アローズ公爵家前。警官服に身を包んだ青年が立っていた。
襟には国の紋章が刺繍されている。
「お待ちしておりました! キリル様」
「挨拶はいい、で、何の用だ」
青年――キリルは、あからさまにめんどくさそうに溜め息をつく。
もともと目つきがそこまで良くないキリルは、目が合うだけで睨まれていると錯覚してしまう。
故にいくら顔が良くても言い寄ってくる女はほとんどいなかった。
メイド服に身を包んだ少女――エルザは、「早くこちらへ」とキリルを促す。
「ったく、たいした用事でなければ、職務妨害として捕らえるからな」
* * *
「あっぶなかった〜」
屋敷から逃げ出した青年は、人混みの中に紛れ込むと安心したように息を吐く。
わいわいと賑わう城下町。
青年は人気のない路地裏に入ると、隠れるように運営している喫茶店に入る。
「あら、マオラじゃない……。今日は何か、用かしら?」
「その妙な間はなんだよ」
「あら、だって、ふふ、あんたが男の格好をしてるからに決まってるでしょ? いつもは“可愛らしい”女の子の格好をしてるのに」
喫茶店に入ると、フリフリしたワンピースを着た少女が近寄ってきては、青年――マオラ・デイジーの格好を見てクスクスと笑う。
「……良い歳してそんな格好してるお前はどうなんだよ」
「あら、アタイは本物の女の子だからいいの。だって、黒いシンプルな格好より、こっちの方が可愛いもの」
「三十路過ぎたババァが……」
「……なんですって!?」
ぼそりと呟いた言葉が、少女の耳に入る。
その瞬間、少女の目は見開かれドカドカとマオラに詰め寄ると胸倉を掴む。
「うふふ、あんたねぇ、言って悪いことと良いことがあるの知ってるわよねぇ。年齢と体重は女の子にとって“禁句”だってこと、むか〜しあんたにみっちりと教えたはずだけど。忘れちゃったのかしら? なら、もう一回教えてあげようか。お姉さんが、みっちりと!!」
「いでっ! ちょっ、耳引っ張るなって。つか、お姉さんじゃねーだろ」
胸倉を掴んでいた手が、マオラの右耳に移る。千切れる、と思えるくらいの強さで引っ張られ、マオラの目に涙が溜まった。
「あー、ゴメンって。ニーナ。三十路って言って悪かったって。だから、許して、な?」
少女――ニーナは、ふんと鼻を一度鳴らすとマオラの耳から手を放す。
癖が激しい茶色の髪。頬にあるそばかす。銀縁メガネと、平均よりも低い背。実年齢よりも幼く見えることを利用し、数々の年齢詐称をしてきたニーナ。
「……まあ、良いけど。今回は許してあげる。―――言っとくけど、次はないからね!」
「わかってるって。でさ、裏借りていいか?」
「ああ、着替えるのね。だったら、さっさと着替えてらっしゃい。アタイに話があるんでしょ? ほ〜ら、アタイも暇じゃないの」
「あら、やっぱりあんたはその格好のほうが似合うわ。まあ、生意気なのが気に食わないけど」
「ごめんあそばせ。こーゆう性格なの」
裏の部屋から出てきたマオラ。
黒の長髪ウィッグを被り、赤いカチューシャをつけている。袖口が大きく開いた赤のワンピース。細かい刺繍が特徴的なそれは、背中部分が露出している。
深紅の口紅、濃くも薄くもないバランスの良い化粧。どこからどうみても、妙齢の美少女だ。
口調も声音も姿に合わせて変えている。
「そ・れ・で? 見てきたんでしょ? 例の女の子」
「ん〜、見てきたっていうか、バレちゃったわ」
「は?」
「天井の裏から見てたんだけど、ちょっと、落ちちゃってね。えへっ、でも可愛かったわ」
ぽっと頬を染める。
バレてしまった場所は常識的から見てやばい場所だった。しかし、マオラにとって異性つまり女の身体に興味はない。
だって、「身体は男でも心は乙女」なのだから。
「ふうん。あんたが女の子を可愛いなんて褒めるところ初めて見たわ。ってことは、相当可愛いのね」
「うん、可愛い。純真で、初心で、色々教えてあげたくなっちゃった」
「見ただけでそこまでって、まあいいわ。それで?」
「え?」
思わず聞き返す。
そのすぐあとに、ああ、と呟くとマオラは本題を話し始めた―――。