色艶5

Side:Marco



医務室で必要な書類に一通り目を通し終えると、自分の腹が減っていることに気が付いた。
むしろ、鳴った。
それはデュースにも聞こえたようで、おれの腹の虫を初めて聞いたと笑った。
すでに食堂には朝食が並べられていたと言う。
飯、食ってくるか。
医務室から食堂に続く廊下では、もうすでに飯を食い終えただろうクルーが何人も持ち場に向けて移動中だった。
食堂も、もうそんなには混雑はしていないだろう。
座るところも、探さずとも確保できそうだ。
地味にあれがめんどくせェからなァ。
挨拶してはすれ違っていく何人ものクルーと言葉を交わしつつ、食堂へ。
案の定、半分程席が埋まっている状態だった。
☆☆☆の姿も、ナースに混ざって部屋の端に居るのを見つけた。
格好はさっき医務室で見送ったままの姿だから、食堂に直行したんだろう。


「マルコ、おはよーっ!」


中央付近では、おれの姿を見つけたハルタが機嫌良さそうにおれへ手を振っている。
その隣では、イゾウが静かに飯を食っていた。
ハルタの前の席はちょうど空席のようで、おれも導かれるままにそこへ腰を下ろした。
もうすでに、飯は食い終えているんだろう、ハルタはコーヒーを飲んでいた。
というよりも、もうこれほぼ牛乳だろう。


「おまえは朝から元気だなァ」
「マルコは朝から仕事してきたんだろ?」
「シャワーも浴びたよい」
「うへー、朝からそんな早く起きて、何かいいことでもあンの?」


おれと、隣のイゾウを交互に見て、舌を出して悪態を着いている。
朝起きるのが苦手なヤツにはそうだろうな。
むしろおれだって。
今朝が特別だ。
何かいいこと、と言われりゃ、あった。
朝から夢を見て驚いて目覚め、シャワーでは倒れ、ここまではあまりいい朝だとは思えなかったが。
その後なら、いいことはあった。
何よりも、いいことが。

飯も食いたかったが、まずは先にコーヒーをと、テーブルに幾つか準備されているポットに手を伸ばした。
カップに注ぎ、いい香りを鼻腔で楽しんでいると、背後から突然でけェ男がぶつかる衝撃があった。
おい誰だ、コーヒーが零れんだろう。
カップを守り、テーブルに乗せてから振り返ると、それは一人だけではなく。
あっという間に、何人ものクルーに囲まれた。


「隊長!ナースと、デキちゃったって、ほんとっすか!?」


は!?
言われた意味が理解できず、思わず目を見開いた。
おれの返答がなかったからだろう、周りを囲むクルーはそれをネタに言いたい放題だ。
一人が言葉を発すると、その後は堰を切ったように矢継ぎ早にまくしたてられた。


「え、マジなんすか?」
「ナースって誰?」
「おれ見た!この間隊長が甲板の隅っこで、ナースと抱き合ってたとこ!」
「うおー、マジかよ、くぅ〜羨ましい」
「相手誰だよ?」
「いやそれが、顔は見てねェんだよな。金髪だったぜ、な、マルコ隊長?」
「金髪!?金髪なら……エマ、クロエ、カルラ、リリィ…」
「すっげェ、巨乳ばっかじゃね…!?」


はァ!?
金髪!?
何言ってんだ。
誰だい、その女は。
おれだって知らねェ。
周りのクルーは大興奮だが、おれはただ驚くばかりで。
否定も肯定もしねェおれを他所に、ひたすら盛り上がっているこの場所。


「へぇ〜、マルコがね〜」
「それで朝からシャワーか」


目の前のハルタやイゾウも珍しそうに話題に加わる始末。
おい、いったいどうなってんだよい。
おれが金髪の女と抱き合ってた、だと?
ナースに手ェ出したことなんか、一度だってねェ。
あるのは、☆☆☆をあの晩…。
それと、抱き合っているように見せかけたあの時だけだ。
身の潔白を証明しようにも、話題はすでにおれのことだけではなく、どのナースが好みかに移行しちまっている。
はぁ…。
めんどくせェことになったよい。
それに。
食堂内にいる☆☆☆。
彼女にも、この騒ぎは聞こえているだろう。
おれが金髪と抱き合っていた、と、そう伝わっちまう。
それは避けてェんだが、現状今はどうすることもできねェ。


