストレスの解消だった。
 それだけでなく、父であるスプリンターに突然に紹介された兎への警戒も緊張もほどけている。
「レオ」
 短く名前を呼ばれ素直に兎の方を向くのは、レオナルドなりの信頼の証だった。
 もっと、このひとと一緒にいたい。
 警戒するどころか、むしろ溢れてくる愛おしさが止まらず、戸惑ってしまうほどレオナルドは兎に惹かれていた。
「好きだよ」
 だから、兎の溶けそうなほどに熱い瞳に見つめられながら呟かれる愛の言葉と、自分の手を優しく握るふくふくの手を振りほどく気にはとてもなれず。
 
 触れる唇を拒否する理由も、レオナルドは見つけることが出来なかった。
 
 ***
 
 空の旅を終えてレオナルドの部屋へ戻ってきたとき、兎は確かに彼を送り届け、その場を離れるつもりだった。今夜は何もする気はない。それはあくまでも今夜に限った話ではあるが、まあとにかく今夜だけは、兎はレオナルドに口付け以上のことをする気は無かった。
 そのつもり、だったのに。
「……朝まで、一緒がいい……です」
 けれど、着物の袖を控えめに摘んで、赤く染まった頬を誤魔化すように俯いたレオナルドの精一杯のお誘いを、兎がまさか断れるはずもなく。
 レオナルドに手を引かれるがままバルコニーから窓をくぐり、部屋に入り戸締りをした瞬間、あまり保つつもりも無かった兎の理性の糸は小さな音を立てて、ぷつん、と簡単に途切れてしまった。
「……レオ、」
 求めるように呟いた兎の声に、もう理性なんてものは欠片もない。赤い瞳は情欲を隠すことなく光り、そのままレオナルドを捕まえた。
 腕を掴まれて引き寄せられる。抵抗できないほどに強すぎる力と、柔肌に爪が喰い込むほど握られた手から伝わる雄に、レオナルドは若干の恐怖が芽生えた。
 もしかしたら、とんでもないことを口走ったかもしれない。
 レオナルドがほんの少しだけ後悔をした頃には既に兎に捕らえられていた。捕食者のようにぎらついた兎の赤は、もう遅いと語っている。
 逃げられないと悟り、ひゅ、とほんの少し怯えた呼気を出したかと思えば、レオナルドは兎の唇で口を塞がれていた。
 ついさっきの、触れるだけの可愛らしい口付けとは違う。欲を押し付けるような、それでいて激しく求めて縋るように舌を絡めてくる兎を、レオナルドは精一杯に受け入れた。
 そうして深い口付けを交わしながら、兎とレオナルドはベッドへとなだれ込む。
「……ん、んぅ」
 くぐもった声が聞こえて、兎はようやく唇を離す。
 見下ろした先には、腕を押さえ付けられながら唾液で口元を光らせ、荒く呼吸をするレオナルドがいた。
 思わず再び唇に噛み付いて、貪るように舌を絡め、また離す。何度も繰り返すうちに、レオナルドの身体からは次第に余計な力が抜けていった。
 怯えた様子はない。かわりに、兎が舌で口内を掻き混ぜると全身がびくびくと跳ねて、声が漏れる。
 兎さん、兎さん。と、呼吸の合間に呼ぶレオナルドの声が健気で、兎の胸を締め付けた。たまらない。可愛くて仕方がない。止まらない。
 衝動のままに、兎はレオナルドの脚の間に滑り込むと、唇を離し、腕も解放してやってから、レオナルドの目元に手を添えた。
 もっとよく顔が見たい。昂った兎の独占欲は止まらなかった。
 青い布と目元の間にするりと指を差し入れて、ゆっくりと、焦らすように外していく。
「……ぁ」
 広がった視界の中で兎と見つめ合い、レオナルドの心臓が一際大きく震えた。肩がびくりと跳ねて、硬直したまま兎を見上げる。
「……怖いか?」
「ぃや、あの、……そうじゃ、なくって」
 確かに。レオナルドの歩んできた人生の中で今夜はあまりにも色んなことがあったし、これから更に、経験したことのない世界を知るのだから、多少の恐怖はある。
 けれど、レオナルドにとって、心配そうにレオナルドを気遣う兎のことを愛おしく思うならともかく、怖いはずがなかった。
 そうではない。弱弱しく首を横に振るレオナルドに、兎は首を傾げる。
「……ふ、ふたりきり、が、……いいです」
 一呼吸おいて、さらしたばかりで裸の目許を手で隠しながら、頬どころか首元まで赤く染めたレオナルドの言葉が理解できず、兎はさらに首を傾げた。
「充分、ふたりきりではないか?」
 きょろきょろと辺りを見渡しても、窓が開いているわけでもなければ、部屋の扉もぴっちりと閉まっている。空飛ぶ絨毯やランプの魔人ですら、気を遣って姿を現さない。
 広い部屋で呼吸をしているのは、ベッドにいる兎とレオナルドだけだった。
「だから、……それを」
 それ、と。レオナルドの羞恥で震える指先を目で追いかけて、ああ、と兎はようやく合点がいったと表情を緩ませる。
 そして、兎とレオナルドが乗ってもまだ余裕がある広すぎるベッドの天蓋から、とろりと垂れる薄い生地のカーテンに手を出し、纏める紐を引いた。
 軽い音を立ててカーテンが広がり、きっちりと閉めてやれば、ベッドだけが世界から切り取られた空間のような、そんな錯覚すら覚える。
「これでよいか?」
 見下ろした兎を見つめて、レオナルドは嬉しそうに笑う。
 なるほど。ふたりきりとは、こういうことか。
 合点がいくと同時に、あまりにいじらしいレオナルドのお願いが可愛くて、兎の胸は愛おしさでまた締め付けられてしまった。
 レオ、と。愛おしさが溢れるままに呟けば、レオナルドは蜂蜜色の瞳をとろりと溶かして兎を見上げる。
 カーテンで閉鎖された空間は、余計にお互いの独占欲を刺激していた。
 溶けそうなほどに熱く赤い視線を身体中に浴びるのが、この空間で自分だけなのだと感じるほどにレオナルドの胸は鼓動を速めて、緑の肌が赤く染まり、しっとりと汗ばんでいく。
 赤く染まる首筋に触れて、白い指をゆっくりと、毛並みで擽るように鎖骨へずらしていけば、レオナルドの身体は大きく跳ねた。
 つい今朝まで無垢な少年だったレオナルドは、既に兎が与える快楽がどういうものなのかを覚え始めている。
「……兎さん、」
 匂い立つほどの艶やかさが、兎の鼻を刺激する。
 くらくらと眩暈がして、どうにもたまらず、兎は伸ばされたレオナルドの手に指を絡めた。
「レオ」
 
 呼び合うほどに独占欲が刺激されて、惹かれ合うふたりきりの夜は。
 ベッドの上で、ゆっくりと更けていくのだった。
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