Ti adoro2

Side:☆☆☆



今夜は仕事終わりに、サッチさんのお店へ立ち寄ってみることにした。
少しだけ残業をしていたら、夕食時間はとうに過ぎた頃になってしまったけど。
あの夜から、初めてここに来る。
マルコさんとは、あの後私の日程をお伝えして、それを確認してくれたお返事が来て以来、連絡は取っていなかった。


「お、☆☆☆ちゃん!いらっしゃ〜い」


外見は相変わらず殺風景で、今日も看板の電飾が点いていなかったから開店しているのかわからなくて不安だったけど。
思い切って扉を開いてみると、変わらない室内の暖かさ、変わらないサッチさんの笑顔、そして変わらない男性ばかりのお客さん達。
もうすでに、だいぶお酒が回っているのか、女子だぁ〜と全員で乾杯をしているのが見えた。
あの時と同じ、マルコさんの姿も、ない。
そしてあの夜と変わらないのがもう一つ、イゾウさんの位置だ。
カウンターに座っていて、静かにお酒を飲んでいる様子だった。


「先日は、ありえない痴態を晒してしまって、…すみませんでした」
「ん?…あぁ、いーっていーって!女の子の寝顔は、全てを帳消しにするからさ」
「あの時のお代、今日の分と一緒にお支払いしてもいいですか?」


一応了承を得てイゾウさんの隣に座リ、サッチさんに尋ねると首を傾げているのが見える。
その後、ポンっと握りしめた拳をもう一方の掌に当てていい音を立てながら、にっこり笑顔になる。


「あれならマルコにもう貰ったぜ、訊いてねェ?」
「いえ…?」
「あいつと連絡先交換してねェの?」
「させて頂きました」
「じゃあサッチが無粋だ、格好つけてェんだろうよ」


くっくっと喉を鳴らしてお酒を手にしたイゾウさんが笑う。
イゾウさんの手元には、今日は清酒…?
透明な徳利に、お猪口。
それに横に並べられているのは、どう見ても冷奴と焼き魚だ。
手にしたメニューとイゾウさんの手元を見比べている私の姿が面白いんだろう、口元を緩く曲げて笑みを向けてくれている。


「☆☆☆さんも、好きな食べ物を言ってみるといい、大概なんでも出てくるぜ」
「ちなみにおれの得意料理は、ハンバーグだぜ」
「せっかくなので、ハンバーグ下さい!それと…白ワイン、グラスで…って合わないですかね」
「合う合わないなんて、口にしてから考えればいーって、好きなモン飲むのが一番」
「ここはイタリアンって銘打った、ただの居酒屋だからな」


エースさんがグラスワインを運んでくれると、イゾウさんが私の方へとお猪口を向けてくれていた。
そこにごく軽く、グラスの縁を当てて乾杯をした。
すると後ろから、おれもおれも、と何人もの男性客が押し寄せて来て、それはそれは大きな乾杯となってしまう。
エースさんや、お茶らしきグラスを手にしたサッチさんも加わってくれて、本当に楽しい空間になった。
それなのに私は、ここにマルコさんもいてくれたらな、なんて考えてしまう。
知らない間にご馳走になってしまっていたのに、お礼も言えてなくて。
むしろあれ以降、連絡も取り合っていないし、まして会ってもいない。
もしかしたら、もう忘れられてしまっているかもしれないのに。
だってあんなに格好いいんだから、女性が放っておくはずがないもの。
今頃、もしかしたらデートしているのかもしれない。
チラリと時計を見ると、もう21時を過ぎている。
さすがに、これから来るなんてことはなだろうと思った。
今度、私から連絡をしてみようかな。
そう思いながら、ワインと一緒に貰ったお通しの、生ハムを口に入れた。
生ハムから大葉が出てるなとは思ってたんだけど、中には大葉だけじゃなくて…大根も一緒に巻いてある。
生ハム、大葉に大根、そこにイタリアンドレッシングがかかってて、すごく美味しかった。
ワインにもけっこう合う。
サッチさんて、本当に料理が上手だし、手先も器用なんだろうなぁ。

そしてハンバーグも出来立てぐつぐつのを出して頂いて、美味しく食事させて頂きつつ、イゾウさんとも楽しくお話をさせて頂いた。
イゾウさんは話題も豊富で、物腰も柔らかくてとても素敵。
そこに時々サッチさんや、ハルタさん、エースさんが混ざってくれて話題も盛り上がる一方だ。
グラスワインを二杯目お願いした時に、横の扉が勢いよく開いた。
それは本当に、何の前触れもなく開いたため、思わず凝視してしまったくらいだ。
開いた扉の先に現れたのは…。