「抱くならソフィアちゃんがいいなァ」
「おれはローズの足、撫でまくりてェ」
「☆☆☆のおっぱい好きだなァ、ベビーフェイスにあの胸だろ、たまんね………ひィッ」


おれに胸倉を掴まれたそいつは、自分の胸の前で乳房を模した掌を形成した間抜けな姿のまま、硬直した。
☆☆☆の名を出されて、無性にイラっとした。
胸の奥がやけに熱くなったというか。
自分の身の潔白を証明するよりも先に、こいつを黙らせてェ。
その思いだけで動いた結果だった。
胸倉を掴んだまま横へ移動させてから離すと、その更に後ろにいたクルーも横へずれる。
クルーによって作られていた輪が、この箇所だけ開けた。
とても、飯を食う気分にはなれなかった。
退け、と更に後ろにいたヤツにも告げると、慌てて避けていく。


「朝飯は食わねーの?」
「散歩だよい」


ハルタにそう返すと、肩を竦めただけだった。
イゾウは最初に見た時と同じ姿勢で、再び食事に戻っているようだ。
人だかりを抜け、入ってきた時とは別の出入り口へ向かって甲板へと足を向ける。
☆☆☆の方は、見られなかった。
居るということも、わかってはいたが。
どんな表情をしているかを、想像できず、かといって見る勇気もなく。
情けねェが。

甲板に出ると、苛立った気分には丁度いい風が吹いていた。
目的にしている場所はない。
だが自然に、先日☆☆☆を隠したあの壁の向こう側に足が向いていた。
ここは、人の通りはあまりねェ。
この先に倉庫があるわけでもないし、個人部屋へ続く扉があるわけでもねェから。
静かなそこに、壁に寄り掛かりながら、床へ腰を下ろした。
何、やってんだ。
あの場を諫めることは出来たはずだ。
笑ってやり過ごすことだって。
その反面、嘘は付けねェなとも思った。
おれ自身が、嘘をつきたくはなかった。
かといって本当のことも、☆☆☆の為には言えねェ。
だが他にもっとやり様もあったのではないか。
反省ばかりが、頭の中を支配した。
はぁ〜ぁ…と、深い自分のため息の音の向こうに、こちらへ向かってくる足音が聞こえた。
近い。
今は相手にはしてやれねェ。
そのまま、立ち去ってくれることを願うが。
どうやらその足音はこちらへと真っ直ぐに向かってくる様子だった。
誰が来るのかと顔を上げてみていると、壁の向こうから姿を現したのは☆☆☆だった。
眉を下げ、不安そうにこちらを覗き込んだ後に、おれの姿を見つけると途端に頬を染めて焦ったような表情に変わっていく。
マルコ隊長、なんて嬉しそうに呼ぶんじゃねェよい。
おれの心臓が跳ねて、全身に血の巡りが到達したかのような感覚が起きた。
そのまま、すぐ隣にしゃがみこむと、ふわりと甘い香りがおれを包む。
強い酒でも飲んだかのように、一瞬クラっと脳に響いた。


「隊長、あ…あの…朝ごはん、食べました?」
「まだ、食べ損ねているよい」
「でしたら、是非。とっても美味しかったです」
「☆☆☆はちゃんと全部食えたかい?」
「は、はい…!焼きたてパンが、絶品でした」


しどろもどろになりながら、おれの目をまっすぐ見つめている☆☆☆。
何をしに来たのか、という無粋な質問はしねェつもりだが。
それにしても、何をしに来たのか。
食堂に居たから、出ていくおれを追いかけてきてくれたんだろうが。
ただの世間話をしに来たのかという程、的を得ない会話が続いている。
☆☆☆自身、目線を左右に動かしたり、頬を掻いたり髪の毛の先を指に絡めたりと、忙しない。


「マルコ隊長も、是非…」
「ここにいるの、よくわかったな」
「ここ、あの日…泣いてるとこ、隠して頂いた場所ですよね。もしかしたらここかなって、真っ直ぐ来ちゃいました」
「…ああ、ちょうど隠れやすい場所だよい」
「はい、泣いてる情けない顏、誰にも見られなくて良かったです。…抱きしめるふり…してくれて、今思えばほんとに抱き着いちゃえばよかったな、なんて」


何言ってんだろ私、なんて言いながら俯く☆☆☆。
本当に。
混乱しているんだろう。
そんなこと言われたらおれだって。
抱き締めちまいたい衝動を抑えるのが大変だった。
こんな風に噂になるんだったら、本当にしちまえばよかった。


「……すみません、さっき言ってた人、そのナースに申し訳ない、ですよね」
「☆☆☆…?」
「でもなんかさっき、医務室で…楽しかったから、…いや…仕事なんですけど!そうなんだけど、二人で話せて楽しくて、また話せたらなって…でもその人に、申し訳なくて……いや、隊長が、決めることです、けど…」
「……お、い…?」
「いや、いーんです、大丈夫です。…その、仕事も、代わって貰ってたくさん話せて、よかったってうか…でも、あの……ん、と…」


こんなにたくさん、詰まりながらも喋っているが、何においても意味が通りにくい内容で。
それでも、一生懸命になっているし、きちんと聞いてやりてェんだが。
顔を真っ赤にして、さっきよりも目の移動が激しい。
それに、羽織っている上着を片手で握りしめるその指先には、相当力が入っている様子だ。
もしかして。
もしかして、だ。
これは、おれの勘違いでなければ、妬いている?


