Ti adoro3

Side:Marco



キスをしようと思った。
暗がりの映画館で、個室まで予約したんだ。
目的は、最初からそれだった。
一目惚れをした女を自分のものにしたいと、少々焦っていたのかもしれない。
多少強引でも、先にキスをしてしまえば落ちるだろうと。
それくらいしか、思い浮かばない自分が情けねェなと、後で思い切り後悔することになってもだ。
自分の周りにいるコバエのような女達は、基本相手からキスを迫ってくるもので、自分から何か行動を起こしたことなんかねェ。
好意を寄せられれば受け入れ、飽きられて離れていくのは追わない。
それがおれのスタンスになっていった。
サッチに言わせりゃサイテーらしいが、性に興味を持ちガキだったおれは、女性に翻弄されて歳を重ねていくうちに、気持ちに興味がなくなってしまったようだ。
好きだとは嫌いだとかの感情の有無関係なしに、女は抱ける。
そうやってずっと過ごしてきた。
そのうち、それすら面倒だと感じるようにもなった。
いい歳にもなった。
女性を隣に置かなければ困るという年齢でもなくなった。
幸い、オヤジはおれ達の恋愛事情には口を出さず、好きにしろと放任だったのも助かった。

だがあの日、どうしようもないくらい、彼女に恋慕した。
自分でもすぐには気が付かなかった程だ。
眠る彼女の顔を見ていてようやく気が付いたくらいで。
それはおそらく、会話をしている時に起こったようで…。
面倒なことに、おれの変化にいち早く気が付き、そして何か企みを持った目で見てくる奴が二人もいた。
サッチに、イゾウだ。
イゾウは初日に気を効かせて帰ったし、サッチはあの晩、彼女の来店を知らせに何度も電話を鳴らしてきやがった。
おれと☆☆☆さんが会えるようにと、気を効かせたつもりだったんだろう。

だから今日、キスをしようと。
何度もチャンスはあったハズだった。
車の中、ウェイティングルームで密着していた時、それから映画の最中に涙を拭った時。
いずれも機会は逃した。
無理にでも近づけば出来たハズだが。
☆☆☆さんの目を見ているうちに、出来なくなってしまった。
ただ純粋に、おれを見つめてくる目に、負けた。
キスをすれば、恐らく部屋に連れ帰り今夜にでも抱いただろう。
だからこそ、そんなに単純に彼女に触れていいものかと、躊躇した。
もっと大事にしねェと、と本能で止めたとしか言いようがねェ。
だがさすがに、報酬なしというのも些か面白くはなく、抱き寄せた頭部に唇を寄せた。
おそらく彼女は気が付いてはいないだろう。
たった一か所だけ唇が触れた☆☆☆さんの頭。
シャンプーだろうか、いい香りがして鼻孔に響いた。
心にも。



「映画、すごく良かったです」


さっきまで泣いていたのに、今も瞳は濡れたままだが、もうはしゃいでいる。
慣れない映画館で緊張もしただろう。
触れた手や肩は震えていたが。
それでも映画を楽しんでくれていたようで、安堵した。

主人公のあの時の気持ちが共感できたとか、あの時は一緒に悲しくて泣いたとか、表情豊かに語る彼女の笑顔が眩しい。
心揺さぶられているだろう☆☆☆さんを見ていると、確かに自分もスクリーンの中の人物にいくつか共感した部分があった。
抱きしめたいと相手の背に腕を回そうと決意するも実行出来ず、拳を握り込んで耐えた主人公。
そこは抱くとこだろ、と鼻で笑う以前の自分の声が聞こえた気がしたが、今ならその気持ちが少しだけ理解してやれる。
邪な気持ちで、恋愛映画なら満足だろうと適当に選んだ自分を、心の底から恥じた。

未だに握りしめられているおれのハンカチ。
気にする必要はないと伝えたが、洗って返すと聞かない☆☆☆さんにおれが折れた。
☆☆☆さんはそれを大事そうに時折胸に抱くから、胸にあたりがチリチリと燃えるような感覚に陥る。