「おーマルコ、いらっしゃーい」
「サッチ、てめェ…何度も電話鳴らしてんじゃねェよい。用件を言う前に切るとは、どういう了見だい」
「え、おまえ、寝てたの?早くね?」
「疲れてたんだよい」
「晩飯まだだろ?それに、用件でかい声で言っていーなら、今言うけど?」
「……メッシーナ」


確かに、なんだかいつものキリっとした表情とは少し違うみたい。
疲れているのか、目元が僅かに窪んでいる。
おまけにスーツ姿じゃなく、Tシャツに黒っぽいコットンパンツ、その上にシャツを羽織ってきたという格好だった。
緩い感じがまた格好いい…。
スタイルがいいとなんでも似合っちゃうんだなと思った。
久しぶりのマルコさん。
あれから…五日ぶりくらい?
頭をガシガシと掻きながら、私の隣の椅子を引いてそこに腰を下ろした。


「こんばんは」
「こんばんは…あの、この間ッ…ご馳走様でした」


眠そうな目を見開いて、ん?と僅かに考えるような仕草をしている。
その後、理解した様子で二度程頷き、そして小さく笑ってくれた。
一瞬忘れられたのかと不安になったから、その笑みを見て心底安心した。
その後エースさんが、私のワインとマルコさんのビールを同時に運んできてくれたから、またその場で皆で乾杯することになった。
そして間髪入れず、サッチさんが私と同じハンバーグをマルコさんにも出している。
私も驚いたけど、マルコさんも早いな、と驚いている様子だった。
サッチさんは片目を瞑って、来ると思ったから、と爽やかに笑ったんだ。
それを見たイゾウさんが隣で吹き出している。


「よぉし、店はもうおしまい!おれも飲むぞ〜」


週もまだ半ばだというのに、サッチさんもビールを取り出して、コックコートのまま飲みだしてしまった。
この間はカウンター席にいたんだけど、今日は何故かお店のお客さん全体で会話をすることになってしまい、テーブル席を無理やりくっつけたところで皆で頭を付き合わせてお話をした。
聞けば全員身内だという。
そこに私も混ざっていいのか疑問だったけど、皆が受け入れてくれたから、心地よくて甘えてしまった。
マルコさんとは、一言二言、話しただけで、すでに時刻は23時。
話せないまま、時間だけが過ぎていく。
明日も仕事だから、リミットは刻一刻と近づいてしまっていた。



**********



「すみません、送って頂いて」
「今日はおれも飲んじまったから、徒歩で悪いな」
「そんな、気にしないで…っていうか、マルコさんもしかして、ご自宅はこの辺なんじゃないですか?」
「まァ…。駅の方に用事があるんだよい」


23時半になって、そろそろお開きに…となってしまい、帰ろうとしたらマルコさんが着いてきてくれた。
他の皆さんも、誰一人駅に向かう人はいないみたいで、マルコさんとふたりきりになる。
繁華街とはいえ、週の真ん中の日で人影もまばらだ。
酔って大きな声を出してしまっているおじさまもいて、割と女性の一人歩きは怖いとは思う。
だから送ってくれてるんだとは思うんだけど。
こうして隣に並んで歩いていると、期待してしまうから困る。


「あの日は、眠れたかい?」
「はい、起きたら夕方で…だらだらとしただけで終わった日でした」
「そりゃそうだろうなァ、店でも爆睡してたよい」
「もう…ほんっと、恥ずかしいです…」
「次の休みは、日曜日、だったかい?」
「はい、おやすみです」
「あァ、良かった。この間言っていた映画でも、行かねェかと」


前に送って貰った時に約束した映画。
そう、私も言いたいなと思いながら、ただの社交辞令だったらどうしようと、なかなか言い出せなくて。
良かった、覚えててくれたんだ。