「☆☆☆?」
「すみません、…何、言ってるのか、自分でもわからない、ので…戻りますッ!」
「待てよい、…あの噂の、たぶんお前だ、☆☆☆」
「え?…わ、わたし…?」
「ここでのあれ、本当に抱き合ってるように見えたんだろ」
「でも金髪って」
「それはおれにもわからねェが、ナースと接近したのなんてお前だけだ」
「そ、そんな!私皆に言ってきます!」


立ち上がろうと勢いをつけた☆☆☆と、引き止めるつもりで腕を掴んだおれの力。
勝ったのは当然おれの方で。
おまけに、立ち上がろうとしていた☆☆☆はバランスを崩しておれの方に倒れ込んできた。
胸元にかかる☆☆☆の重み。
腕を掴んだ手はそのままに、堪らず、片手を背に回して抱きしめた。
手を捕まれ、バランスを崩したままの☆☆☆は抵抗する間もなかっただろう。
甘い匂いがする。
あの日発していた、おそらく媚薬の混ざった甘さではなく、☆☆☆本来の香りだろう。
あの日よりもずっと、いい匂いで。
すでに知っている身体の質感を思い出すと、ゾクリと腰が疼いた。


「誤解したいヤツには、させときゃいい」
「隊長ッ!…でも、私…昨日夜勤だったので…」
「ん、知ってるよい、どうした?」
「昨日の夜、も、朝も……お風呂、とか入ってなくて…」


臭いかも、と心配しながら抵抗している☆☆☆。
そんなこと気にしてたのか。
臭いとかあるわけねェだろう。
それ以前に、いい匂いだ。
おれはこっちの方が好きなんだ。
恥ずかしさもあってか、尚も抵抗を見せる☆☆☆。
掴む腕を解いて、もう一方の腕でも背中を抱きしめた。
ぴったりと上半身を合わせるように密着させると、胸の感触が気持ちいい。
それもあるが、好きな女をようやく腕の中に取り込んだという事実が、気持ちが良かった。
このまま、キスもしてェ。
あの夢のように、今ここで、☆☆☆の唇に触れてェ。
逃げられねェように、片手を下げていき腰を抱くと、ビクッと艶めかしく震える身体。
色気のある仕草を知っている身としては、堪らなかった。
完全に、酔っていた。


「☆☆☆、キスしていいかい」
「…え、…隊長…?」
「少しでいい、してェんだ」


抵抗していた手が、止む。
それをいいことに、片手で耳の後ろを固定させて顔をおれの方へと向けさせた。
唇を、額へ触れさせ、次の頬と触れ合わせる位置を変えていくと、その都度びくっとおれの腕の中で☆☆☆が小さく震えた。
柔らかくて気持ちがいい。
それに肌のきめ細かさが、堪らない。
次は唇に、と頬からそれを離すと互いの間に、僅かな距離が生まれる。
途端に、強くおれの胸を押す☆☆☆の日本の腕。
距離が更に開いた。
腕の力を限界まで引き出したんだろう、そこが上下に震えている。
よく見ると、☆☆☆の顔は真っ赤に染まっていた。


「待っ…待って、くださいッ…」
「……☆☆☆…」


さすがにここまで来て、断られるとは思ってなかった為、落胆した。
その隙におれの腕の力が緩み、☆☆☆が抜けだしていく。
おれとの距離を完全に取ってから、必死な形相でこちらを見ていた。
目には涙が溜まり、呼吸も乱れているようにも見える。
だが、頬や耳、顔全体が真っ赤なのは変わらず、拒絶されたことと繋がらず、おれにもわけがわからねェ。
☆☆☆は変わらず必死そうに、やっと、といった様子で言葉を続けた。


「歯を、磨いてきます!それにお風呂も…」
「……は…ッ!?」
「なので隊長は、朝ごはんをきちんと召し上がってください!」


勢いをつけて言い切った☆☆☆が立ち上がり、あっという間に駆けて行ってしまった。
その場に残されたおれは、ただ呆然とするのみで。
足音はやがて消えていってしまい、戻ってくる気配も全くなかった。
逃げられた…。
まァ、そりゃそうか。
よく考えりゃ、妬いたってのもおれが思い違いをしていただけで、☆☆☆からしたら、単に窮地を救われた恩人止まり。
そこまで、許す理由はねェ。