「どこか行きたいところはあるかい?」
「晩御飯、ご一緒できるなら、サッチさんのお店がいいなって思ってます」
「サッチの店か…今日はダメだい」


泣いた後の☆☆☆さんの顔を見ていると、あいつらに見せてやるのは勿体ねェと思った。
専用エレベーターで駐車場へ下る際、彼女の小さくて細い肩をもう一度抱き寄せたいとの衝動と戦った。
先程腕に抱いた彼女の柔らかさ。
腕の中で緊張をして次第にかたくなっていく身体。
キスどころか、あの場で押し倒したいとさえ欲が沸いた。
いや、ダメだろい。
おそらく☆☆☆さんはおれが好きだろう。
そんなことは火を見るより明らかだ。
今朝までは、…いや映画を見る直前までは、自分の女にしようと意気込んできたハズだった。
なのに今は、どんな風に愛そうかと、そんなことばかり考えている。
何が彼女の為になるのか、と。
どうしたらまた、笑顔が見れるのかと。

サッチの店はダメだと伝えると、おれが笑っていたからだろう、彼女も笑って、その後ふざけたように不貞腐れた素振りを見せてくる。
そんなじゃれたようなやり取りも、くすぐったさを感じていた。
駐車場に着き、彼女を車に乗せると、早々にその場を後にした。
都会の喧騒に紛れるのがイヤだったのと、自分の邪な気持ちをここに置いて去りたいのと、二重の意味で。


「飯の前に連れていきたいところがあるんだよい」
「はい、是非。楽しみです」


もうおれのハンカチはバッグに仕舞われていた。
洗って返す、と絶対に意思を曲げなかった彼女。
だが今は、それを返却してくれる為にまた会える、と心が躍った。
おれが?
そんな風に考えている自分に少し笑えた。

向かう先は、仕事で疲れた時に一人で行く場所。
誰かを連れていったことなどない、自分だけの聖域だと思っている場所だ。
おそらく女を連れていけば喜ぶだろう場所でもある。
今までそうしなかったのは、単に面倒だったから。
行く道すがら、会話をするのも面倒であったし、場所を知られてその後に偶然会うってのも面倒だからだ。
時刻は17時過ぎ。
まだ陽が落ちるには十分時間があると思った。
気持ちが軽いとハンドルも軽く、車はすいすいと上り坂を上っていく。
隣で景色を眺めながら、時折会話をして笑う彼女を見ていると、更に心が軽くなる気がした。



**********



「わぁ〜…綺麗」


サンセットには間に合った。
まだ陽は落ちず、辺りを照らしている。
だがもう赤く染まるそれは、もうすぐ陽の入りを示していた。
陽があるうちで良かった。
高台になっているここは、絶景ではあるものの車を乗り入れるのが割と面倒で、夜景スポットになっているのは反対側のようだ。
それに反対側の方が建物も多く、夜景には最適だろうと思う。
此方側はというと、僅かに下方に建物が見えるが、そのほとんどが海だった。
ただ一直線に見える空と海の境。
そこに、空も海も赤く染めながら落ちていく陽。
夕刻に来なければ、決して見られない景色だった。

☆☆☆さんは車を降りたと同時に、かろうじてある手すりまで移動し、景色に見とれて感嘆の声を上げている。
ああ、今日はその声だけで、おれは満足だ。
自分も見慣れた景色を眺める。
同じ方を向いて同じものを見る、それが今は幸せに感じていた。


「今のところ、おれが落ち着ける場所のひとつだよい」
「よく来るんですか?」
「自室からはさすがに海は見えねェからな、見たいと思った時に、来る」


車があるって羨ましい、と独り言のように呟いた彼女の髪が風に揺れる。
一瞬一瞬色が違って、先程ここにたどり着いた時よりも、夜が色濃く出てきてしまっている。
そんな、昼と夜の狭間の色が、☆☆☆さんを彩っているようだった。
車の傍に居たおれは、ゆっくりと☆☆☆さんの方へと近づいていく。
足もとで、小枝か何かだろうか、踏むとパキッと小さく音が鳴るから、移動しているのが彼女にも知られているだろう。
そんなことはいいんだ。
逃げられさえしなきゃ。
思惑通り、難なく彼女の背後へと移動していく。
おれが背後に立つことで、やはり緊張するのか、ピクリと☆☆☆さんの肩が震えた。
あまり一気に動くと呼吸困難になりそうだなァ。
さっきもそうだった。
映画館で肩を抱き寄せた時のこと。
呼吸音が少しだけおかしくて、ある意味不安になったものだ。
それを知るからこそ、ここではゆっくりと進めたいと思った。
あの時の二人きりと、今の二人きりじゃ、意味合いが更に異なることだし。