「行きたい!…です、是非」
「ああ、じゃあ日曜13時、マンション前まで迎えに行くよい」


日曜日の約束をしながら歩いていくと、あっという間に駅まで到着してしまい、マルコさんと歩くのも終わりを迎えてしまう。
いつもは会社からの道のり、遠いななんて悪態をついていたというのに。
今日だけは、もう少し長くてもいいのにと思う。
勝手な言い分だ。
マルコさんと別れ、改札を通り抜けてホームを目指す。
なんとなく、振り返ってみると、そこにはまだ、マルコさんの姿が。
振り返った私に気付いてくれた様子で、片手を上げてくれている。
胸元で片手を上げて左右に揺らすと、マルコさんの掌もひらりと揺れる。
その背の向こうは暗いのに、マルコさんに当たる蛍光灯がやけに綺麗に反射していた。
思わずその場で足を止めて見ていたい程だった。
さすがにそういうわけにはいかなくて、ホームへの階段を上る為にまっすぐ進んだ。
脳裏には、さっきの光景がずっと残ったまま。
頬が熱いのは、結局三杯飲んだワインのせいか、マルコさんのせいか。

日曜日、何着ていこう。
そんなことばかり考えていた。



**********



日曜日、時刻は12時45分。
身支度なんか、もう1時間も前に終わってしまった。
もうこれ以上することなんかなく、待ちきれなくて、結局待ち合わせ時間よりも15分も早く降りてしまった。
マルコさんはいるかな……発見してしまった。
マンション前より少しはずれたところに車を止めて、そのサイドに寄り掛かっている。
時計を確認した後、顔を上げたマルコさんと丁度目が合う。
思わず駆け寄ると、車から身体を起こして私の方へと一歩踏み出してくれた。


「すみません、だいぶ待ちました?もう少し早く降りてくればよかった…」
「お互い、約束時間よりも前だよい」
「お待たせしたら申し訳ないって思ったんです」
「おれは家で待ちきれなくて早く出ちまった」


行くか、と続けて助手席の扉を開けてくれていたけど。
その言葉を聞き逃せなかった私は、すぐに心が熱くなっていくのを感じた。
エスコートされて車に乗るも初めての経験のはずなのに、もっとすごいことを言われた気がして、そのことばかり脳内を巡った。
改めて車に乗せて貰うと、やっぱり思ってる以上に広い。
それに、椅子の座り心地の良さったら。
実家の車にも、友達の車にも、こんなのは今まで経験がないくらいだった。

マルコさんは今日もスーツ姿ではないけど、この間のラフな格好でもない。
モデルみたい…。
私の格好、大丈夫だろうか?
マルコさんが格好よすぎるから、隣の私が貧相過ぎて笑われないだろうか。
そんなことばかりが気になって、不安に陥った。
マルコさん自身は、そんなこと気にも止めていない様子で、話題を振ってくれているんだけどね。
その話題が面白くて、楽しくて。
少し低めの落ち着いた声が素敵で、優しくて。
車のシートに溶けてしまいそうな気分になる。


やがて車が建物の中に入って、駐車場に収まった。
なんだかまたドアを開けて貰うのも申し訳なくて、マルコさんが車から降りたと同時に、私も助手席から降りた。
それを見たマルコさんが、少しだけ驚いたような表情をして、そして小さく笑った。
こういうところだと思う。
男性に縁のない数年を過ごすことになっているのは。
こういう時に、素直に下ろして貰うような女性を目指していたハズなのに、どこから道を反れたのか。
子供の頃は、二十歳を超えたらピンヒールを履くものだと思っていたのに、当に二十歳を超えた今でも、履いている靴は踵のそれほど高くないパンプスで。
今日はデートだと思ったから、ベルトのついた出来るだけお洒落なものを選んできたけど、踵の高さは持っている靴は似たり寄ったりだった。
急に買ったって、慣れない靴でマルコさんに迷惑をかけるのも困るし。
彼氏がいたこともあるし、それなりに恋愛もしてきているはずなのに、何も成長はしなかったように思う。

笑うマルコさんにエスコートされて、エレベーターに乗ったんだけど。
乗ったんだけどね?
なんだかおかしいの。
乗りこんだエレベーターはそんなに大きくはないけど、指定する階数がひとつしかない。
直通?
降りたところは、足もとが絨毯で、私の知っている映画館とは明らかに違う装丁をしている。
足もとの壁際には、ライトが巡らされていて道筋をしっかり教えてくれている。
券売機のようなものは見当たらなくて、ただホテルのロビーのような空間が広がっているだけ。
ポップコーンや、パンフレットを買う売店すら見当たらない。
ホテルに連れてこられたのかと、見紛うくらいで。
でも壁に掛かっているポスターや、置いてある物は映画に関するものばかりだ。
マルコさんが受付の人と、いくつか言葉を交わすと、奥から現れた女性に案内をされた。
先にマルコさんが着いていくのかと思いきや、背中をエスコートされて私が先に女性についていくことになってしまった。
不安で堪らない。
何度も言うけど、私の知っている映画館とはまるで違うからだ。
やがてホテルのラウンジのようなところを通り過ぎて、更にその奥の個室へと通される。
落ち着いた雰囲気のそこは、大きなソファが置いてあり、中央にはテーブルもある。
わけがわからなくて、入り口で立ち止まっていると、マルコさんに背を押されて一応室内へと入った。
ポカンとしてしまっていたと思う。
ただ室内を見渡しているだけで、促されるままにソファに腰を下ろしたと思う。


