逃走失敗

 何もかもから、逃げたい時もある。
 ニューヨークでのあれやこれやとか、こちらでのあれやこれやとか。兄弟とか、家族とか、恋人とか。
 使命や、運命。それらのしがらみから逃げ出して、独りになりたい時も、レオナルドには、あった。
 兄弟が嫌とか、恋人と別れたいとか、そういうことではなく。遊び盛りのティーンエイジャーだからということでもない。どちらかと言えば、ストレスに弱い現代人のティーンエイジャーだからこそ、というところだろうか。
 とにかく。ただ、一瞬でもいい。
 レオナルドは、独りになりたかった。
 ニューヨークでは、独りになれる場所はない。下水道にはドナテロの頭脳が張り巡らされているし、いなくなったと分かれば、そのうちに心配性な兄弟の大捜索が始まってしまう。
 とはいえ外に出ても、いつ天敵にめぐり合って襲われるか分からない。
 レオナルドが選んだのは、結局、彼のところだった。
 だが。レオナルドは独りになりたいのだ。今回は、恋人に会いに来たのではない。
 ニューヨークに疲れただけであれば、ここへ来て、少しの間を恋人と過ごせば、それだけで良かった。しかし、今夜はそうではない。
 どうしたものか、と。レオナルドは、兎の寝顔を見ながら考える。
 何もかもを忘れたい。一瞬でいいから。それには、ニューヨークを支配しようと企む天敵との戦いのことはもちろん、家族や、兎のことも含まれていた。
「……そうだ」
 逃げたいのなら、逃げてしまえばいい。レオナルドは起き上がって、名案だと瞳を輝かせた。
 ここはニューヨークではない。兎は隣で寝ている。今が、絶好の機会というものではないだろうか。
 もちろん、帰ってくる。そのときには、元のレオナルドに戻っているつもりだ。
 だから、どうか今だけは。
(……ごめんね、兎さん)
 独りになるために、恋人を利用したようなものだ。こんな思惑が知れれば、兎が怒らないわけがない。
 けれど、仕方がない。心の平穏のためだ。
 布団の中で眠る恋人を起こさないよう細心の注意を払い、心の中で謝ってから、レオナルドは仕方がない、と自分に言い聞かせ、部屋の障子を音もなく、静かに開けた。
 
 ひたり。
 暗く長い真夜中の廊下の床に、レオナルドの素足が降りる。
 ひたり、ひたり。
 音を立てないように、冷えきった廊下を忍び足で歩いていく。耳の奥に響くのは、レオナルドにしか聞こえないほどの小さな足音だけだった。
 何度か後ろを振り向いて、白い毛並みがいないか確認するが、その度に闇が広がっていることに小さく安堵し、また歩いていく。
 何事もなく。宿の玄関口まで辿り着いた。あとは、目の前の引き戸を開けさえすれば。ニューヨークでの使命からも、長男であり、リーダーであるというプレッシャーからも。恋人からも。全ての支配から、ひと時でも逃げ出せるのだ。
 こみ上げる大きな安堵に、レオナルドは一瞬だけ気を緩め、引き手に手を掛けようとした。
「レオナルド」
 引き手に手を伸ばしたレオナルドよりも先に、後ろから、恐れていた白い毛並みを持った手が、押さえつけるように触れる。かたん、と。建てつけの悪い引き戸が、僅かに揺れた。
 レオナルドは、一応、忍者である。音も無く部屋を出て、廊下を歩き、細心の注意を払ってここまできた。背後の気配を気にしながら、ここまでやってきたのだ。
 まさか、真後ろの気配に気が付かないなんて。そんなことはありえない。
「レオナルド、何処へ行こうと言うのか」
 こんな夜更けに。
 地の底から、ゆっくりと冷たく這い上がるような声が、レオナルドの甲羅に纒わり付いた。
 振り向かなくとも分かる。
 声の主は、兎であると。
「ぁ……ぁ、ぁの、すこし……かわや、へ」
 掠れた声でようやく吐き出したのは、明らかに言い訳である。けれど、レオナルドはここで諦めるわけにはいかなかった。もし、何かの奇跡が起こって、この言い訳が通れば。兎が部屋へ戻ってくれさえすれば、今夜の目的は達成できる。
