その花の名2

Side:☆☆☆



ひっぱたいた掌がじんじんと痛い。
だけど、それどころじゃない。
なんなの。
なんなの、なんなの、なんなの、アイツ!
昨日店に来た時は、紳士的でイケメンで素敵なお客さんだと思っていたのに。
ちょっとどころか、だいぶ好感持ててたっていうのに。
だから今日、また会えたことにちょっとだけ幸せを感じていたというのに…。
まさかの、変質者。

閉めた扉の向こう側の変質者が、その後どうしたか様子を伺っていたけど、諦めてすぐ帰ったみたいだった。
そこだけは、ホッとした。
こっそり、扉をうすーく開いて外を覗いてみたけど、その姿はなかった。
外に出て一応確認してみたけれど、私が落とした本が階段の一番上に乗っていたこと以外は、いつも通りの静かな風景。
ほんと、なんて失礼な奴。
ありえない。
もう来ないだろうけど、次来たら大声で叫んで海軍に来てもらおう。
そうしよう。


なんて思っていたのに。
翌日も、また、来た。
っていうか、店内で仕事中だったから全くヤツだと気が付かないまま、店の扉が開く音に反応して、にこやかに接客をしてしまったんだ。


「いらっしゃいま………ッ…」


叫んでやろうと思ってたのよ。
大声を出して助けを呼んでやろうと。
だけど、目の前に危険人物が現れると、体が動かなくなってしまうものなんだと、頭だけは冷静になっていて強く思った。


「昨日の、…変質者…」
「変質者はねェだろうよい…」


私の独り言にも近い小さな声を拾って、奴が半ば困ったように笑って返してくる。
イヤイヤイヤ。
違うでしょうよ。
困りたいのはこっちだっつーの!
また同じことをされたら堪らないから、手近にある何か武器をと探してみても、いいものが見当たらない。
結局手に取ったのは、一番近くにあったバケツに活けてあったチューリップ二本だった。
確かに茎は太いけど…こんなの簡単に折れてしまう。
ああ…しまった。
ハサミだとか、ジョウロだとかの武器になりそうなものは、あろうことか入口に近い方に置いてある。
それはまさに、扉を開けたまま半身店内に入り込んでいる変質者の方が、その所在に近い。
なんてことなの。
出来るだけそれに視線を遣らないように。
この上、変質者に武器まで持たれてしまったら、勝機なんて全くないんだから。


「出て行って」


仕方なしに持ったチューリップを相手目掛けて向けるも、格好悪いったらない。
だけどここは、弱気になってはいけないと思った。
少しでも隙を見せたら、確実に終わる。
何しろ今目の前にいるこいつは、昨日信じられないことをやらかした、張本人なんだから。
絶対に、許すわけにはいかない。
きつめに睨んでいるのが効いているんだろうか。
いや、そんなハズはないだろうとは思うんだけど。
相手もその場から、こちらに近づいてくることはなかった。
いやでも、もう帰ってほしいんだけど…。


「花を…花束を、また作って貰えねェだろうか」
「……え?」


我ながら間抜けな返しをしてしまったと思う。
だってあまりにも、奴がおかしな頼みをしてきたから。
花束を、って。
昨日の今日で何考えてるのよ。


「作るわけ…」
「今度は、予算はこれで」


ポケットをごそごそとやるから、今度こそ武器を出されるのかと思ったけど。
その場から一歩も動かないヤツが私に広げて見せたのは、1万ベリーのお札。
それを、五枚。
5万ベリー?
それは一昨日頼まれた予算の、五倍だった。
おまけにそんな大金で、花束を作れなんていうお客さんは、今迄に来たことがない。
表通りの花屋ならまだしも、こんな路地裏の、契約したお店に卸す仕事以外にお客さんなんて滅多に来ない花屋になんて。
そんなお客さん来たことなんてない。
それに…。
それだけの金額を掛けたら、どんなに素敵な花束になるんだろうか。
実は興味の方と、お金に負けてしまった。
今月は、赤字ギリギリだから。


「わかった」
「ああ、ありがとよい」
「待って!絶対にお店には入らないで」
「ああ、これ以上は…」
「それに、扉を両方開けて!」


さすがにこいつと密室になんて居られるもんか。
お客さんはお客さんだけど。
警戒だけは怠れない。

私の言った通り、変質者は店の入り口の二枚ある扉を両方開いた。
店内に、外の光が差し込んでくる。
すっかり明るくなった店内に、幾分安心感が出てきた。
そしてさらに、入口から一歩も入らないように気を付けたとでもいうのだろうか、ヤツも、小さく一人で笑いながら、私の持っている二本のチューリップを指して言ったんだ。