いきなり背後から抱きしめるわけにもいかず、胸元で握りしめられている彼女の手に自らのそれを重ね合わせていく。
素肌同士が触れ合った瞬間は、また☆☆☆さんの腕がビクッと小さく震えた。
咄嗟にもう一方の手も、胸元へと移動させてしまったのだろう。
おれとしては好都合だ。
躊躇なく、もう一方の手も、彼女の手の甲へと這わせる。
手の上を通じて、両手で彼女の身体を包み込む格好となる。
反応は…。
ああ、耳まで真っ赤だよい。
暫くその格好で共に海を眺めていたものの、次第に落ちていく陽。
☆☆☆さんの身体の温もりと、香りに酔いしれていると、辺りが暗くなってきているのを感じた。
そろそろ海も見えなくなっちまう。
こんな道の外れた端にいると、不安にも感じてくるだろう。
頃合いか…。
丁度あごの下にある☆☆☆さんの頭部へ唇を触れさせてやる。
何をされているのかは気が付いていないだろうと思う。
おれだけが知る、彼女への悪戯。
ゾクリとした。
その後、ゆっくりと手の甲から素肌を離し、更にゆっくりとした動きで、今度は片方の腕で彼女の肩を、もう一方で腰を抱きしめていく。
最初は触れるだけだったそこに、僅かに力を込めていき、逃れられないようしっかりと抱き込んだ。


「☆☆☆…」


後ろから抱きしめた為、計らずとも耳元で名を呼ぶことになる。
抱きしめたことと、名を呼んだことの二重で、腕の中の☆☆☆がビクッと大きく震えた。
決してイヤではないハズだ、との確信を持って訪ねていく。


「イヤだったら、突き飛ばしてくれていいよい。…その時は家まできちんと送り届ける」


腕の中の☆☆☆は、首を左右に必死に振っているようだ。
一瞬どちらの反応なのか迷うその仕草。
確信があったハズなのに、一瞬でも迷ってしまう自分。
それでも名を呼んだことへの抗議はなく、抱きしめていることへの不満の声も聞こえてはこない。
これは、了承の意思と汲んで問題ないだろうと、胸が熱くなる思いだった。
思わず喉を鳴らして声に出て笑ってしまうと、どうやらそれを勘違いした様子で…。


「ち、違います…ッ…いやじゃ、ない…ッマルコさん、私……あの、私……ッ」
「…好き?」
「…ッ…ぅ…ッ……ん…」


反射的に先走って尋ねてしまった。
2、3回小さく頷いた後に、それではわかりにくいと判断した様子で、呼吸を乱しながら大きく一度頷いている。
必死な様子に、胸が高鳴る思いだ。
それに、さっきから腰が疼いて仕方ねェ。
だがその気持ちだけは、今は必死に堪える。
時折☆☆☆の方から小さく鼻が鳴る音が聞こえた。
ん?
泣いているのか?
顔を覗き込むもよく見えず、仕方なく抱きしめる腕を一本解いて髪の毛を耳に掛けてやる。
改めて顔を確認すると、耳だけではなく頬も真っ赤に色がついていた。
確かに落ちかけの夕陽も当たってはいるものの、その色だけではなさそうだ。
泣かせるのは、不本意で。


「今は、ハンカチ持ってねェんだい、だから泣くな」
「だ、大丈夫…ッ…ごめんなさ、…なんでだろ…?」


何故泣くのかはおれにもよくはわからなかったが、愛しさが増したのは事実だ。
泣く女は面倒だというようなニュアンスのことを口にしているから、未だ目の端に残る涙へ唇を寄せて拭ってやった。
驚いた目をして横にあるおれの顔を凝視している。
その目線が、おれの目から唇へ、そして再び目へと戻り、はっきりと分かるように泳ぎ出すから見ていて飽きない。
ずっとこうして、彼女を腕に抱き込んだままいたかったが、すっかり陽が落ちてしまっている。
街灯のないここは、月灯りしか頼りものはなく、腕の中に☆☆☆がいるのがわかるのは、抱きしめているからこそで、視界での認識が危うくなってきていた。


その後、晩飯はやはりサッチの店は避け、別の店へと車を進めた。
味の保証は、サッチの店で間違いはないんだが、☆☆☆の泣いた後の顔はやはり、他の奴には見せたくねェと思ったからだ。
うるうるとした瞳が、今も僅かに残る為、勿体ねェ。
こんな風に潤む目を見られるのはおれだけでいいと、独占欲も丸出しだった。
それにおれが泣かせた事実はあるが、あらぬ疑いをかけられそうだというのもあった。