「腹は減ってねェか?軽食くらいなら、ここでも食えるよい」


隣に座るマルコさんに声をかけられて初めて顔を向けると。
近っ!!
マルコさんがすごく近くに座っている。
ひえぇぇええッ!
思わず背筋が伸びる思いだった。
そしてマルコさんを二度見した。
少し私の方に重心をかけているのだろう、お尻のすぐ後ろにマルコさんが手を突いているのがわかる。
そして、テーブルに乗っているメニューを指示している。
近い、近い、近い。
肩がマルコさんの胸元の中に入っているような感覚だ。
ドキドキとして、頭が真っ白になっていく。
示されたメニューなんて、全く頭に入ってこなかった。


「映画館、ですよね?」
「ああ、まだ上映まで1時間程あるが、どこか他に見てから来たかったかい?」


隣を見るわけにもいかず、とりあえず目線はメニュー表にあったけど、視界なんて働いていなかった。
何とか絞り出した言葉は、思った以上にマヌケな質問だったけど、仕方がないと思う。
次に続く言葉に、必死に首を横に振るとマルコさんが安堵したような雰囲気が伝わってくる。
だって、とにかく近い!
1時間耐久?
映画に来るってことはある程度近づいて座ることは予想していたんだけど。
この距離は全くの想定外だった。
この状況も十分にわけがわからないんだけど、マルコさんが近いことの方がずっと、心を乱していく。
いい匂いまでしてくるし。
じゃあ飲み物かい、なんてメニューの端を手にして捲るから、身体がぴたっとくっついた。
途端にビクっと震えてしまう。
これ、伝わったんじゃ…。
おそるおそる顔を上げてマルコさんを見ると、まじまじと私の顔を見つめている。
だけどすぐ笑顔になってくれて、後ろから後頭部を撫でられた。
肘や腕が背中に触れているから、まるで抱きしめられているかのよう。
マルコさんに、そんな意図はないのかもしれないけど。
私ひとり、めっちゃ意識してるだけなんだろうけど。


「酒は?」
「今日はソフトドリンクにします」
「飲んでもいいんだけどな」


マルコさんがアイスコーヒー、私がアイスティーを注文して、やがて運ばれてきたのは、飲み物とフルーツだった。
マルコさんも食事は終えてきているそうで、それ以上の注文はなし。
だからこの空間に、残り50分程は二人きりのようだ。
だけど、私があまりに身を固くして強張っていることに気が付いてくれたのか、それ以上のスキンシップはなかった。
運ばれてきた飲み物を片手に、ゆっくりとした会話を続けてくれている。
それは主に、これから始まる映画の話や、過去に見たい映画の話。
次に見たいものの話の時は、次の約束までしてしまうくらいで。
マルコさんが近くにいるものの、お話が上手だったからか、緊張も解けて自然に笑えるようになった頃、上映時間も近づいてきていた。
時計を確認するマルコさんが立ち上がったから、私もそれに続く。
名残惜しい気もするし、早く出てしまいたい気もするし、すごく複雑な1時間だった。

係の人と、マルコさんに続いて入った先の映画館。
二階席になっているようで、覗き込むと…。
多分、カップルシートだ。
普段見慣れているひとつひとつが独立した椅子は、おそらく一階にあるんだろう。
今目の前にあるそこには、横一列にペアシートみたなものが並んでいて、丁度スクリーンの中央と同じ高さになっている。
さっきの個室のソファ以上に密着するような気がする。
落ち着いた心が、また緊張していくのを感じた。
あんなに触れ合うなら、正直映画どころではない。
もう、好きって言って抱き着いてしまうかもしれない。
自分に自信がなくなりそうだった。

