屋敷を出ると、そこには立派な馬車があった。
門に凭れ掛かるようにキリルもいた。
「来たか。……乗れ」
馬車のドアを開け、乗るように促される。
リーシェは大人しく「はい」と返事をすると、馬車に乗り込んだ。
「……」
「……」
馬車に乗っている間、リーシェとキリルは一言も声を発しない。気まずい沈黙だった。
何か話した方が良いのだろうか、とキリルを盗み見る。しかし、彼は目を瞑ったまま「話しかけるな」オーラを醸し出していて、リーシェは話しかけることを断念する。
彼にとってリーシェは“泥棒の共犯者”であり、世間話が出来るほどの関係ではないのだ。
「一つ聞く」
「……?」
重い沈黙を破り、キリルが口を開く。
いつの間にか瞑っていた目を開けて、キリルはリーシェの方を見ていた。
「お前は“奴”を見たか?」
酷く冷静な声だった。
リーシェが首を横に振ると「そうか」とキリルは言い、また沈黙。
キリルの言う“奴”とは一体誰のことだろう。
顎に手を当て考えるが、思い当たらない。
「あの、“奴”ってだれ?」
「……大怪盗と名乗る男のことだ」
キリルは手帳から一枚の写真を抜き取ると、リーシェに渡した。
受け取った写真には一人の男の姿。
黒いマントに、目元を隠す仮面。そして、燃えるような紅い髪。
この姿にリーシェは見覚えがあった。
(中庭で会った人……!)
リーシェのファーストキスを奪った男だった。
「その様子だと、知っているようだな」
リーシェのなんとも言えない表情から「知っている」とくみ取ったキリルは、怖い表情になりリーシェの胸元を掴み背凭れに押し付ける。
低い声で「言え」と言う。
苦しくて眉を顰めるが、彼は気にする様子もなく尚も「言え」と話すことを強要する。
(この感じ、どこかで……)
逆らうことを許さない威圧を感じる。
何か話そうと、口を開こうとしたとき馬車の揺れが治まった。ドアが開き、真新しい警官服に身を包んだ青年が、目を真ん丸くして、いつのまにか押し倒された形になっていたリーシェとキリルの姿を見ていた。
キリルは舌打ちすると、リーシェから離れ先に馬車から降りた。それから青年に何か言って、警察署へと入っていってしまった。
リーシェを置いて。
「えーっと、あの、降りてもらえますか?」
居心地悪そうに青年が言い、リーシェは呆然と頷き返すとゆっくり馬車から降りた。
「申し訳ありませんでした」
馬車から降りると、青年はリーシェに向かって頭を下げた。
突然謝られ困惑していると、青年は苦笑しながらその理由を話してくれた。
「ヴィリエ警部は気難しい方で、言葉も悪いですし……、“奴”のことになると女男問わず手を出すもんで。あ、手を出すっていうのは、叩いたり殴ったりするあれですよ! 変な意味じゃないですから。馬車の中で二人っきりで、なにかされたりとか……、あ、されてないんですね? よかった――…、ああ、でも念のために救護室の方に先に案内しますね。たんこぶとかできていたらいけませんから」
さあどうぞ、と促されリーシェは警察署の中へと入って行った。
武装組織である警察は、男しかいない。皇族直属の騎士もそうだが、警察も騎士も“男の世界”らしい。「男は掃除をしない」という変な思い込みがあるものだから、暑苦しかったり汚いイメージが強かったのだが、入ってみるとそうでもない。
清潔感溢れ、埃一つないように見える。
大理石で出来た床は、ピカピカと輝いていた。
一歩入ったところで立ち止まってしまったリーシェを、青年は怪訝そうに見る。「どうかしましたか」という問い掛けで我に返ったリーシェは「なんでもないです」と返し、彼のあとを付いて行く。
廊下をしばらく進み、一つのドアの前で青年は止まった。ドアにはデカデカと「休憩中」と下手な字で書かれた紙が貼られていた。ここが救護室らしい。
青年は少し思案したあと、ドアノブに手を伸ばす。
「あれ? 開かない……」
なんど開けようとしても、鍵が掛かっているようでびくともしなかった。
押したり引いたり、ドアに耳を付けて中の声を聞こうとしたり。色々と試してはいるがダメだった。
(……これって――)
ドアを見ていてリーシェは何かに気が付いた。
ドアの造りが、引きドアと押しドアのどちらでもない。
押してだめなら引いてみろ。引いてだめなら押してみろ。なんて言葉があるが、そのどちらでもない場合。思いつくのは一つしかなかった。
「あのぅ、これって横に動かしたりするドアじゃあ……」
恐る恐るといった形で青年に言う。
青年がリーシェの顔を見て頷くとドアを左に押す。すると、びくともしなかったドアが開いた。
それを見て、青年と一緒にリーシェは苦笑した。