 お願いします、どうか、どうか。
 レオナルドは僅かな希望をかけて、震えながら強く瞳を閉じた。
「ほう。厠か」
 兎からしてみれば。
 ここでレオナルドが素直に部屋へと戻るのであれば、特に何かをしようとは思わなかった。
 けれど、けれどだ。
 レオナルドは黙って兎の元を離れようとした挙句、さらに、明らかな嘘をついて見せたのだ。
「おかしいなぁ、レオナルドよ。ここは厠ではないのだが」
「ぁ、……ぇえっと、ま、まちがぇ、て……」
 それでもなお、言い訳をするレオナルドに、兎の堪忍袋も限界であった。
「そうか、間違いか」
「……ひ、……ぁ、あの、ごめんなさ、」
 力の加減なく、兎がレオナルドの腕を掴む。その痛みに、レオナルドは反射的に謝罪の言葉を漏らすが、既に遅かった。
「では、俺が。案内してやろう」
 明らかな怒気を隠そうともしなくなった言葉と共に、レオナルドの身体が兎に引っ張られる。
 兎は、レオナルドよりも、少しばかり小柄である。だというのに、恐怖で硬直しているとはいえ、片腕だけでレオナルドの身体を引き摺るように歩いていってしまう。
 強く掴まれた腕が、折れるのではないかと。そう錯覚するほどに、痛んだ。
「ぅさ、兎さん、まって、」
 痛いから、どうかやめてくれと。レオナルドは引き摺られながら兎を見つめる。
 けれど、冷えきった赤い瞳に、喰われてしまうのではないかと、ようやく身の危険を察知したレオナルドは、弱弱しくも抵抗を始めた。
「……ぃやだ、誰か、」
 このまま部屋へ押し込まれては、レオナルドの身の安全は保障されない。だって、どう見ても。兎は尋常ではないほどに怒っている。
 それでも兎はレオナルドを引き摺り、ついに、先程レオナルドが抜け出したばかりの部屋の襖に手を掛けた。
 勢い良く開いた襖と、冷えきった部屋の温度に、レオナルドは最後の抵抗のために、兎に背を向けて、這ってでも逃げ出そうと廊下に爪を立てる。
「だ、誰か……! おねがい、たす、助け、」
 声を張り上げた筈なのに。宿の廊下は、まるで誰もいないかのように静けさと闇が広がっていた。誰ひとり、何事かと顔を出す気配もない。
 なんで、どうして。
 誰もいない筈がない。なのに、この暗闇からは、むしろ、ひとの気配すら。
「……強情な小僧だな」
 侮蔑を含んで、小さく舌打ちをしながら兎が吐き捨てた言葉に、レオナルドはびくりと動きを止める。
 闇に光る赤く冷たい瞳に見下ろされ、生まれて初めて、レオナルドは兎が心底恐ろしく感じ、歯をかちかちと鳴らしながら震え上がった。
 基本的に、兎はレオナルドに甘い。いつも穏やかで、レオナルドを優しく大きな愛で受け止めてくれる。その姿に嘘はない。レオナルドが兎と共にあろうとする限り、兎がそれを裏切ることはなかった。
 今回のことは、勝手なことをしたレオナルドに非がある。
 兎を、置いて行こうとするから。兎が腹を立てる理由は、このひとつだけだった。
 レオナルドが何処へ逃げようと、兎はどんな手を使ってでも見つけ出し、追いかけることができる。その自信があった。
 けれど、そういう問題ではない。どれだけ穏やかだと言えども、兎とて、感情がある。
 だからつまり。至極単純ではあるが、気に喰わなかったのだ。
 ひと言の説明があるのならばともかく(あっても首を縦に振ることはないが)、何も言わず、ひっそりと逃げ出そうだなんて、腹が立って仕方がない。
 レオナルドが抵抗を見せる度、兎の機嫌は悪くなっていく。
「さて、レオナルド」
 ぴしゃりと音を立てて、レオナルドの希望と共に、襖が閉じられる。
 それでもなんとか逃げ出そうと、今度は畳に爪を立て始めたレオナルドの首根を思いきり掴み、布団へと放り投げた。
「仕置の時間だ」
 憎らしいとはいえ、ここで罰とは言わず、仕置であると言ったのは。