さすがに現実が見えた。
火照った熱が、頭からバケツで水でもぶっかけられたみてェに、冷めた。
いや、冷静になれたといった方が、まだマシか。
言われてみれば、腹も減ったままだ。
年甲斐もなく、はしゃいじまったようだ。
そう、言い訳でもしなければやりきれない。
その場からゆっくりと立ち上がり、朝食を今度こそ取りに行くことにした。
さっきの騒ぎも、そろそろ落ち着いているだろうから。



**********



朝飯は美味かった、と思う。
もう騒ぎは済んでいたし、騒ぎを知らねェ連中に混ざって食ったから、静かでもあった。
だが、おれの中での歯がゆさは決して消えたわけではなく、溜まる一方で。
その為か、味の方はよくわからなかった。
あのまま、再び医務室に行く気にもなれず、自室へと戻ってきた。
幸い、自室には目を通さなきゃならねェ書類は山ほどある。
こうなりゃ今日中にすべて片付けてやるよい。
不足があれば全員にやり直しをさせてやる。
そう意気込んで、実際不足を見つけ、やり直し用のファイル入れに5部署目の書類を放った時、扉のノック音が響いた。


「開いてるよい」


次の書類を手にしながら、いつも通りの返答を扉に向けて返す。
この部屋に来慣れている人物であれば、そう言った途端に扉を開けて入ってくる者も多い。
だが今の相手はそうではないらしく、控えめにその扉が開かれていくのが見えた。


「お邪魔しても、よろしいでしょうか…?」


か細く、遠慮がちに言いながら入ってくるその声には、かなり聞き覚えがあり、思わず顔を上げた。
思った通り、☆☆☆の姿。
扉を開いたまま、控えめにおれの様子を伺っている。
何故?
とまず最初に疑問が湧いた。
さっき、拒絶してったんじゃねェのかい。
だがその姿、全身を見ていると、さっき☆☆☆が言った言葉も容易に思い出せた。
風呂に入ってくる、そう言っていた。
歯も磨いてくると。
まさか。
本当に、そうしてきたとでもいうのか。
さっきのあれは、断る口実ではなく、事実だったと。
そんなこと、あんのかよい。
上辺だけの、断りを淹れる文句だと思っていた。
信じられず、ただ黙って☆☆☆の姿を見つめていると、廊下から入り込む新しい風に乗って☆☆☆の香りが部屋中に充満していく。
花のようだった。
ふわりと優しく漂うそれは、おれを包み、そしておれの理性をも、壊していくような、そんな香りだった。


「本当に、風呂に入ってきたのかい」
「…ええ?そう、…言いましたよね、私…?」
「言って、たなァ…」
「朝ご飯、召し上がりました?」
「ああ、言われた通りにな」
「…良かった」


味はしなかったが。
そんな言葉は続けられなかったが、そんなことはどうでもいい程に、☆☆☆のはにかんだような笑みが胸に響いた。
いつものナース服とは違う、おそらく私服だろう格好。
胸も尻も足も強調したような攻撃的な服装とは違い、より一層ラフな服装。
さっき羽織っていた上着は同じだが、その裾を握りしめて緊張しているようにも見えた。
未だに部屋へ入ってこないのは、なぜかと思ったが、単におれが入れと言っていないからなだけのようで。
立ち上がり、部屋へ入るよう指示を出すと、更に遠慮しながらも、ゆっくりと同じ室内へと足を踏み入れてくる。
そして☆☆☆の背後で閉められる扉の音。
瞬間、横にあるベッドに目が行った。
あの日、押し倒した場所。
一晩を共に過ごしたおれのベッド。
おれの目線に気が付いた☆☆☆も、同じ方を見た後に、頬を更に染めた。
☆☆☆にとっちゃあ、忌々しい記憶のハズ。
なのにおれは、そんな些細なことでも反応し、中心部が疼いた。
一歩、一歩と部屋の中心部に向かってゆっくりと足を進める☆☆☆。
おれも、机の横から☆☆☆の方へと移動していき、本当に部屋の真ん中で互いの足が止まった。
近づくと余計に香る、花の匂い。
それに本当に、風呂上りのようで髪が未だ湿り気があるようにも見えた。
いつもは横に三つ編みにしているそれが、今は真っ直ぐに降りている。
初めて見る髪型にも、心が跳ねた。
思わず、その柔らかそうな毛先に指先で触れると、緊張も最大限なのだろう、☆☆☆がビクッと震えた。
そこから指で触れる位置を上げていき、頬に指の背で触れる。
赤く染まったそこは、触れた瞬間からさらに染まっていくような気がした。
おれにもその熱が、伝わってくるようで。
思わず、身体を引き寄せて、抱きしめた。