高台になっているところは、有難いことに飲食店も多い。
美味い飯に、絶景とあらば客も集まるからだろう。
実際この周辺にも、オヤジを含む兄弟達が好んで使用している店がいくつかある。
そのうちの一軒の、フレンチレストランにすることにした。
予約は入れていなかったが、普段よく仕事でも使う店の為、店長も気を効かせてくれたようで、個室が取れた。
気軽に来られる店ではない故、☆☆☆は恐縮してしまっていたが、個室でゆっくり会話を楽しむうち、いつもの笑みが見られた為安堵した。
それに、輝くような笑顔で、美味しいと口にするのを見ているのは、心地がいいものだなと思った。
連れてきて良かった。
それは最後のデザートまで続き、おれを満足させた。
この店はワインも美味いんだが、おれが車の為気を使ったようで、何度勧めてもアルコールは一切口にはしなかった。
初日に酒で失態を犯しているから、遠慮する気持ちはわからないでもないが。



**********



「今日はご馳走様でした」


昼に迎えに来た時と同じように、☆☆☆のマンション横に車を付け、無事送り届けた。
時刻は22時を過ぎたところ。
送りオオカミにならない為にも、路肩に車を停めた。
偉いだろい。


「楽しかったです、本当にありがとうございました」
「良けりゃ、また連絡するよい」
「はい、是非!またお会いしたいです」


ニコニコと笑顔を向けてくれるその姿が、とても可愛らしかった。
おれをこの場で見送るつもりなのだろう、二歩程離れたところで、胸元で軽く手を振っている。
おれもこのまま、車に乗り込んで岐路に着こうと思っていた。
その時までは、そう思っていたんだ。
明日も仕事だろう、おれもそうだ。
長居をするのは得策ではないと。
車に乗り込もうと、もう一度だけ☆☆☆を振り返ってその顔を見た時に。
見ちまったんだよな。
それは一瞬のことで、おれと目が合うとすぐに同じ笑顔に戻ってはいたが。
まるで、ここで離れることが淋しいと思っているような、そんな表情。
そんな顔でおれの背を見送ろうとしていたのかと、ズキズキと胸が痛んだ。
愛しさが溢れんばかりに沸いてくる。
間髪入れず、無意識に彼女の手を引いて胸に抱き込んでいた。


「マ、マルコさん…ッ…」
「なんて顔してんだい」


腕の中、首を左右に振るからそれを止めたくて、腕に力を込めて抱きしめた。
僅かながら震える☆☆☆は、おずおずとおれの背に両手を回してくる。
その存在を確かめるように、腕を交差させて掌を彼女の身体に這わせた。
暫く抱き合った後に、もう一度☆☆☆の顔を見ようと、その腕の力を緩めて覗き込んだ時。
恥ずかしそうに俯く仕草が目に入る。
それだけで十分だった。
キス、してェ。
心の底から、ただ触れたいと願った。
我慢していた欲望が一気に溢れ出す。
俯く☆☆☆の両頬へ両手で添えて、無理のないように顔を上へと向けさせていく。
大人しく顔を上げておれと目を合わせたものの、その目は再び潤んでいる様子だった。
吸い寄せられるように、背を屈めて彼女の唇に自らのそれを重ね合わせる。
数秒程、重ね合わせた後、ゆっくりと離した。
なんて柔らかな唇だ。
触れた自分のそれが、まるで初めてキスを覚えた時のようにもう一度と強く望むのが伝わってくる程だ。
目を強く閉じている☆☆☆の顔が視界に入る。
それすら愛おしくて、もう一度触れそうになる己の唇を留めて、背筋を元に戻した。
これ以上してしまえば、車に押し込んで連れ去りそうだったから。
それ程柔らかな彼女の唇が、おれを酔わせた。
振り払うのには相当な覚悟がいるよい…。
間近で開いた彼女の目の中に、自分が揺れながら写っていたからだ。


「おやすみ、…またな」
「は、はい…ッ…おやすみなさい」
「ここで見送るよい、マンションに入るまで見てるから」


☆☆☆もおれを見送るつもりだっただろうが、とてもここに彼女を置いていける気分じゃなかった。
ならば、彼女の方から家に戻って欲しい。
戸惑いながらも☆☆☆は名残惜しそうに何度も振り返りつつ、手を振りつつ、マンションのエントランスへ消えていった。
この光景は、前に駅まで送った時にも見た気がする。
その時よりも、まるで違う感情に驚いていた。
その時から今日までに抱いていた邪な気持ちと今はまるで違う。
純粋に、心から純粋に彼女を欲した気持ちでしたキス。
それならば、許されるだろうか。

思えば自分から女に惚れたのなんか、初めての経験だった。
童貞でもないくせに、ガキのそれよりもタチの悪い、おれの初恋だった。




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