 ひとえに、兎がレオナルドを好いているからだが。
 レオナルドは、恐怖でそれどころではなかった。
 
 
 
「うあ、あああっ ゃだ、やだぁ」
 がつがつと、何度も何度も最奥を突かれて、絶頂から降りてこられない苦しみが、絶えずレオナルドへ襲いかかる。
 腹を汚すのは、先走りなのか、精液なのか。
 感じているのは、脳天まで貫かれているのではないかと思うほどに激しく動く兎の性器になのか、それとも、ぐちゃぐちゃと白いふくふくの手で擦られている自分の性器になのか。
 何なのか、もう、判断ができなかった。
「う、うひゃぎ、ひゃ、ああっ」
 苦しいから、やめてくれと懇願するように。レオナルドは弱弱しく首を横に振るが、兎はそれに冷たい視線で応え、さらに激しく腰を揺すり、レオナルドを攻め立てる。
「ぁがっ! ひぃ……やら、やらぁ、こわれっる」
「壊しはしない」
 ミュータントの身体というものは、ヒトよりも頑丈で、無理が利く。やり過ぎれば確かに壊れてしまうが、兎は、その絶妙なバランスを崩さないように、また深くまで犯していく。
 レオナルドの意思など、もはや、汲まれるはずもなかった。
「ひあっ ぁ、んああっ……もう、ゆるひ、てっ……ゆるひて、くらひゃ、」
 全身で許しを乞いながらも、レオナルドは快感に震えながら、達する間隔が狭くなっていく。
 苦しいけれど、気持ちがいいのだろう。
 そんなレオナルドを見下ろしながら、兎は支配欲と愛おしさと、まだおさまらない憎らしさが同時にせり上がるのを感じた。
 そして、ふと。がつんがつんと突き上げるレオナルドの後孔の中に、いつの間にか膨らみがあることに気が付いた。前立腺とは明らかに違うそこを擦ると、確かに、レオナルドはいつも以上に可愛らしく耐える。
「だ、だめっ、うしゃぎ、ひゃっ そこは」
 快感に耐えるときとは若干に違う反応に、兎は合点がいき、にたりと口角を上げる。
 厠へ行く。
 レオナルドは数時間前に、兎へ嘘をついた。
 そのときそれは、確かに偽りであったが、尋常ではないほどに腹を立てる兎を見て、レオナルドの膀胱は縮み上がり、本来の許容量を保てずにいたのだ。
 だから、つまり。
「……レオナルドよ、厠へ行きたいのだったなァ?」
 あまりにも長過ぎる仕置きと、強過ぎる恐怖と快感に、レオナルドの膀胱は、既に破裂しそうだった。
「ち、ちがっ……」
「ほう。違うのならば、このまま続けてよいな」
「やだっ! うさ、兎さん、おねがい」
 冷えきった兎の赤い瞳に、熱が灯る。この男、楽しんでいる。絶対に。
 レオナルドは笑う兎が憎らしくなるが、ここで抵抗をすれば、さらに良くない結果が待っている。
 仕方がないと。レオナルドは腹を括った。
「……兎さん、ぁの、」
「ん?」
「……おし、おしっこが、漏れそう、なので……かわ、厠に……厠に、行かせてください」
 羞恥に顔を真っ赤に染め上げて、レオナルドは震える手で兎の腕を掴みながら、懇願した。
 ここまで言ったのだから、もう許されるだろう。息を切らせていたレオナルドの鼓動が、徐々に落ち着きを取り戻し、意識は膀胱へと向けられる。
「……そうか」
 兎が、レオナルドの知っている笑みを取り戻し、ずるりと後孔から性器を引き抜いた。
 ああ、ようやくだと。レオナルドは大きく安堵をし、息を吐きながら、全身から力を抜く。そのとき、だった。
「……だが、駄目だ」
 兎の声と共に、ずちゅん、と再び粘膜を貫かれる音が聞こえた。
「此処でしなさい」
「ぁ、ひゃああっ! なんで、なんでぇっ」
 今度は最奥でも、前立腺でもなく、的確に、膨らんだ膀胱を狙って突き上げられ、レオナルドは徐々に我慢ができなくなっていく。
 鼻を啜り、泣いても懇願しても、無駄だった。
 兎は当の最初から、厠へ行かせる気など無かったのだから。