「…ッ…たい、ちょう…?」


驚いたように声を上げた☆☆☆は、それ以上の言葉は発しなかったが。
抱き締めた時に、前にそうしたのと同じように、おれの唇には☆☆☆の洗い立ての髪の毛が触れている。
まだ乾ききってはいないそれは、おれの唇よりもずっと冷えていた。
上がりかけた熱が、急速に冷えていく思いがした。
その瞬間、礼に来たのか、と嫌な理由が頭を巡っちまったから。
こんなに上手くコトが運ぶハズがねェ。
現に☆☆☆は、身体を硬直させたまま自分の上着の裾を思いっきり握りしめている。
小さく震えるその身体。
抱き締めても、おれの背へと返されない腕に、少し淋しさを感じた。
おれとしては、決して強がりではなく、好きな女を、抱きしめられただけでも充分だ。
☆☆☆も、覚悟を決めてきたんだろう。
キスだって、初めてなんじゃねェのか。
それをこんな形で。
おれがしたいと言ったからだろうか。
礼かもしれねェ形で、奪って本当におれは後悔しねェのか。
そんな風に、自分で自分を戒めた。


「夜勤で、寝てねェんだろ?」
「え、…はい…?でも、もう慣れました」
「ここなら一度眠ったところだ、…気兼ねなく休めよい」


抱き締めて触れているところよりも少しだけ腕の位置を下へずらし、そして☆☆☆の身体を持ち上げた。
そんなことをされるとは思ってもいなかったんだろう、☆☆☆からは小さな悲鳴が上がる。
それも、お構いなしにベッドへと直行するおれに、更に声を発しているようだったが。
まぁ、そうか。
この状況でベッドに連れてかれたら、今度こそ襲われると思うはずだ。
腕の中の☆☆☆も、戸惑い、そして、困惑している。


「襲ったりは、しねェよい」
「…どうして、ですか…?」


背を支えベッドへ仰向けになるように下ろすと、すぐに起き上がってこようとするから、肩を抑えてそれを止めた。
ベッドに横になる☆☆☆を、上から押さえている状況におれ自身もすぐに反応を…。
いや、そこは嘘ついても仕方ねェ。
さっきからずっと、反応しっぱなしだが、それには耐えた。
あの日、ここに全裸で横たわっていた時よりも一層、艶めかしく色っぽい姿にクラクラしつつも、耐えた。
頬を染め、困惑し、どうしたらいいのかわからなくなっている☆☆☆の頬へ、さっきしたように唇を寄せていく。
☆☆☆が目を閉じるのが見えると、軽くそこへ触れた。
そして足元から引っ張り上げてきた布団を、☆☆☆の身体へと掛けてやる。


「どうして…?」
「おれは今日は、これで十分満足だよい」
「私、大丈夫ですよ?」
「いいや、おれがこれがいいんだ」
「…大丈夫なのに…」


何度も、大丈夫だと主張する☆☆☆の言葉を遮るように、おれもこれでいいと伝え合う。
本当に、これでいいんだ。
無理はさせたくねェ。
おれの隊長という立場と、☆☆☆のナースという立場。
おれが望めば、それにあの晩で恩を感じているだろう☆☆☆に望めば、それを叶えようとするのは至極当然に思えた。

不貞腐れる☆☆☆の顔を見下ろし、それからベッド脇に腰を下ろした。
未だ不服そうにおれを見上げている☆☆☆だが、手を伸ばし、その頭を撫でてやるといつしか不満そうな表情が緩んでいった。
これでいい。
寝不足なんだ。
少しでも眠れば、冷静になるだろう。
こんなバカみたいな礼は必要ねェんだ。
そう判断できるように。

文句を時折零してはいたが、それでも辛抱強く頭を撫でてやっていると、いつしか寝息が聞こえ出す。
夜勤で寝ていないからだろう、見れば緊張感もなくした表情でよく眠ってる。
これでいい。
好きな女が、おれのベッドで眠っている。
それもこんなにも、無防備に。
じっと寝顔を見つめていると、胸が締め付けられるような思いだった。
こんなにも大事に思い、そして好きだと思っている。
だから泣かせたくはねェし、半端なこともしたくねェ。


襲いはしねェが、もう一度だけ、頬にキスした。
これだけは、今は許して貰えるだろうか。






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