不意にネイティオさまの視線が特定の位置に定まったまま動かなくなることがある。それは、そこにあるものを見ているようで見ていないもの。無表情の彼がその特徴的な眼で身動き一つせず空を凝視している様は端から見たら気味が悪いことこの上ないのだろう。私は、少し慣れてしまったけれど。
「なまえ、我は戻る」
「え?」
彼はそう短く言葉を発したかと思うと踵を返し、来た道を戻り始めていた。短く音を発することしか出来ない私に彼は歩みを止めて、再び一度完結に告げる。視線は行く道、真っ正面を向いたまま。
「戻る」
言い終わると同時にまた進みだした歩み。その背中を呆然と見送ること数秒。後にはっと我に返り、走り出し彼の背を追った。隣に着くと、やっと来たかとばかりに緩やかな視線を頂戴した。そして何事もなかったかの様にその視線は真っ直ぐ正面を向いたまま止まる。私は何故来た道を戻るのかと言う疑問を持ちながらも問うことはなく、そっと彼の服の裾を掴んで黙り込んだ。
そして私達は今朝出たばかりのポケモンセンターへと戻って来た。部屋も同じ番号だった。彼はベッドへ浅く腰掛け部屋の天井角を凝視している。相変わらずの謎の行動だけれど、その横顔に感じるものがあるのは、惚れた弱味云々なのだろう。
しかし、彼は何故戻って来たかったのだろうか。……もしかして怪我でもしたのだろうか?隠しているのかもしれない。だとすればこういう行動から私に気付かれるから、彼ならそうはしないかもしれない。分からない、けれど、念のため確認しよう。鞄の中の道具を漁り、目当てのものを取り出す。傷薬を手に取り顔を上げると無表情のままの強い視線とぶつかった。少し飛び上がった胸を撫で下ろし、彼に近寄る。その間も彼の視線は私から外れない。
「ネイティオさま、怪我はしてない?」
彼の隣に座り込み、片腕に触れながら問う。彼は普段通り大きく見開らかれたままの目で私が触れている箇所を凝視している。
数秒後、彼は私の顔、いや目を見つめてきた。ふいっと外された視線が肩越しに窓の外を見る。その視線をたどり私も窓の外を見てみた。特に何もない。数秒の後に、窓を打つ小さな音。何かと思い見続けているとそれは連続で窓を打ち始めた。雨粒だ。そしてそれはしまいには強い風をもはらみ始めた。
「大雨……、まるで嵐みたい」
そして、はっとなる。彼はこれを予知したのか。そして此処に戻ることに決めたのだ。あのまま進んでいれば、ろくな避難場所も見つけられずにこの雨に打たれていたのだろうから。
私は小さくなるほど、と呟いて視線を彼へと戻した。彼は視線を部屋の隅へと戻していた。そのあらぬ方向を凝視したまま彼は言う。
「直ぐに風邪を引くだろう」
誰がとは言わぬ疑問系ではないその言葉に内心苦笑いをした。ごめんね。ありがとう。そう言えば彼は視線を私へと寄越してくれた。そして以外と強い力で私をベッドへと倒した。彼は側にあったシーツを手繰り寄せ、少し雑に私へと掛けて正面へと向き直る。
「今日は休めばいい。明日には晴れる」
彼はそう言うと、ベッドから腰を上げ部屋の角へと歩み寄り、こちらへ向き直ったかと思うと瞳を閉じてしまった。彼も休む為に眠るのだろう。直立不動で壁に背を預けることもなく。
言葉は淡々としているけれど彼は優しい。ベッドから放り出されたままの膝から下をぶらぶらさせた後、出来るだけ物音を立てぬ様に身を捩り、身体全体をベッドへと預けた。窓を打つ雨は煩いけれど、明日には止むらしい。彼が、そういうのだから。自然と重くなる瞼に従い閉じたその後、ネイティオさまもこっちで一緒に寝ればいいのにと思った。白濁とし始めた意識の中で今度は私が腕を引こうと心を決めるのである。
(雨と休息)