「いや、いやだっ……うひゃぎしゃん、らめ……おひ、おひっこ、出ちゃうっから、」
「……安心しろ、レオナルド」
 童とは、漏らすものだ。
 誘うような兎の口調に、何が安心しろだ、と抗議する余裕すら、レオナルドには残っていなかった。
 後孔からぐりぐりと膀胱を突かれ、ただでさえ快感で力なんて入らないというのに。
 陥落など、一瞬だった。
「んっひいぃ、出ちゃう、おしっこ出ちゃうっ」
 同時に、しょろ、と。レオナルドの性器の先端から、先走りでも精液でもない、黄色みがかった液体が溢れ出た。
「は、うあ、やだっ……止まらな、いぃ……見ないでぇ」
 よほど我慢していたのか。しょろしょろ、と温かなそれは徐々に勢いを増し、レオナルドの腹と兎の毛並みと、更には布団へ広がり容赦なく汚していく。
 兎の顔など、見ることが出来なかった。
 出せと言ったのは、確かに兎だ。でも、もうそういう問題ではない。
 人前で、しかも、恋人の前で。更に言うなら、後孔で性器を咥えながら。
 最も無防備で、最も見られたくない姿を、一番見られたくない形で、目の当たりにされたのだ。
「うう、ごめんなひゃ、ごめんな、ひゃい」
 涙で頬をぐっしょりと濡らしながら、レオナルドは兎に謝り続けた。
「もう、もうしなぃっしないからぁ……兎さん、嫌いに、ならないでぇ」
 もうしない、とは。果たして、粗相のことなのか。それとも、もう二度と、黙って兎の元を離れないということなのか。
 はっきりとしない台詞ではあったが、嫌いにならないで、と。そう言って自分に縋るように涙を流すレオナルドを見て、兎の鬱憤は晴れていく。
 こんなにもどろどろにされて、強引に排尿をさせられても、尚、兎を求めるとは。
 ああ、なんて可哀想で、なんて可愛らしいのか。
 嫌いになど、なれるわけがない。
「愛しているよ、レオナルド」
 レオナルドが、レオナルドであることの、全てにおいて。
「……うさぎ、さん」
 どろりと。レオナルドの心が、兎の歪んだ愛で充たされていく。
 ひょこ、と。排尿のせいで萎えていたレオナルドの性器が、またゆっくりと勃ち上がった。
 理性なんてものは、もう、どこかへ行ってしまった。
 レオナルドの中に残っているのは、兎への思慕と、もっと、という欲望だけ。
「兎さん、はやく。動いて」
 薄く笑いながら、幸せそうに自分を見上げるレオナルドを見て、兎は忘れかけていた快感を追いかけるように腰を振った。
「ん、ひぅ……ぁ、んっああっ」
 今度は、膀胱ではなく、レオナルドの善いところばかりを突いていく。何度も弾ける視界に抗うことなく、レオナルドは兎に腕を伸ばし抱きついて、気持ちがいいと全身で訴えた。
「ぅあ、いく、っああぁ」
 腹の上で、びゅるびゅると出された精液と、尿が混じり合う。
 もはや、それすら、ふたりには愛おしくて。
「……ッ、レオ、」
「んん、んっ……ふ、」
 兎が最奥で弾ける瞬間。身体をぴったりと密着させて抱き締め合いながら、貪るように唇を吸い合った。
 
 
 唇を離すと同時に、レオナルドは、こてん、と意識を飛ばしてしまう。
 それを見て、ああ。またやってしまったと。兎は遅い後悔を始めた。怒りに身を任せ、仕置きや躾と称して、本能のままレオナルドを攻め立てるのは、今回が初めてではない。
 嫌いにならないで、と。レオナルドは泣いた。
「……それは、拙者も同じだよ。レオナルド」
 こんなことをしておいて、まあ、今更ではあるが。
 本当は誰よりも、兎が、レオナルドを手放したくないのだ。
「嫌いに、ならないでくれ」
 くったりと力無く横たわり、穏やかに寝息を立てるレオナルドの頬へ唇を落として。
 とりあえずは、身を清めなければと。
 汗と尿と、精液とで汚れたレオナルドの身体を軽々と抱き上げ、兎は湯殿へと向かった。
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