「その勇敢な武器も、出来れば束に加えて欲しい」



むかつく!
むかつく!
ほんっと、なんであんなに余裕そうなの?
店内で花を選ぶ私を、腕を組んで入口に寄り掛かってじっと見ている。
見られている。
そんな風にじっと見られたら、せっかくの大きな予算で作る花束を楽しめないじゃない。
せっかくなんだから、綺麗に束ねてあげたいのに。
私の気がそぞろじゃ、集中だって出来やしない。
ほんとにもう、なんなのよ。
ずっと見てるから、私も気になってそちらへ視線を遣ってしまう。
目が合ったと思えば、ヤツの口角が上がるから、また腹が立つ。
その繰り返し。
何度も試行錯誤して、ようやくできた花束。
こんな状況じゃなければ、もう少し違った印象になったかもしれない。
でも怒っているからこそ、こういう激しい思い切った束にもできたのかもしれない。
こればかりは、もしもっていうのがないから、どうしようもないけど。


「はい、お題はそこの台に乗せて」
「ああ、ありがとう」


ぐいっとヤツの手の届くギリギリに花束を突き出してやると、素直にヤツも台の上に5万ベリーを乗せた。
だけど花束の方は、全くと言っていい程受け取ろうとしない。
イラつく私が何度推し進めても、それを手に取ることをしないから、ますます腹が立ってくる。


「早く、持って帰ってよ。また女の人へのプレゼントでしょう?」
「ああ、贈り物には違いねェが…この間みたいに、まじないは掛けてくれねェのかい?」
「まじない…?」
「美しくなりますように、って言ってたろ?」
「アンタ、バカにしてんの?」
「いいや、大真面目だ。あのおかげで、花が綺麗だとおれが思えたから」


確かにあれは、言霊で。
花に言い聞かせるといった感じだろうか。
昔から、そう願うと花が綺麗に輝いてくれるから、なんとなく毎回使ってきたけれど。
こんな風に、綺麗になったってお客さんから直に言われたのは初めてだった。


「心を、込められるかどうかはわかりません」
「それでも、構わねェよい」
「…はぁ……美しく、なりますように…」


いつもよりは、込められなかった。
やっぱり、いつもの半分程ではあるんだけど、キラキラと幾つかの水滴が輝くように瞬いた。
奴にそれを再度向けると、今度は満足そうに頷きながらようやく花束を受け取る。
さぁ、早く帰れ、
そして二度と来んな。
今度こそ、ハサミやジョウロ、カッター等は私の方が近い。
また何かしようとしてきたら、今度こそ。


「昨日の、詫びだよい」


手渡した花束の、花の部分が私の方へと向きを変えている。
目の前の男は、どこか照れたような、困ったような、そんな複雑な表情を浮かべながら花束をこちらへとむけている。
今作ったこれを、私に、と。
私に作らせておいて?


「うちの店で買った花束を、店員に渡すっていうの?」
「いいや、おれが買った花束を、渡したい女に贈るんだよい」
「受け取り拒否したいんだけど」
「その後はどうしてくれてもいい。また商品に戻したって…」
「そんなこと、するわけないでしょ!」
「飾ってくれりゃ、おれが喜ぶよい」
「なんであんたを喜ばせたりなんか…」


言葉の途中で、店内へ一歩足を踏み入れたヤツにぶわっと花束を押し付けられ、反射的に手に取ってしまった。
軽いはずの花束の重みが、完全に私の腕の中に戻ってきた時、奴はもうすでに私に背を向けて階段を下り始めていた。
慌てて追いかけたけど、もう階段を降り切ってしまっていて。
片手を挙げてひらひらと私にそれを示した後に、路地の方へと消えていった。
残されたのは、久しぶりに全開になった店の扉と、私と、腕の中の大きな花束。

なんなのよ…。



**********



あれからもう一週間になる。
ていうか、ちょうど7日目。
どうしてはっきり日数がわかるかというと。
奴は毎日、花束を買っては私にプレゼントしてくるから。
最初は、追いかけて花束でぶん殴ってやろうかなっていうのも考えたよ。
でもどうしても、花にも申し訳ないし、自分自身、こんな大きな花束を貰うなんて初めてで、出来なかった。
だから大きな花束がいくつも、部屋の様々なところで咲き誇っているんだ。

