その花の名8

Side:☆☆☆



水をそんなに満杯に入れたわけじゃないから、重くはないバケツ。
それをマルコが持ってくれて、洗面所まで運んでくれた。
道具を洗い、そこから私の部屋に運べば終わりなんだけど。
マルコが、部屋まで送るよいって言うから。
もう水だって入っていない、軽いバケツなのに。
ひとりで持てる量の手荷物。
むしろ、持って貰っていること自体おかしいことだ。
なのに、二人とも無言のままゆっくり私の部屋へと向かって歩いていく。
だけどどんなに大きな船だって言っても、私の部屋の前までなんて、ほんの僅かな距離だ。
ほんとは言いたいことなんてたくさんある。
どうして?って訊きたいことなんてたくさんあるけれど。
サッチ隊長から話を聞いた後は、その言葉は全て飲み込んでしまっていた。

二人の間に響くのは、廊下を歩いている足音。
それに、遠くの方でクルーがお酒でも飲んでいるだろう声。
あの日、抱き合ってキスをしていたのが嘘みたいに思える程の、互いの距離。
ああ、そして。
もうすぐ、私の部屋に着いてしまう。
マルコには自分から会いに行かないなんて言いきったのに、実際会ってしまったらもう心が切なくてたまらない。
もっともっと、部屋までの距離が遠ければいいのに。
もう少し、もう少しだけ一緒にいたい。
たとえ無言になってたっていいから。


「オヤジの部屋の花、ありがとよい」
「マルコこそ、手入れをありがとう」
「習ったからな」


私の願いは叶うはずもなく、すでにもう部屋の前。
扉の前でマルコが私に空になったバケツを渡しながら優しく微笑んでくれている。
それを受け取ると…。
マルコの指先が、僅かにピクリとこちらに向けて動いたような気がした。
それが気のせいなのか何なのか、確かめる術がないまま体の横に下ろされてしまう。
胸が痛くなった。
同時に灼けるように体が熱くなっていくのを感じた。
マルコは、ほんと…全く、なんていうか。
こんなにも真面目だなんて知らなかったよ。
全て終えてから、私にきちんと報告をと考えているんだろう。
それまでは…って。
きっと、そう。
だから私は、私だって我慢して今この場は乗り切らなくてはならない。
もとは、私のお店のことであり、身の振り方の選択だったんだから。

じゃあなって片手を挙げた後に、ゆっくりと私に背を向けていこうとするマルコ。
その背を見つめていると、沸き上がる感情。
待って。
まだもうちょっとだけ。
もう少し、もう少しだけ一緒にいたいの。
でもそんな風に思ったら、マルコの決意に水を差すことにもなりかねない。
わかっているのに…。


「……ッ…!」


私の行動で、マルコが息を飲むのが分かった。
だけど申し訳なさ過ぎて、その表情を見上げることが出来ない。
ただただ、目の前にはマルコのシャツの裾を掴む自分の指先が見えるだけ。
我慢、しきれなかった。
マルコが行ってしまう直前の、ギリギリに。
本当にギリギリでつかんでしまった服の裾。
もう少し、マルコが歩くのが速かったら。
もう少し、私が手を伸ばしたのが遅かったなら。
掴めていなかった服の裾だ。


「あの…ほら、お礼に…部屋でコーヒー……っ」


前にもこんなことがあった気がする。
下を向いたまま、動揺を隠せずにつっかえながら伝えた言葉。
それを言い終わらないうちに、前に出していた腕を前方へと引かれた。
そのまま、ぐっと後頭部を強く押され、マルコの胸元へ押し付けられる。
引かれた腕はすぐに離されたけども、すぐにその腕の下から入ったマルコの強い腕が私の背中を支えてくれている。
あっという間に、マルコの腕の中。


「ごめん…ッ…ほんと、ごめ…」
「謝るのはおれの方だよい。…引き止められるのを、期待していた」


頭上から切なそうに絞り出すような、マルコにしては珍しい声色が聞こえてくる。
脳が沸騰しそうに、体内から発熱しているのを強く感じた。
眩暈を起こしそうな程、強烈なそれ。
耐えていたのは、やっぱり私だけではないことを知る。
そうだよね、うん。
そう…。
本当に、嬉しかった。
背伸びをして、マルコの首筋に両腕を回して私からも強く抱きしめた。
ぎゅっと音が出そうなほど、密着する二人の身体。
次の瞬間、ふわりとつま先が地面から浮き上がった。
マルコが私の身体を抱き上げたんだ。