だけどまたしても、私の予想を遥かに超えたところへと連れていかれた。
カップルシートの後ろを通り過ぎて、更にその奥へと通されたからだ。
小さ目の扉を開くと、そこはバルコニーのように迫り出した個室のような場所。
映画館に来てまで映画の話をするのもなんだけど、昔の映画でオペラを見るシーンで貴族の人達が座っているような個室だった。
さっきよりもゆったりと背を預けられるようなソファに、オットマンまである。
係の人が、流れるような動きでさっき残してきたフルーツと飲み物の新しいものをテーブルの上に乗せていった。
おくつろぎ下さい、と言われてその人は個室を出ていってしまったけど。
完全に頭が着いていかない。
マルコさんは慣れているのか、先にソファへと腰を下ろしたようだった。
いつまでもそこに立っているわけにもいかず、ドキドキしながらその隣に私も腰を下ろした。


「☆☆☆さん、さすがに…もう少しこっちに寄らねェかい」


中央に座ったつもりが、大きなソファの為、マルコさんとの距離がさっきよりも出来ていた。
私としては、心臓的にはこれくらいがいいんだけど。
だけどマルコさんが眉を下げて困ったように笑うから、まるで引き寄せられるように身を寄せた。
拳一つ分くらいの、密着しなくらいの距離。
その隙間を見てマルコさんが小さく笑ったけど、それ以上距離を詰めることが出来なかった。
恥ずかしくて…。
がっちがちに緊張して握りしめた拳を、マルコさんが取る。
指を解くように掌から指先を差し入れられ、指を絡めて握られた。
何か言おうと開いた口は、マルコさんに足を伸ばすように指示されて従ううちに、映画の開始のブザーと共に掻き消されて閉じてしまった。
幸いだったのは、映画が面白かったことと、握られた手を動かされなかったことだ。
もしも、握りしめられたり撫でられたりしたら、変な声も出た上に映画どころじゃなかったと思う。

それは恋の映画で。
まだ恋人にも満たない小さな恋は、互いを想い合うものの、すれ違い、こじれてしまう。
あまりに切なくて、涙が出てしまった。
お化粧が…。
バッグからハンカチを取り出そうとすると、横からマルコさんが動く気配がする。
ポケットから出したらしいハンカチを、私の頬に当ててくれていた。
そのハンカチからは、マルコさんの香りがふわりと漂う。
私の涙を吸い込んだそれは、何度か優しく頬に押し当てられた後に、触れられていた手に乗せられた。
小声でお礼を伝えると、スクリーンの光りに照らされたマルコさんの笑顔が目に映る。
なんて優しい顔をするんだろうと思った。
細た目の奥が優しく光って私を見つめる。
ポロリと出てきた涙を借りたハンカチでもう一度拭うと、今度は肩にマルコさんの手を感じた。
そのまま引き寄せられ、マルコさんの肩に寄り掛かる格好となってしまった。
ドキっとした。
映画どころじゃなく、跳ねた心臓が今にも飛び出しそう。
目元に当てたハンカチだって、そのままそこで動けなくなってしまったくらい。
手の甲に、マルコさんの手が触れる。
私の手を動かしてハンカチで同じように涙を拭った後、同じ個所を指先で撫でられた。
あごの端にマルコさんの中指の感覚がある。
僅かに力を込められて、顔を上げさせられていく。
間近で目が合うまで、その動きは続き、やがて目線が合うとそこで止まった。
見詰め合うしかなくて。
呼吸さえ、上手くできていたかどうかわからない。
ただじっと、目を合わせていると、映画の中から悲しげな彼女の声が聞こえてきた。


『I must leave it to love him.』


それは、はっきりとゆっくりした言葉だったため、英語の苦手な私でも理解出来たほどだ。
同じ言葉がマルコさんにも響いたのだろう、優しい笑みが困ったように眉が下がっていく。
私の頬を撫でた後、そこからゆっくりとマルコさんの手が離れていった。
代わりに、肩から離れた手が頭部へ延びてきて、マルコさんの方へと傾けられる。
頭をなでられながら、反対側には暖かな感触があるから、マルコさんの頭が私とくっついているんだろうと思う。

マルコさんに寄り掛かったまま、映画はラストを迎えていた。
何度もすれ違った二人だけど、最後は思いが通じて愛し合う二人のキスシーンでそれが終わる。
良かった…。
ハッピーエンドだった。
エンドロールで辺りが暗くなる。
それでも、さっきと同じ格好のまま、二人とも動かず、やがてエンドロールが終わるまでじっとスクリーンを見つめていた。






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