しかも奴は長居するわけでもなく。
お店の扉を全開にして、私に花束を注文する。
金額は三日目まで同じ5万ベリーを出してきていたけれど。
4日目からは、私が断った。
奴が私に花束を作らせ、それを私にプレゼントするという手段を使ってくるから。
私だって、当店の上限は1万ベリーですっていう強行手段に出てやった。
そりゃ、儲かるのは助かるしありがたい。
変質者からは、いくらだって奪い取ってやりたいけど。
だけどこれは、なんか違うと思うから。
それに、私の自宅がすでに花まみれで、これ以上大きなものは困るから。
多分、それが一番の理由。
多分。


今日もまた、来るのかなぁ…。
階段に腰かけて、本を開いてみたものの、内容なんて全く頭に入ってこないから文字を追うのは止めた。
あれから、奴は私に指一本触れてはいない。
それどころか、花束を作り渡し、それを贈られる一連の動作を必ずするんだけど、その時以外は近くにも寄ってはこない。
あの時、キスされたのが嘘のように思える程には、もう何もされていない。
い、いや、何考えてんのよ。
それが普通。
あの出来事が、異常なの。
だけどもう、本当に花を受け取るわけにはいかない。
そろそろ部屋の花瓶も埋まってしまっているし。
何より、さすがに、もう怒ってないから。
そりゃびっくりしたよ。
あの時は、全く知らない変質者にそんなことをされたんだから。
怒って当然。
だけど、この一週間、彼の為人を間近で感じてみると、本当はそんなに悪い人じゃないのではないかという疑問が生まれてくる。
話し方や物腰は柔らかいし。
ちょっとしたことでも、優しさがあふれる行動をしている。
顔もイケメンだし、身長も高い。
何より、笑った顔が親しみやすいというか、可愛いというか…。
ああ…、ほだされている気がする。

そう考えているうちに、ほら、来た。
高身長で、特殊な髪形を揺らしながら今日も路地を歩いてくる。
そして外にいる私を見て少しだけ驚いた顔をしたけれど、すぐに笑顔になって片手を挙げている。
嬉しそうにしてんじゃないわよ。
ほんと…憎めない顏しちゃって。


「今日も、花束を作ってくれるかい?予算は上限で頼むよい」
「今日はダメ、もう店仕舞いよ」
「店員がいて、店の中に花があってもか?」
「そう、その花は他のお店に卸す花なの。だから代わりに、仕分けする作業を、手伝ってくれない?」


私の提案に驚いて目を見開いていた姿は見た。
私に近寄らない為だろう、階段の一番下で足を止めた彼が、そのまま立ち尽くしていたから、置いてきた。
彼に背を向けて先に店の扉を開いて店内へと入った。
これで、帰るようならそれでもいい。
花束を買って贈られてっていう奇妙な関係は、もう終わり。
先に店に入って10秒程遅れて、背後から扉が開く音がした。
彼が手をかけて開いた扉は両方のそれで。
いつも、注文通りに花束を作っていた時と同じように、店の中が明るく照らされていた。


契約している呑み屋や、レストラン、それから小さなダンスステージ等、合わせて6軒。
少ないけれど、大事な固定客で。
そこには基本二日に一回、花を下ろしている。
店によって、趣向が違うから、色や花の種類を、好みに分けなきゃいけない。
これも大事なうちの仕事ではある。
いつもは一人でやっているんだけど…。


「チューリップを1番のバケツに入れて」
「チューリップ……ああ、武器な」
「そんな冗談が言える立場だと思ってるの?」


彼が手にしたチューリップも昨日と同じ二本で。
それを見比べていると、不思議な感覚なんだけどなんだか笑えた。
ぷっと噴き出したのと同時に、相手も笑っている。
二人で一緒に笑っているとこの間のことが浄化されるような気がした。

それからは、普通に、なんていうか友達みたいに接することが出来た。
彼も私の指示通りに花を仕分けしてくれている。
最も、あんまり花の種類は知らないみたいだから、説明しながらだったけれど。
それでもひとりでやるより、ずっと早く終わった。
後は時間通りに来たバイトの子にそれを引き渡せば、とりあえず作業は終わり。
階段下で配達の子を見送ってから、店内に戻ると、彼がガーベラの入ったバケツの前に屈んでいた。
私が戻ったことに気が付いた彼が、そのうちの一本をそこから引き抜いた。
一本の花は、黄色のガーベラで。
私がさっき教えたように短く切る際には、水切りをしている。
パチンと小気味いい音がしているし、その切り口を見る限り斜めになっているから、一度しか伝えていないことでもきちんと学べる人なんだろう。
その短く切ったガーベラを持って、私の真正面までやってきた。