「鍵は?」
「この、中。腰の…」


両腕はマルコにしがみ付く為にふさがっているから。
私を支える腕が片方になったとしても、難なく抱き上げられたまま。
シザーケースの一番端から覗く部屋の鍵を取り、部屋の扉を開いていく。
昨日も今日も、一人で出入りしたこの扉。
今はマルコと一緒に部屋ん入って。
パタンと扉の閉まる音、そこから部屋の中央…というよりはベッドへと真っ直ぐ向かおうとしているマルコ。
あ、そうだった。
その一歩を踏み出す前に、なんとか声を出した。


「待って!靴…」
「ん?…ああ、…あの部屋と同じくしたのか」


部屋の灯りを点けて中を見渡したマルコの目線が下がり、カーペットの上へ。
ふっと口元が緩むのが間近に見えた。
マルコはゆっくりと私のことを床に下ろして、自らの靴を脱いで部屋へと足を踏み入れる。
私もそれに続いて靴を脱いだ。
元の私の部屋よりもずっと、簡易的なものではあるけれど。
その中に二人でいると、すぐにあの日の出来事だって浮かんでくる。
ドキドキしている胸の鼓動が、全身に響いてまるで身体全体で脈を打っているかのようだった。
期待、してしまっている。
自分でもそうはっきりとわかった。
入口付近で二人、立ち止まったまま向かい合っている。
堪らず顔をあげると、私を優しい表情で見下ろしているマルコと目が合った。
鼓動が更に早まった気がする。
身体の中を伝ってなのか、耳からなのかはわからないけど、ドキドキと鳴っているのがよく聞こえるから。
マルコが掌を上に向けて、私に向けてそれを差し出す。
私よりもずっと大きなその手に重ねて乗せると、指先を撫でるように滑らせながら握りしめられた。
それをゆっくりと持ち上げられ、マルコも自然に上半身を屈めていき…。
ああ、私の目を見ながらそれをするのはずるい。
そんなことされたら、我慢していた声が出てしまうじゃない。


「…ぁ…ッ…マルコ…」
「そんなにイイ声出すんじゃねェよい」


腕を引かれると、再びマルコの胸板の近くまで移動させられ、頬を両手で挟まれた。
そして屈んでいるマルコと間近で目が合うように、上を向けさせられる。
こんなに近くでマルコの顔を見るのは、港以来だ。
頬を撫でていたマルコの指先が、顎付近を通って唇へと移動してくる。
もう、キスして欲しくてマルコのシャツの裾を強く掴んだ。
その瞬間、マルコの口角が上がったのを見届けた。
だってそのまま、距離が縮められていったから、途中から目を閉じてしまった。
見て、いられなかったんだと思う。
なんかもう、色気が凄すぎて。
部屋でキスされた時とは比べ物にならないくらいの、なんていうか、男性感がものすごくあった。
やがて期待通りにマルコの唇が、私のそれに重なって。
ちゅっちゅって何度も触れては離れ、それから啄むようにまた何度も触れては離れ。
私からもマルコに触れたいって思って、唇を僅かに開くとそこへ侵入してくる、マルコの舌先。
親指で下唇を下へ押されると、あっという間に口内もマルコの支配下に置かれる感覚になっていった。
二人の間から鳴る水音と、唇から受ける甘い刺激に、気持ち良くて体がとろけてしまいそう。
そのうち、自然に声も出てしまい、息も途切れ途切れになっていく。
やばい、本気で気持ちいい…。
あまりの気持ち良さに、膝が震えてガクンと体の力が抜けた。
唇が離れ、倒れ込む前にマルコが腰を支えてくれた。
危なかった…。
気持ち良すぎて腰が抜けるって、本当にあるんだ。
支えられているだけじゃなく、自分でも立とうと膝に力を入れ直したんだけど、そのまま視界が斜めになっていく。
あれ?
腰を支えてくれていたマルコの腕は、私の身体を支えたままゆっくりと床に近づいていく。
そのうち、マルコの身体に押されるようにして、カーペットの上に背中を預ける形になっていった。
身体の上には、マルコの肢体。
私より長くて、しなやかで綺麗な腕が私に体重を掛けないようにする為か、体の左右に置かれている。
そのまま、再びマルコの唇が下りてくる。
カーペットに押し付けられるかのような、深い、甘いキスだった。
数回角度を変え、唇も舐められ、呼吸が再び上がってきた頃、マルコの体重がゆっくりと私に伸し掛かってくる。
苦しくない、ギリギリの重さ。
またそれが、愛しさを増していく材料になる。
好き…。
そんな言葉だけが、頭の中を駆け巡る。
頬に触れているマルコの掌が気持ちいい。
ゆっくりと、撫でながらキスをしてくれているから。
今度は本当に、このまま抱かれるんだ。
大好きな人に。
ようやく。


プルプルプルプルプル


不意に、マルコの腰元から鳴る電伝虫の音。
それが聞こえたと同時に、マルコの唇がすぐに離れていく。
その素早さといったら…。


ガチャ…


悩む素振りも一切なく電伝虫に出るマルコ。
そりゃあ、忙しいのは知ってるけど。
そんな風にあっさりキスを切り上げられると、ちょっと淋しいなんて思ってしまうから。
私の気持ちには全く気が付いていないだろうマルコの眉間に皺が寄っていく。
あまりいい話ではないんだろうか。
自分を見ている視線に気が付いたんだろう、かろうじて口元を緩めたマルコが私の頭を撫でる。
何度か頷いて、その都度、私の頭を撫で。
それから少しした後に、みるみるうちにマルコの表情が明るくなった。
ありがとよい、なんてお礼を言っているし。
心なしか、私の頭を撫でる指先に力が入っている気がした。
何度か、また言葉のやり取りをした後に電伝虫を切って、それをテーブルに乗せる。
もう、私を見下ろすマルコの表情は、完全に晴れやかなものになっていた。


「☆☆☆、もうおまえの帰る場所は、ねェよい」
「…え?」


いや、そんな嬉しそうな笑顔で言われても。
マルコを見上げると、本当に心の底から嬉しいっていう表情をしている。
なにこの、可愛らしさ…。
おっさんのハズよね?
なんでこんなに少年のように見えるの。


「仕事も、もう代わりが見つかったし、家ももう引き払ったよい」
「仕事、得意先…全部?」
「ああ、もちろんだ。相手も納得する先で妥協はしてねェ」
「そ…か、良かった…」
「摘むって決めたから、エゴを押し通して、ずっと美しく咲いていられるようにするのが、おれの責務だ」
「…ん……私は花じゃないけどね」
「同じことだ。部屋の荷物は纏めて預けてある、いつか島に寄った時に必要なものは取りに行けばいいよい」
「誰かが、荷物を纏めてくれてるの?」
「纏めンのは、女性従業員に頼んだ。…他の男に触らせてたまるか」


さっきまで笑顔だったのに、そこだけ急に不貞腐れるから、思わずぷっと吹き出してしまった。
すぐに怪訝そうに私を見るマルコ。
数日、私の為に走り回って、頭も下げてくれていたという。
どれだけ大変だったかは、よくわかっているつもり。
そんな大きなことを成し遂げているのにも関わらず、私の前では一人の少年みたいな姿に、ますます愛しさを覚えた。


「酷い男ね」


笑いながらではあったけど、マルコの話に乗っかってみた。
片手を頬に当ててそこを撫でながら言うと、その意図が伝わったんだろうか。
マルコが満足そうな表情になっていっている。
なのにすぐ、突然雄の雰囲気が出てくるから、驚いた。
さっきまでのとは、また別の雰囲気で。
それから、顔を横にずらして私の掌に、唇を寄せてきている。
厚めの唇が触れた。
触れるだけでは止まず、掌を唇で啄まれる。
くすぐったさと恥ずかしさで、手を戻そうとしたんだけど、今はマルコに捕まれてそこを離れられなくなってしまった。
されるがままの、掌。
ゾクリと背筋に、刺激が伝わってくる。


「マルコ、……好き」
「知ってるよい」
「…ん、ッ…や、やだ…ちょ…っ…」


マルコが私の目を見つめながら弄んだ掌は、そのまま指先を伸ばされて人差し指の根本からじっくり舐め上げられていく。
それがやけに色気を帯びていて、視覚からも触覚からも強い指摘を受けすぎて、困る。
直視できず、目を反らすと今度は顔を下から持たれて、無理にでも目線を合わせられるから、余計に困る。