「バイト代、花を一輪貰ってもいいかい?」
「それだけでいいの?だとしたら、私すごく儲かった気がするわ」


軽口のつもりで返したら、見上げる程に大きい彼の口元が柔らかく緩んで。
花を持った手がそっと私の耳の上まで移動してきたら。
そのまま、短く切った花を髪の中に差し入れられていく。
その動きが優しくて、茎が通る感覚がダイレクトに伝わってくる。
どちらも言葉を発してなくて静かな中、それは花弁が耳に触れるまでの短い間、続いた。


「よく似合ってる。可愛いよい」
「あ、あり…がと」


じゃあなって、私の頭をそっと撫でた後に、横を通って開きっぱなしだった店の扉に向けて移動していく彼。
待って。
まだもうちょっとだけ。
もう少し、話していたいの。
そんな気持ちを頭で認識するよりも先に、体が動いてしまった。
思わず振り返り、声をかけるより先に届くギリギリだった彼のシャツの裾を掴んだ。
くいっと引っ張られる感覚だったんだろう、それに気が付いた彼が足を止める。
自分でも、どうしてそう思ったのかわからない。
でも自然に引き止めちゃった。
引き止めちゃったよ!?
ほんと、なんで…。
動揺が隠せず、彼にどんな顔を向けていいのかもわからなくなった私は、とりあえず作業台へ。
下を向いて彼を見ることもできないまま、作業台に散らばっている花の葉を、ぎこちなく動く指先に力を込めて集めながら。


「あの、…ほら…手伝って貰ったし、お礼に、コーヒーくらいご馳走するから、飲んでってよ…ッ」


一人で慌ただしく、時々つっかえながら独り言のように言葉を発していると、ふわりと後ろから包まれる感覚。
すでに前に見えている、彼の両腕は私の肩をしっかり後ろから抱きしめていて。
それから背中に密着していく、彼の胸板。
後頭部には彼の頭に触れているんだろう。
呼吸するたびに、それが伝わってくる程の密着。
やばい、頭の中が真っ白になりそう。
コーヒーのお誘いの返答がないままだから、私も黙っているし、彼も黙ったままだし。
それをいいことに、声が出ない程驚いた事実だけは、隠せている気がした。


「信用、得るために絶対何もしねェつもりだった」
「え…、だって…あの…ッ」
「お前が引き止めたんだからな、責任取れよい」
「…ご、ごめん…l
「今日、いろいろな花の名を聞いたが、一番知りてェ花の名をまだ訊いてねェよい」
「なんの、…はな?」
「この花」


ぎゅうっとさらに強く抱きしめられていく。
彼がしゃべる度に、同じ方にあるガーベラが揺れて、くすぐったい。
その間もますます腕の力が込められいき、締め付けは苦しくないのに。
鷲掴みにされているのは心臓の方だったようで。
きゅうっと高鳴る気がした。
なんとか振り絞った声は、ちゃんと彼に聞こえていたかどうか心配になる程、小さなものだった。


「☆☆☆、です」
「そうか、美しい名だよい」


あなたは、と訊き返そうとしたんだけど。
より一層、彼の唇が耳へと近づいてきた気がして、一瞬自分の呼吸が止まったかのように感じた。
そしてまた、声を発するのが難しくなる程に緊張が走っていく。
ほんと、こんなの慣れない。
こんなのされたことないよ。


「☆☆☆」


更に、熱っぽい声色で名を呼ばれたら、またビクンと体が反応してしまう。
やだ、もう…ほんと、どうしよ。


「な、なに?」
「いや、口に出してェと思ってな」


呼びたかっただけだ、なんて追加で掠れた声色で言われたら。
もうほんと、どうしていいかわからない。
でもよく見ると、私の目の前にある彼の指先が、極僅かにだけど震えているのが見えた。
彼も、緊張している?
あの日、あんなに大胆に突然キスしてきたくせに。
私を抱きしめ、そして名を呼ぶだけで緊張しているらしい様子を見ていると、可愛らしく思えた。


「☆☆☆」
「もうッ…何よ」
「……好きだよい」


彼はそう言った後に、ぎゅうっと強く抱きしめ、顔を私の頭部に埋めているような呼吸の感じがあった。
密着しているから、彼の緊張が私にもきちんと伝わってくる。
私に好きと伝える為だけに、こんなに緊張をしてくれている。
私だってドキドキして震えているんだけど。
勇気を出して、彼の腕へ指先をそっと添えた。
彼は瞬間的に驚いた様子で、小さくビクッと反応を示している。
だからそれに乗じて、彼が気づくか否かわからない程に小さく、首を縦に一度振った。
極小さな動きだったけど、きちんと伝わったようで、一度緩められた腕の力がもう一度強められて、きつく抱きすくめられた。






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