「全部片付いた今、おれにそんなことを言うってことは、抱いてくれってのと同じだってことも、知ってるよなァ?」


床からはずっと起き上がれず、もうずっとマルコの体重を身体で受け続けている。
逃げる気なんてないけど。
こんあにはっきりと言われてしまうと、図星なだけに恥ずかしさが全面的に出て頬が熱くなってしまった。
マルコはそんな私にはお構いなしで、最初水着かと思った程に布の少ないノースリーブのミニTに指先をかけている。


「それにこんな、エロい格好で船内を歩き回ってたのかい」


それをゆっくり下から持ち上げられて、ブラの役割もかねている造りのそれは、あっさりマルコの前に私の胸を晒した。
初めて、見られるその箇所。
こっちは恥ずかしくて、顔から火が出そうだっていうのに。
マルコは無遠慮に、その先端へと唇で触れた。
当然、触れるだけじゃなく口内に含まれて、それを吸い上げられていく。
思わず、声が出た。
それに、下半身も反応してしまって、マルコの片足を挟んできつめに締めた。


そのまま、ほぼ朝まで重なり合ったままだった。
カーペットの上、それから移動してベッドの上。
一度も離れることなく、溢れんばかりのマルコの愛を全身で受け止めることになった。



**********



Side:Thach



こんな時間におまえ起きてるなんて、珍しいね。
っつーか、厨房に入ってきてるなんて、ほとんど初めてじゃねェの?
なんでおれの隊は、椅子なんて出してやってんだよ。
おかげで、むっちゃ監視されてんじゃん?
睨むように見つめられて、妙な緊張感に全員包まれてるし。
なァ、ほんともう……帰って。
こんなんじゃ、落ち着いて料理なんてできませんって!(涙


「それ以上、近寄るんじゃねェよい!」
「はいぃぃいいい、すんませんっ!!」


ちょっとでも☆☆☆に近づいたヤツがいたなら、額に青筋立てながら今にも飛び掛からん勢いでキレてるし。
なんならちょっと、後ろから青い炎出てたよね?
ヤる気だったよね?
イヤイヤイヤ。
嘘でしょ!?
おまえそんなキャラだっけ?


「マルコ…おまえさ……」
「仕事中なんだから、仕方ないでしょ?」


溜息が出て、もう我慢ならんと言及しようとした時、ちょうど☆☆☆も注意をしてくれたから助かった。
じゃねェと、多分この状況、収まりつかねェよ。
いやでも、キレ方がけっこう乱暴だな。
持ってた包丁、まな板に突き立てないでくれねェかな。
☆☆☆は、一度でカボチャも真っ二つに出来る程に、割と力がるんだからさ。
あー…。
案の定、喰い込んでらァ、まな板に。
けっこう拘って調理器具揃えてんのよ?
包丁だってまな板だって、使いやすいのを厳選して揃えてンのに。


「邪魔するなら、部屋で待っててよ」
「もう離したくねェんだよい」


立ち上がっちゃってるマルコを、調理場から出そうと☆☆☆が近寄り、その体を押しやるんだけど、全く動じないマルコ。
まぁ、そりゃあそうだわ。
力の差は歴然だ。
むしろ、そんな☆☆☆の腰に手を回したマルコが、彼女を引き寄せてる。
一気に、その周りだけ、ピンクピンクピンク。


「ちょっ…マルコ、だめッ」
「はいはいはいはい、お二人さん。とにかく厨房の外で、ケリつけてこいって!」


もう、マルコが☆☆☆に何をしているかなんて、見たくもねェから。
とにかく、二人を厨房から追い出した。
そうすることで、ようやく平穏な空気が全体を包んだようだった。
厨房に立つ隊員達からは、安堵のため息が出ているし。
緊張感漂う時間だったぜ、全く。


その後、☆☆☆がクルーに向けて出した料理が上手そうで評判になったり。
その度に、マルコが全力でキレたりすんだけど。
☆☆☆が怒って止めたりして、なんとか収まっている。

ハッピーエンドなのかって言われたら、絶対そーなんだけどね。
それでも、その後もおれたちの生活は続いていくし、何が起こるかわかんねェ海賊生活。
まァ、マルコが幸せそーだから、それでいーかってことで!


〜HAPPY ENDING OF A STORY〜





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